真新しいネイビーのブレザーに袖を通し、鏡の前で桜色のネクタイと格闘する。
春休みの間に何度か練習してみたものの、どうしても結び目が不格好になってしまい、いまいち綺麗な形にならない。
「おー! 様になってるじゃないか」
珍しく遅い時間の出勤でまだ家にいた父さんが、洗面所を通りかかって声をかけてきた。
見かねたように僕の前に立ち、慣れた手つきでスルスルとネクタイを結び直してくれる。
うちの学校は小学校からの一貫校ということもあり、高校の入学式といえど親の参加は任意だ。
うちの両親は二人とも仕事で忙しいため出席しないが、僕自身も特になんとも思っていない。
「……これでよし!」
父さんに背中を叩かれ、リュックを背負って玄関を出た。
母さんは今日も弟の新学期の準備でバタバタ走り回っており、部屋の奥から「いってらっしゃーい!」という声だけ聞こえた。
外に満ちた春の空気を吸い込む。
マンションの廊下には、風に乗ってどこからか運ばれてきたであろう桜の花びらが一枚落ちていた。
上へと続く階段に、チラリと目をやる。
(……めぐ、もう行ったかな)
声や足音などの気配は、特にない。
今日から彼女が、あの新しいブレザー姿で登校してくるのだと思うと、正直かなり嬉しい。
けれど、あの短すぎるスカートを他の男に見られるのかと思うと、どうか適正な長さに直していてくれという祈るような気持ちもあり、心境はきっぱり半々なのだった。
◇
学校に着くと大勢の生徒たちが、クラス表が貼り出された昇降口の壁に群がっていた。
めぐみと同じクラスになれるかどうかは、正直なところ期待していない。
小学一年から中学三年までの間、同じクラスになれたのは、小学一年と六年、たったの二回だけ。
毎年クラス替えのたびに胸を躍らせてはがっかりすることを繰り返すうちに、端から期待などしなくなっていたのだ。
校門で会った仲のいい友達何人かと一緒に、クラス表の方へと向かう。
中学までは一学年六クラスだったが、外部生が入ってくる高校からは八クラスに増える。
僕の苗字は『朝井』だから、あいうえお順の記載だと最初の方にあってすぐに見つけられる。
隣の友達が「俺、三組!」と声を上げた。
僕は引き続き視線を滑らせる。
「あ、俺は五組だわ」
そう呟いたと同時に、自分の目を疑った。
五組の欄の、一番上。
『朝井 夏樹』という僕の名前の、すぐ真下に。
『井原 めぐみ』
――たしかに、そう書かれている。
信じられなくて、三度見くらいして、瞬きしながら目を凝らした。
けれど、何度見ても文字は変わらない。
同じく僕の名前を見つけた友達もそれに気がつき、小声で「えっ! お前……一緒じゃん!」とバシッと肩を叩いてきた。
「……おお」
動揺のあまり力なく返すと、友達は「嬉しそ〜」とニヤニヤ笑う。
(……まさか、同じクラスなんて)
奇跡みたいな三度目の幸運に、いまいち現実味が湧かないまま、フワフワとした足取りで新しい校舎へと向かった。
◇
五組の教室に入ると、すでにバスケ部で仲の良い葉山の姿を見つけた。
「おー! 朝井!」
僕に気づいてすぐに手を上げた葉山に、「よー」と短く返す。
チラッと見渡してみたが、めぐみの姿はまだないようだ。
学年の半分以上は小中からの持ち上がりとはいえ、高校から入ってきた真新しい顔ぶれが混ざっていると、そこそこ新鮮な環境に映る。
葉山と適当に雑談して時間を潰していたが、まもなく担任が到着する頃だ。
黒板に貼り出された最初の席順表を確認し、指定された一番廊下側の、一番前の席についた。
どうやらこの席順もまた、名簿順で割り振られたものらしい。
(……ってことは)
落ち着かない気持ちで、開け放たれた扉の向こうを眺めていると。
――……来た。
