幼馴染への三度目の失恋を回避したい 〜激重な片思いを隠さなくなってきた彼に、心臓がもたなくなってきた彼女。〜【完結】

 頬杖をついて、教室の窓ガラスの向こうをぼんやりと見つめている。
 ぽかぽかとした春の始まりの陽光が、冷えた指先をじんわりと温めていた。

 中学最後の席替えで、私が大好きな窓際を引き当てたのは、日頃の行いが良かったからに違いない。

 今日で、学年末テストは終わり。
 今は、最後の教科の最中だ。

 すでにひと通りの見直しを終え、時間を持て余していた私は、淡い水色の空をゆっくりと流れていく綿菓子のような雲を、ただひたすらに観察していた。

 静まり返った教室には、カリカリと鉛筆を走らせる音と、ストーブが小さく唸る音だけが響いている。消しゴムのカスと、わら半紙の少し埃っぽい匂いがする。
(この匂い、好き)

 キーンコーン、カーンコーン。
 やがて、待ちわびたチャイムが鳴り響く。

「はい、そこまで。後ろから集めて」
 先生の声とともに、クラス中から一斉に「終わったー!」という安堵の溜め息が漏れる。

 プリントがカサカサとリレーされ、回収を終えた先生がガラガラと戸を閉めて出ていくと、教室は堰を切ったようにドッと騒がしくなる。

 机の上に散らばったペンや消しゴムを筆箱に詰め込んでいると、教室の出口付近から声が飛んできた。
「めぐー! 行くよー!」
 私の名前を呼ぶ声に顔を上げると、同じ掃除班の友達が手招きしている。

「あっ、ごめん! 今行くー!」

 すっかり頭から抜け落ちていた。
 今日はテスト終わりだというのに、よりによって体育倉庫の掃除当番になっていたのだった。

 私は慌てて筆箱を机に突っ込み、彼女のもとへ駆け寄る。

 同じ班の男子二人、女子二人で、グラウンドの脇にある体育倉庫へと向かって歩き出した。

「テスト終わって早々、体育倉庫掃除とかマジだりー」
「ほんとそれ。寒すぎだし」
 男子二人が、ジャージのポケットに手を突っ込みながらぶつぶつと文句を垂れている。

 廊下は暖房の恩恵が一切なく、しんしんと冷えた空気が足元から這い上がってくる。

「めぐ、テストどうだった?」
 隣を歩く友達が、私の顔をのぞき込んでくる。
「うーん。まあ、高等部には無事に上がれるかな、くらいかなあ?」
 私は誤魔化すように苦笑いした。

 手応えは決して良くもないけれど、最悪ってわけでもない。
 エスカレーター式の一貫校だからといって、決して勉強をサボったわけではないが、いつも通りのパッとしない出来栄えだ。

 ワックスがけされたばかりのツヤツヤした床を歩いていると、不意に見慣れた顔を見つけた。

 少し先の、他のクラスの教室の入り口。
 そこに、女の子二人に囲まれて談笑しているなっちゃんの姿があった。

(……あ、出た。学校用の営業スマイル)

 口角をほどよい角度に上げ、相手の目を見て優しく相槌を打つその姿。
 先日うちの玄関で『遅刻すんなよ』とぶっきらぼうに言い放ったのと同じ人物とは思えない。

 学校でのなっちゃんは、いつもあんな感じだ。

 小学校の頃は、私と背丈も変わらず、むしろ可愛らしい感じの男の子だったのに。
 中学校に入学した途端、急激にぐんぐん背が伸びて、今では見上げるほどにすらりとしている。
 髪型も、わざわざ電車に乗って、おしゃれな美容院で切ってもらっているらしい。

 マンションの中では私に対して遠慮の欠片もないが、一歩外に出れば、誰に対しても丁寧で人当たりが良い。
 そんななっちゃんには、中学生になってからちょっとしたモテ期が到来していた。

 前を通り過ぎる一瞬。
 ふと、私に気づいたなっちゃんと視線が絡んだ。

 けれど、彼の黒い瞳はすぐにスッと逸らされてしまう。

 中学三年間で、私たちは一度も同じクラスにならなかった。
 おまけに、同じマンションに住む幼馴染だということが周囲に知れ渡った時、一部の女の子たちから「馴れ馴れしい」と陰口を叩かれたことがある。

 本当は、昔みたいにもっと気軽にお喋りしたいけれど。
 でも、私が話しかけたら、変に注目されてなっちゃんを困らせてしまうかもしれない。

 そう思うと、空気を読んで距離を置くのが一番だと思えて、学校ではすっかり話さなくなってしまった。


 グラウンドに出ると、ピリッとした冷風が頬を刺す。
 辿り着いた体育倉庫の重い鉄扉を開けると、古いウレタンマットの湿った匂いと、土埃の匂いが喉に入り込み、思わず咳き込みそうになった。

 私たちは、それぞれほうきやちりとりを手に取り、無駄話をしながら手を動かし始める。

「そういえばまた女子に囲まれてたじゃん、朝井夏樹」
 ほうきで床を掃いていた男子の一人が、からかうようなトーンで話を振ってきた。

「ああ、うん。相変わらず人気者だよね」
 私は手元から目を離さず、当たり障りのない相槌を打つ。

「幼馴染なんだろ?」
「うん」
「……てかそういや小学生の時、お前ら付き合ってなかった!?」

 ピタッ、と。私の手が止まった。

 ……出た。黒歴史の掘り返し。

 まだそんな昔のことを覚えている人がいたなんて。

 エスカレーター式の小中高一貫校の厄介なところはこれだ。
 人間関係が持ち越される分、自分の黒歴史も一緒に進学してきてしまう。

「いや……あれは冗談だから」

 私は引きつりそうになる頬を必死に抑え、なんとか苦笑いを作って返した。

 ――あれは、小学六年生の冬。

 なっちゃんと仲の良かった男子グループの中で、ゲーム感覚の『彼女をつくる対決』が流行っていたらしい。

 ある日の夕方、マンションの薄暗い共有廊下に呼び出された。

『……俺と付き合って』

 なっちゃんは、いつもとは違う、見たこともない真剣な顔でそう言ったのだ。

 私は心底驚いて、思わずドキっとしてしまった。

(付き合うって……一体何をするの?)

 頭の中がぐるぐると混乱したまま、その場の謎の空気に飲まれて、つい『うん』と頷いてしまった。

 けれど、翌日の教室で見た光景は、私の淡い動揺を簡単に吹き飛ばした。

『おまえ、幼馴染はズルだろー!』
『うるせーよ!』

 友人たちにからかわれ、照れ隠しのように笑い合うなっちゃんの姿。

 なんだ……ゲームみたいなノリで言っただけなんだ。

 そう気づいた瞬間、チクリ、と胸の奥を細い針で刺されたような痛みが走ったのを覚えている。

 結局、あとでなっちゃんに確認したら、やはり冗談だったというので、そのまま無かったこととして終わったのだ。


 ザッ、ザッ。

 硬いほうきの先が、コンクリートの床を擦る冷たい音が倉庫内に響く。

 舞い上がる小さな埃を眺めながら、私はただ黙々と手を動かし続けた。