幼馴染への三度目の失恋を回避したい 〜激重な片思いを隠さなくなってきた彼に、心臓がもたなくなってきた彼女。〜【完結】

 体育館の高い位置にある小窓から、白い光の筋が何本も真っ直ぐに降り注いでいる。

 少しひんやりとした空気の中、生徒たちの身を包む見慣れた制服の染料の匂いが混ざり合い、いつも騒がしいこの場所をどこか神聖な空間に変えていた。

 今日は、中等部の卒業式。

 厳かな雰囲気で式は進んでいるけれど、実は悲壮感のようなものはあまりない。
 エスカレーター式の学校だから、仲のいい友達はみんなこのまま同じ高校に進学する。
 お別れをして寂しいのは、一部の先生たちくらいだ。
 それも、高等部の校舎はすぐ隣の敷地にあるから、会おうと思えばいつでも会いに行ける。

 けれど、パイプ椅子が微かに軋む音や、体育館に響き渡る合唱の声を聴いていると、(ああ、この校舎ともお別れして、いよいよ高校生になるんだなあ)と、少しだけしんみりとした感傷が胸の奥に広がっていった。

「朝井、夏樹」
 マイクを通した、なっちゃんの担任の声が響いた。

「……はい」

 静まり返った体育館に、低く落ち着いた声が真っ直ぐに落ちる。

 壇上に上がり、校長先生から卒業証書を受け取る彼の姿を、私は自分の席からじっと見つめていた。

 卒業式のために、また電車に乗っておしゃれな美容院へ行ったのだろうか。
 バスケ部だからいつも短めにしている黒髪が、今日はワックスで綺麗に整えられている。
 所作も落ち着いていて、席へと戻っていく足取りも堂々としていた。

 小学校の頃は、毎日のように泥だらけになって一緒に遊んでいたのにな。

 私を置いて、先へ先へと、どんどん大人になっていくようななっちゃんの背中を見ていると、なぜだかふっと、胸の奥を冷たい風が通り抜けるような、寂しい気持ちになる。

 いや、しんみりしている場合じゃない。
 もう少しで私の名前も呼ばれる。
 もし返事の声が裏返ったり、壇上の階段でつまずいたりしたら、絶対に後でなっちゃんに馬鹿にされる。

 私はキュッと唇を結び、姿勢を正して気を引き締めた。

 ◇

 式が無事に終わり、外に出ると、春先の少し強い風がフワリと頬を撫でた。

 中庭では、あちこちで「写真撮ろー!」という明るい声と、スマホのシャッター音が飛び交っている。

 私も仲のいい友達たちと校舎を背にして、何枚も写真を撮って思い思いの時間を過ごしていた。

 ふと視線を巡らせると、遠くの方、赤茶色のレンガの塀のまわりに、なっちゃんがバスケ部の男の子たちと集まっているのが見えた。
 塀に腰掛けたり、寄りかかったりして、何やら楽しそうに談笑している。

 せっかくの卒業式だし、幼馴染のなっちゃんとも記念に一枚くらい写真を撮りたい。

 けれど、あの輪の中に一人で突っ込んでいく勇気はないし、きっと嫌がられるだろうなあと思って諦めた。

「ねえねえ、みんな! 卒業証書持って、正門の前で写真撮ろうよ!」
 友達のひとりが明るい声を上げた。

「あ、いいね〜! 行こ行こ!」
 私も賛同して歩き出そうとして――ふと、自分の両手が空っぽであることに気がついた。

「あれっ!?」
 思わず変な声が出る。

 手元にあるはずの、証書の入った筒がない。

(ええと、式の後、教室に戻って、先生の話を聞いて、それから……)

