幼馴染への三度目の失恋を回避したい 〜激重な片思いを隠さなくなってきた彼に、心臓がもたなくなってきた彼女。〜【完結】

 いよいよ文化祭前日の放課後を迎えた校舎は、どこもかしこも異常な熱気に包まれていた。

 どのクラスも、見慣れたはずの教室がまったく別の姿へと変わりつつある。
 廊下に出ると、あちこちの教室からのざわめきや、机を引きずる音、誰かの大きな笑い声などが入り混じり、まるで音が渋滞しているかのようだった。

 今日の放課後は、吹奏楽部の練習も任意参加となっている。
 来月のコンクールや演奏会に向けて自主練したい人のために音楽室は開放されているけれど、私たちのクラスはまだヨーヨーすくいの準備が終わっていなかったため、私はクラスの方に残ることにした。

 仕上げの色塗りに使っていた筆とパレットを水道で洗い、冷たい水で手を流す。水を弾く絵の具の匂いが鼻をかすめた。

 手を拭きながら教室に戻ろうと廊下を歩いていると、ちょうど引き戸がガラッと開き、中から出てきたなっちゃんと鉢合わせた。
「あ」
 なっちゃんは、昨日髪を切ったばかりだ。
 耳周りや襟足がすっきりと短くなっていて、元々大人びている顔立ちが、さらに洗練されて見える。

「わり。三十分くらい抜けるわ」
 なっちゃんが少しだけ申し訳なさそうに言った。
「もしかして、バンドの練習?」
 私が尋ねると、彼は短く「そう」と頷いた。
「そっか。頑張ってね!」
「うん」

 なっちゃんは静かに応えると、そのまま私とすれ違い、廊下を歩いていってしまった。

 その後ろ姿をなんとなく見送っていると、少し先の教室のドアが開き、一人の女の子が廊下に出てきた。
 彼女はなっちゃんに声をかけ、二人はごく自然な動作で並んで歩き始めた。

(……あの子だ)
 音楽室に向かう途中のプレハブ小屋で見かけた、ピアノを担当する『由利さん』。

 由利さんが少し見上げるようにしてなっちゃんに話しかけ、なっちゃんも彼女を見下ろして穏やかに頷いて応えている。
 二人とも背が高くて、すらりとしている。
 艶やかな長い黒髪と、少し短くなった黒髪。

 どこか落ち着いた、静かな雰囲気を纏う二人の背中は、なんだかすごくお似合いだった。

(……そりゃあ、付き合ってるって噂になってもおかしくないよね)

 胸の奥が、少し冷たくなる。
 慌ててパッと目を逸らし、逃げるように自分の教室へと戻った。

 ◇

 教室の中は、ヨーヨーすくいに似合うよう、夏のお祭りのような非日常の空間に仕上がりつつあった。
 ヨーヨーのプールを置くエリアでは、葵がブルーシートをガムテープで床にしっかりと固定してくれている。

「おい、ズレてるって! もっと右!」
「だから、上!? 下!? どっちだよ!?」
 脚立に乗って壁に赤提灯を飾り付けている葉山くんに向かって、下から男子たちが身振り手振りで騒がしく指示を飛ばしている。

 私は気を取り直し、女の子たちと一緒に、ダンボールで作った屋台風のレジカウンターの細かい色塗りの作業に戻った。

 赤と白の絵の具を交互に塗っていると、ふいに後ろから「カシャッ」とシャッター音が聞こえた。
 振り返ると、織くんがカメラを構え、作業に集中している私たちの後ろ姿を写真に収めてくれていたところだった。
「お疲れさま」
 カメラを下ろした織くんが、ふわりと微笑んで近づいてくる。
「めぐちゃん、屋台のことで手伝えることある?」
「ううん、こっちは大丈夫だよ! 写真、楽しみだな〜」

 彼は準備期間中、ずっとこうしてクラスの様子をたくさん撮ってくれている。
 まだ一枚も見せてもらっていないけれど。

 私の言葉を聞いた織くんは、少し息を吐いた後、ゆっくりと近づいてきて、そっと私の隣にしゃがみ込んだ。
「ん? どうしたの?」
 筆を止めて尋ねる。

 織くんは少し黙った後、周りの喧騒に紛れるような、けれどはっきりとした静かな声で聞いてきた。

「……『めぐ』、って呼んでいい?」

「え?」
 突然の提案に、私の思考は一瞬止まった。

 ――『めぐ』。

 その響きを聞いた瞬間、私の頭の中には――男の子の中で私のことを唯一そう呼ぶ、あの黒い瞳の幼馴染の顔が真っ先に浮かんだ。

 先ほど廊下で、他の女の子と並んで歩いて行った、彼の広い背中。

 私は、手元の筆をぎゅっと握りしめた。

「…………それは……ダメ」

 自分でも驚くほど迷いのない声で、そう言ってしまったのだった。