友達と小走りで近づいてくる、めぐみが見えた。
彼女は教室の入り口で僕に気づくと、パアッと顔を明るくした。
周囲の目を気にしているのか、大げさに手を振ったり、大声で話しかけたりはしてこない。
けれど、そのひまわりのような笑顔が『同じクラスだね!』と語りかけていて、こっそりと頷き返した。
ブレザー姿の彼女が、ふわりと春の匂いを連れて横を通り過ぎる。
彼女の苗字は『井原』。
『朝井』である僕の真後ろに、腰を下ろした。
背中越しに、めぐみの気配を全身で感じる。
喧騒の中で、彼女が椅子を引く音や、鞄の中身を探している音が、やけに大きく聞こえた。
同じクラスになれたのは、死ぬほど嬉しい。
嬉しいが……この席順は、ものすごく落ち着かない。
(……早く席替えしたいかもしれない)
まっすぐ前を向いたまま、誰にも気づかれないように深呼吸をした。
やがて、初老の男性教諭が入ってきた。
新しい担任だ。
出欠確認も兼ねて、全員の軽い自己紹介を済ませると、入学式のために体育館へ移動することになった。
各々廊下に出て歩き出すと、斜め後ろから小走りで近づいてきた葉山が、僕の背中を小突いて囁いた。
「おいっ! 幼馴染、このクラスにいるじゃん! しかも席前後!」
「……うっせ」
ニヤつく葉山を肘で軽く小突き返しながら、内心苦笑いする。
……こいつらの中で僕は、どれだけ『めぐみ大好きキャラ』として定着しているんだろうか。
◇
体育館に着き、クラスごとに指定されたパイプ椅子へと座っていく。
席の並びは、教室の縦列をそのまま横にスライドさせたような形になっていた。
つまり――。
「……なっちゃん!」
すぐ右隣のパイプ椅子にちょこんと腰を下ろしためぐみが、小声でそう囁いた。
「……おー」
肩と肩が何度も触れるくらい近い、横並びの席。
式の間、くるんとした焦茶色の彼女の髪と、桜色のリボンが、ずっと視界の端に映っていた。
春休みの間に何度か練習してみたものの、どうしても結び目が不格好になってしまい、いまいち綺麗な形にならない。
「おー! 様になってるじゃないか」
珍しく遅い時間の出勤でまだ家にいた父さんが、洗面所を通りかかって声をかけてきた。
見かねたように僕の前に立ち、慣れた手つきでスルスルとネクタイを結び直してくれる。
うちの学校は小学校からの一貫校ということもあり、高校の入学式といえど親の参加は任意だ。
うちの両親は二人とも仕事で忙しいため出席しないが、僕自身も特になんとも思っていない。
「……これでよし!」
父さんに背中を叩かれ、リュックを背負って玄関を出た。
母さんは今日も弟の新学期の準備でバタバタ走り回っており、部屋の奥から「いってらっしゃーい!」という声だけ聞こえた。
外に満ちた春の空気を吸い込む。
マンションの廊下には、風に乗ってどこからか運ばれてきたであろう桜の花びらが一枚落ちていた。
上へと続く階段に、チラリと目をやる。
(……めぐ、もう行ったかな)
声や足音などの気配は、特にない。
今日から彼女が、あの新しいブレザー姿で登校してくるのだと思うと、正直かなり嬉しい。
けれど、あの短すぎるスカートを他の男に見られるのかと思うと、どうか適正な長さに直していてくれという祈るような気持ちもあり、心境はきっぱり半々なのだった。
◇
学校に着くと大勢の生徒たちが、クラス表が貼り出された昇降口の壁に群がっていた。
めぐみと同じクラスになれるかどうかは、正直なところ期待していない。
小学一年から中学三年までの間、同じクラスになれたのは、小学一年と六年、たったの二回だけ。
毎年クラス替えのたびに胸を躍らせてはがっかりすることを繰り返すうちに、端から期待などしなくなっていたのだ。
校門で会った仲のいい友達何人かと一緒に、クラス表の方へと向かう。