 記憶を辿り、ハッと思い出す。
 机の中に、そのままポツンと置いてきたかもしれない。

「も〜何やってんのめぐ! 待ってるから早く取ってきな!」
 呆れ顔で笑う友達に「ごめん、すぐ戻る!」と手を合わせ、私は急いで校舎の方へと走り出した。


 お祭りの後のように静まり返った廊下。

 誰もおらず、自分の上履きが鳴らすパタパタという足音だけが響いている。

 ガラガラッ。
 さっきまでみんなといた三年生の教室に入ると、チョークの粉の匂いと、少し埃っぽい古い木の匂いが鼻をかすめた。

 窓際にある自分の席に駆け寄り、机の中を覗き込む。

「……あったあ」
 暗がりの中に、見覚えのある紺色の筒が置き去りにされていた。

 無事に見つけられたことに、ほっと安堵の息を吐き出す。
 その時だった。

「……何してんの」

 背後から不意に降ってきた声に、私は「ひゃっ」と小さく叫んで振り向いた。

「……なっちゃん!?」

 誰もいないはずの教室の入り口に、少し呆れたような顔をした彼が立っていた。

 私が駆け寄ると、なっちゃんの制服がいつもよりだらしない着こなしになっていることに気がつく。

 開襟シャツの首元が緩み、学ランの前がだらんと開いている。
 いや、よく見てみると……学ランの金色のボタンが、上から下まで全部なくなっていたのだ。

「えっ、どうしたのそれ? まさか、全部もらわれたの!?」

 目を丸くして尋ねると、彼は少し面倒くさそうに「うん」とだけ答えた。

 そういえばさっき中庭で、なっちゃんにモジモジと寄っていく女の子を何人か見かけた気がする。
 みんな、あれをお願いしに行っていたのか……。

「……すごいね、なっちゃん。ほんとモテるんだねえ」
 第二ボタンどころか全部なくなっている学ランを見て、私は素直に感心したように呟いた。

 しかし、彼の顔を見上げると、なぜかものすごく不満そうな、不機嫌極まりない顔でこちらを見下ろしていた。
「……え、どうしたの?」
 不思議に思って首を傾げると、なっちゃんは眉間に皺を寄せたまま、低い声で尋ねてきた。

「……何とも思わないのかよ」
「え?」

(どういうことだろう)

 私が何も返せないでいると、彼はさらに探るような目で私を見た。
「……お前、誰にももらってないだろうな?」
「……? うん。もらってないよ。ていうか、ボタンをもらうっていう考えがそもそもなかったよ」

 好きな人も特にいないし、仮にいたとして、制服のボタンなんて欲しくなるものなのだろうか。
 小さくて、失くしちゃいそうだけど。

 私が正直にそう答えると、なっちゃんは「……ふーん」と言って、フイッとそっぽを向いてしまった。

「……じゃ、行くわ」

 踵を返して教室を離れようとする彼の背中を見て、私はハッと大切なことを思い出した。

「……あ! なっちゃん待って! 卒業式でやりたかったこと思い出した!」

 慌てて彼の袖――ボタンがなくてヒラヒラしている学ランの袖口――を掴んで引き止める。

 ◇

 私はポケットからスマホを取り出し、自撮りモードにしてカメラを起動した。
 誰もいない教室を背景に、なっちゃんとの記念撮影の構図を作る。

「なっちゃん。画面に入らないから、もっとこっち寄ってよ」
「…………」

 彼は無言のまま、ものすごく微妙な顔をして画面に収まろうとする。

(……もう。そんなに嫌がらなくてもいいのに)
 心の中で不満を漏らす。

 なっちゃんの背が高くて、私が腕をいっぱいに伸ばしても、二人をうまくフレームの中に入れられない。

 四苦八苦していると、頭上からため息が降ってきた。

「……貸して」
 なっちゃんがひょいと私のスマホを奪い取る。

 長い腕がスッと伸び、難なく二人と黒板が綺麗に画面に収まった。

 カシャ、と無機質な電子音が静かな教室に響く。

「……はい」
「ありがとう!」

 スマホを受け取り、すぐに画面を確認した。

 写真の中には、ニコッと満面の笑みを浮かべる私の隣で……見事なまでの真顔で写っているなっちゃんの姿があった。

「……もー、なっちゃん! せっかくの記念写真なんだから、もっと笑ってよー」
 文句を口にすると、彼はさっさと長い廊下に出て歩き出しながら、肩越しに言った。

「……別にいーだろ、それで」
 その耳元が少しだけ赤くなっているような気もする。

 学ランのボタンがないせいで、身体が春先の冷たい風で冷えたのかもしれない。

「あっ、やばい! みんなのこと待たせてたんだった……!」

 私は紺色の筒を小脇に抱え直し、どんどん先に行ってしまう彼の広い背中に追いつくように、慌てて廊下を走り出したのだった。