あなたに悪魔のメルヘンカルタをお届けします~人魚姫編

 楽しかった、ありがとう、壱太からはそんなニュアンスのメッセージがスマホに届いた。
 どういうつもりなんだろうって、ずっとモヤモヤしながら学校へ行くと、動画が出回ったみたいで、そこかしこでひそひそ笑われた。

 見てるこっちがはずかしいたって。
 たしかに、あのとき、歌うのがはずかしいなとは思った。
 でもそれとはちがう種類のはずかしさじゃない?
 わたしは合唱部で、CD出してるアーティストみたいにうまくはないけど、笑えるほど音痴でもないよ。
 その程度でリードボーカル気取ってるとか、気取ってないし。
 そこまで言われる筋合いもない。動画を勝手に撮られただけなのに。

 でもよかった。自分が情けないとか、それより怒りの感情がわいてきてよかった。
 わたしは怒っていいんだよ。いいんだよ。まちがってない。
 反論なんて、できないけど……

「翠ちゃん!」
 野太い声がとどろき、いっしゅん、自分が呼ばれていることに気づかなかった。
 登校してきた壱太がわたしに向かって手を挙げている。
『翠ちゃん』とは今話題の岩崎のことかって、教室中の視線まで集めてしまう。
 それこそいつのまに、だよ。いつのまに翠ちゃんなんて呼ぶようになったんだ。

 壱太は悠長にやってきて、わたしの前の席にどっかりと座った。
 動画が出回っていることに気づいているのか浮かない表情だ。
「ごめんな」
「え……別に」
「オレ、ピアノ、あきちゃって」
「えぇ!?」
 あきた? あきれたじゃないよね?

「わたしのせい?」
「ちがうよ。きのうやってみて気づいちゃったんだよね。弾き語りの方がかっこよくない? コードの話とかしてたけど、それをマスターしたらできるふうになるじゃん。それだったらピアノよりギターでしょ。だからギター買うためにバイトすることにした」
「そうなんだ……」

 どうせまたあきるとか、忠告は脇に置いておくとして、そうだったらなおのことはずかしい。
 壱太に逃げられたっていわれてしまう。
 そばで歌われたのがウザかったんだろうなとか、いや、実際そうだったのかな。
 動画まで出回って迷惑だったのかも……
 そこまで考えると、壱太の断り方はやさしいという気がしてきた。

 壱太は気休めみたいに話しかけてくれる。
「音楽ってさー、やってみてーっていう感情が定期的にやってくるんだよ。翠ちゃんは合唱部じゃん?」
「うん」
「ほかになにかやりたくならないの?」
「とくに、ないかな……」

 合唱部で満足しているというのではなくて、なにか別のことをはじめるって、いろいろと消耗する。
 面倒くさいが先立つのに、壱太は軽々しくいろんなことに手を出すようだった。

「毎日部活であきない?」
「土日は休みだから」
「そうなの? なにしてるの?」
「なにってわけじゃないけど……。だらだらと。みんなそんなかんじじゃない?」
「バイトは? いっしょにやらない?」
「いっしょに? そんなに人手が足りてないの?」
「あ、ごめん。言い方がおかしかった。いっしょの場所でっていう意味じゃなくて、バイトはやらないのっていう意味」

 バイトかぁ……と、考えた。
 お小遣いも少ないし、自分の自由になるお金がもっとあればいいと思う。土日の休みを費やしてまでほしいかといったら、そうでもないかなとか。
 だいたい、友達も少ないから出かけることもあまりなくて、足りてないわけじゃない。

「使い道もないし……」
 友達がいないってことをふんわり濁す。
「そうだよね。目的があればね。だったら、どこかへ行こう」
「行くって?」
「オレと、どこかへ行く約束をしよう」


 混乱した。うろたえた。フリーズした。
 けど、メッセージアプリのやりとりが滞ったのはこのときではない。
 動画騒ぎのこともあったし、勝手な思い込みはマズイ。
 カスミちゃんにどういうことかと相談してみたら、それはデートのお誘いだねと即座に返ってきた。
 好奇心いっぱいで根掘り葉掘り聞かれ、だいたいの事情は察したと、頼もしいことをいった。
 目を見ればわかる。彼女はからかってなんかない。

「それはつまり、お小遣いでは足りないくらいのどこかへ行く約束だよ。学校帰りにクレーンゲームしようとかそんなレベルじゃない。電車乗ってアミューズメント施設へ行こうよレベルの誘い。なんて返事をしたの」
「とりあえず……バイトが見つかればって……」
「うん。悪くないよ。はなっから、デート代はそっち持ちでとはいえないからね」
「それはそうだよ。ただ、真に受けるなよとかいわれそうで」
「なんでそうなるの。わたしたち、みんな住む世界はいっしょだよ?」


 キラキラの目をしたカスミちゃんに背中を押されて、わたしはバイトを探した。土日だけバイトさせてもらえるところ。
 近所を歩いてまわったら、入り口のところに張り紙がしてあって、バイトを募集しているところは多かった。興味がないことは案外目に入ってこないもんだ。
 ファストフード店でQRコードを読み込んで応募しようとしていたら、たまたまいた店長に見つかって即採用となった。

 学校へ行って部活してバイトして。まったりする時間が一切なくなっても幸せだ。
 むしろわたしには無駄になってる時間が少しもないってことがうれしい。

 そしていよいよデートするときがやってきた。
 店長に日曜日だけど1日だけ休みがほしいと願い出た。正直に。
「そっか、それで一生懸命だったんだね。いいよ。ご褒美は必要だ。土日以外にもヒマしてるときがあったら電話して。空いてたら入れてあげる」
 わかる店長でよかった。
 土日の忙しさはわたしだって知っている。だからこそわたしが辞めてしまうのも困るのだ。

 わたしだって辞めたくない。
 デートを一回ぽっきりで終わらせてなるものか。
 必死すぎて無様かって?
 どうだろう。恋愛の進め方がわからなくて、気持ちが離れていくのが不安だった。

 壱太は前日に連絡してきて、わけあってチケット代が払えなくなったから行けないと断ってきた。
 どういうことなの? 本当なの? 裏の裏をかいて、その真意を考察した。行きたくないってことなのかなと。

 思い切ってどんな反応が返ってくるか探ってみた。
『よかったら、立て替えようか?』
 恐る恐る送信ボタンを押す。

『ほんと!?』『助かる』『やっぱ行きたかったよね!』
 間を置かずに次々と返ってくるメッセージにわたしは心底安堵したのだった。

 お金がないことなんて、なんの問題もない。
 それからもランチをおごったり、つかれたときにタクシーに乗ったり、誕生日プレゼントを買ったり、バイトがこんなに役に立つことになるとは思わなかった。
 壱太にはギターを買うという目標もあったし、わたしはそれを応援している。
 壱太と楽しい時間を共有できるのが幸せだった。