合宿から帰ってきてから、私たちのクラスには目に見えて打ち解けた空気が漂うようになった。
新しい生活の慌ただしさにも少しずつ慣れ、クラスメイトの顔と名前もすっかり一致している。
――キーンコーン、カーンコーン。
授業の始まりを告げるチャイムが鳴り終わっても、先生が現れない。
教室は、ざわざわとした喧騒に包まれていた。
(空き時間の今のうちに……!)
自席で机の上に楽譜を広げ、シャープペンシルで細かいメモを書き込んでいく。
私は吹奏楽部で、アルトサックスを担当している。
夏のコンクールには、よほど飛び抜けて上手でない限り、一年生は出場できない。
その代わり、コンクールに出ないメンバーだけで作り上げる演奏会が、同じ時期に予定されている。
私は、一人で黙々と練習するよりも、みんなで音を重ねる合奏の時間が、たまらなく好き。
だから、放課後を毎日心待ちにしている。
「井原さん、何してんの?」
真後ろの席から、柔らかい声をかけられた。
振り返ると、私の机を覗き込むようにして、織くんが首を傾げていた。
「楽譜に書き込みだよ!」
「そっか、吹奏楽部だもんね」
そう言って微笑みかけてくれる。
彼、『織くん』こと織田くんは、高校からの外部入学生だ。
やや人見知りで最初は緊張している様子だったけれど、合宿あたりからよく喋るようになった。
全体的にふんわりとした空気を纏っていて、いつも少し眠たそうな目をしている。
なんだか、日向ぼっこ中の猫みたいな男の子だ。
「楽器は?」
「アルトサックス!」
そう答えると、その眠たげな目がパッと見開かれた。
「あー! 一番カッコいいよね」
その言葉に、思わず身を乗り出した。
「えーっ! わかるの!? カッコいいよねえ!」
音楽をやっていない人は、アルトサックスと言われても、ピンとこないことが多い。
だから、その魅力に共感してもらえたことが嬉しくて、テンションが上がってしまった。
「演奏会とかあるの?」
「夏にあるよ! よかったら聴きに来て!」
そのトーンのまま誘ってみた。
「行く行く。井原さんと金森さんの勇姿、撮りに行くわあ」
写真部でもある織くんは、後ろに座る葵にも視線を向けて言った。
話を振られたことに気づいた葵も微笑み返す。
「ていうか、クラスメイトなんだし『さん』付けいらないよ! 呼び捨てでいいからね」
私の提案に、織くんは少し困ったように眉を下げた。
「呼び捨てかあ……。なんか、女の子を呼び捨てってしづらい」
彼は「うーん」と悩んだ後、思いついたように顔を上げた。
「じゃあ、『めぐちゃん』でいい?」
「……えっ!?」
予想外の愛称に、思わず変な声を出してしまった。
(め、『めぐちゃん』!?)
家族や女友達、そして幼馴染のなっちゃんには『めぐ』と呼ばれているけれど、同年代の男の子から下の名前で、しかも『ちゃん』付けで呼ばれたことなんて、今まで一度もない。
『めぐちゃん』と呼ぶのは、なっちゃんの両親くらいだ。
「あっ、まずかった……?」
不安そうに肩をすくめる織くん。
「いや、全然! 織くんが呼びやすい呼び方でいいよ!」
慌てて了承すると、「よかった」と安心したように笑った。
友達からよく『コミュ力おばけ』なんて言われるくらい人懐っこい私だけれど。
こんなふうに、するりと距離をつめられる織くんのほうが、実は私より上をいくコミュ力の持ち主かもしれない。
妙に感心していた、その時。
「……ンン!! ゴホッ……ゴホンッ!」
突然、前の席から、鼓膜をつんざくような大きな咳払いが聞こえてきた。
新しい生活の慌ただしさにも少しずつ慣れ、クラスメイトの顔と名前もすっかり一致している。
――キーンコーン、カーンコーン。
授業の始まりを告げるチャイムが鳴り終わっても、先生が現れない。
教室は、ざわざわとした喧騒に包まれていた。
(空き時間の今のうちに……!)
自席で机の上に楽譜を広げ、シャープペンシルで細かいメモを書き込んでいく。
私は吹奏楽部で、アルトサックスを担当している。
夏のコンクールには、よほど飛び抜けて上手でない限り、一年生は出場できない。
その代わり、コンクールに出ないメンバーだけで作り上げる演奏会が、同じ時期に予定されている。
私は、一人で黙々と練習するよりも、みんなで音を重ねる合奏の時間が、たまらなく好き。
だから、放課後を毎日心待ちにしている。
「井原さん、何してんの?」
真後ろの席から、柔らかい声をかけられた。
振り返ると、私の机を覗き込むようにして、織くんが首を傾げていた。
「楽譜に書き込みだよ!」
「そっか、吹奏楽部だもんね」
そう言って微笑みかけてくれる。
彼、『織くん』こと織田くんは、高校からの外部入学生だ。
やや人見知りで最初は緊張している様子だったけれど、合宿あたりからよく喋るようになった。
全体的にふんわりとした空気を纏っていて、いつも少し眠たそうな目をしている。
なんだか、日向ぼっこ中の猫みたいな男の子だ。
「楽器は?」
「アルトサックス!」
そう答えると、その眠たげな目がパッと見開かれた。
「あー! 一番カッコいいよね」
その言葉に、思わず身を乗り出した。
「えーっ! わかるの!? カッコいいよねえ!」
音楽をやっていない人は、アルトサックスと言われても、ピンとこないことが多い。
だから、その魅力に共感してもらえたことが嬉しくて、テンションが上がってしまった。
「演奏会とかあるの?」
「夏にあるよ! よかったら聴きに来て!」
そのトーンのまま誘ってみた。
「行く行く。井原さんと金森さんの勇姿、撮りに行くわあ」
写真部でもある織くんは、後ろに座る葵にも視線を向けて言った。
話を振られたことに気づいた葵も微笑み返す。
「ていうか、クラスメイトなんだし『さん』付けいらないよ! 呼び捨てでいいからね」
私の提案に、織くんは少し困ったように眉を下げた。
「呼び捨てかあ……。なんか、女の子を呼び捨てってしづらい」
彼は「うーん」と悩んだ後、思いついたように顔を上げた。
「じゃあ、『めぐちゃん』でいい?」
「……えっ!?」
予想外の愛称に、思わず変な声を出してしまった。
(め、『めぐちゃん』!?)
家族や女友達、そして幼馴染のなっちゃんには『めぐ』と呼ばれているけれど、同年代の男の子から下の名前で、しかも『ちゃん』付けで呼ばれたことなんて、今まで一度もない。
『めぐちゃん』と呼ぶのは、なっちゃんの両親くらいだ。
「あっ、まずかった……?」
不安そうに肩をすくめる織くん。
「いや、全然! 織くんが呼びやすい呼び方でいいよ!」
慌てて了承すると、「よかった」と安心したように笑った。
友達からよく『コミュ力おばけ』なんて言われるくらい人懐っこい私だけれど。
こんなふうに、するりと距離をつめられる織くんのほうが、実は私より上をいくコミュ力の持ち主かもしれない。
妙に感心していた、その時。
「……ンン!! ゴホッ……ゴホンッ!」
突然、前の席から、鼓膜をつんざくような大きな咳払いが聞こえてきた。