中学までは一学年六クラスだったが、外部生が入ってくる高校からは八クラスに増える。
僕の苗字は『朝井』だから、あいうえお順の記載だと最初の方にあってすぐに見つけられる。
隣の友達が「俺、三組!」と声を上げた。
僕は引き続き視線を滑らせる。
「あ、俺は五組だわ」
そう呟いたと同時に、自分の目を疑った。
五組の欄の、一番上。
『朝井 夏樹』という僕の名前の、すぐ真下に。
『井原 めぐみ』
――たしかに、そう書かれている。
信じられなくて、三度見くらいして、瞬きしながら目を凝らした。
けれど、何度見ても文字は変わらない。
同じく僕の名前を見つけた友達もそれに気がつき、小声で「えっ! お前……一緒じゃん!」とバシッと肩を叩いてきた。
「……おお」
動揺のあまり力なく返すと、友達は「嬉しそ〜」とニヤニヤ笑う。
(……まさか、同じクラスなんて)
奇跡みたいな三度目の幸運に、いまいち現実味が湧かないまま、フワフワとした足取りで新しい校舎へと向かった。
◇
五組の教室に入ると、すでにバスケ部で仲の良い葉山の姿を見つけた。
「おー! 朝井!」
僕に気づいてすぐに手を上げた葉山に、「よー」と短く返す。
チラッと見渡してみたが、めぐみの姿はまだないようだ。
学年の半分以上は小中からの持ち上がりとはいえ、高校から入ってきた真新しい顔ぶれが混ざっていると、そこそこ新鮮な環境に映る。
葉山と適当に雑談して時間を潰していたが、まもなく担任が到着する頃だ。
黒板に貼り出された最初の席順表を確認し、指定された一番廊下側の、一番前の席についた。
どうやらこの席順もまた、名簿順で割り振られたものらしい。
(……ってことは)
落ち着かない気持ちで、開け放たれた扉の向こうを眺めていると。
――……来た。
友達と小走りで近づいてくる、めぐみが見えた。
彼女は教室の入り口で僕に気づくと、パアッと顔を明るくした。
周囲の目を気にしているのか、大げさに手を振ったり、大声で話しかけたりはしてこない。
けれど、そのひまわりのような笑顔が『同じクラスだね!』と語りかけていて、こっそりと頷き返した。
ブレザー姿の彼女が、ふわりと春の匂いを連れて横を通り過ぎる。
彼女の苗字は『井原』。
『朝井』である僕の真後ろに、腰を下ろした。
背中越しに、めぐみの気配を全身で感じる。
喧騒の中で、彼女が椅子を引く音や、鞄の中身を探している音が、やけに大きく聞こえた。
同じクラスになれたのは、死ぬほど嬉しい。
嬉しいが……この席順は、ものすごく落ち着かない。
(……早く席替えしたいかもしれない)
まっすぐ前を向いたまま、誰にも気づかれないように深呼吸をした。
やがて、初老の男性教諭が入ってきた。
新しい担任だ。
出欠確認も兼ねて、全員の軽い自己紹介を済ませると、入学式のために体育館へ移動することになった。
各々廊下に出て歩き出すと、斜め後ろから小走りで近づいてきた葉山が、僕の背中を小突いて囁いた。
「おいっ! 幼馴染、このクラスにいるじゃん! しかも席前後!」
「……うっせ」
ニヤつく葉山を肘で軽く小突き返しながら、内心苦笑いする。
……こいつらの中で僕は、どれだけ『めぐみ大好きキャラ』として定着しているんだろうか。
◇
体育館に着き、クラスごとに指定されたパイプ椅子へと座っていく。
席の並びは、教室の縦列をそのまま横にスライドさせたような形になっていた。
つまり――。
「……なっちゃん!」
すぐ右隣のパイプ椅子にちょこんと腰を下ろしためぐみが、小声でそう囁いた。
「……おー」
肩と肩が何度も触れるくらい近い、横並びの席。
式の間、くるんとした焦茶色の彼女の髪と、桜色のリボンが、ずっと視界の端に映っていた。



