ただ――
ツグミたちのことは苦手だった。
この前のことを思い出し、あの中に入っていける自信がなかった。
ぽつんとしている自分がみじめで、ぽつんとしていることを知られながらさらに輪の外に追いやられる自分が恥ずかしい。
それこそ人間と人魚くらいの差がある。
住み分けていたら気にかけることもないのに。
その次の日。
授業が終わって帰り支度をしていたときだ。
壱太からメッセージが届いてドキンとした。
『ピアノ歴16日の北見壱太がリサイタルをやるぞ!』
相変わらず大げさだった。
新しい譜面を見ながらただ音を鳴らしていくだけの作業はリサイタルとはいわない。駅構外にまで鳴り響くヘタなピアノは、そのうちうるさいという苦情が出そうなほどなのに、我が物顔で使っている。
楽しいのは向こう側にいる人たちだけ。そう思ってた。
わたしはわたしで楽しいことはある。
合唱部は学校がある日の放課後はほとんど活動しているので、もちろん行く予定だった。
壱太だってわたしが部活をしていることは知ってるはず。
壱太から届いた文章を読んでも「来て」とは誘ってなくて、ただそこにいるというお知らせ。
困った。
誘われたつもりになって断ったら笑われるかな。
だけど、礼儀的に返す必要はある。
文才なくてどう返事をすればよいのか困っていると、同じクラスで合唱部のカスミちゃんに呼ばれた。
「うん、いま行く」
と返事をしたけど、スマホの画面をにらめつけたままでかたまっていたら「どうしたの」とこっちへやってきた。
「部活で行けないからどうしようかなって……」
するとカスミちゃんは詳しいことを聞くまでもなくすんなり答えた。
「残念! 部活!って返しておけばいいんじゃない?」
「そっか。それでいいんだ」
「部活はなにより一番最初に決められてる予定なんだから。優先順位が一番高くて当然だよ」
それはそう。壱太よりも部活。
いつか見に行くという約束は今日じゃなくてもいいし、帰りがけにまだ壱太がいるようなら寄ってみてもいい。
カスミちゃんに教わったとおりに返信して部活に集中した。
今日の反省を述べるとしたら、心ここにあらず。
合唱部では毎回練習の終わりにひとりの部員が反省点を上げ、それについて他の部員と意見交換をして締めくくる。
さいわいとその日はわたしの番ではなかった。
スマホに誰かからのメッセージが届いているんだけど、ずっと見られずにいて気にかかっていたら、歌うことがおざなりになっていた。
もしメッセージが壱太だったら、なんていってきているのだろうかと、そればっかり考えちゃって……
だからむしろ気づいてしまった。わたしが多少ぼんやりしていても、それを誰かに指摘されることがないってこと。
とりわけうまいってわけでもなく、ただ休まず練習している部員のひとり。
べつにそれでもいいんだ。
コンクールに出場する以上もちろん上は目指す。努力もする。団結もする。思うような結果につながらなくて落ち込みはするけど、絶望するほどでもない。
それはつまり、絶望するほど打ち込んではいないってこと。
「ちゃんとやって」と後輩にはえらそうにいって、自分は部活に参加しているだけの思い出作りにいそしんでいるだけだったのかな……
部活をしていることになんの疑念も抱いていなかったのに。
部活が終わってスマホを確認してみたら壱太だった。
『押忍』という文字が入った応援団のイラストのスタンプ。たぶん、がんばってという意味だよね。
もっと集中すればよかった。
反省しながら駅前を通りかかるとやはりピアノの音が聞こえた。
今度は曲を知っていたから、かろうじてどのあたりを弾いているのかがわかって、これは壱太だなって、自然と足がそちらへ向かった。
階段を上りきってピアノがあるほうへ一歩踏み出すと体が硬直した。
前方に見えるのはツグミたち。ピアノを取り囲んでいる。
そういえばツグミはテニス部だ。
部活が終わる時間はだいたいみんな同じだから、どうしても合致あってしまう。
みんなピアノに夢中でこちらに気づいてない。まだ見つかってないとわかるとわたしは階段をかけ下りた。
あぶないあぶない。顔出してどうなるんだ。会話だって続かないよ。
楽しくやってるのに、わたしが入ったとたん、シーンって静まりかえるんじゃないかと考えたら、恐怖しかない。
傷つくぐらいなら、関わらない方がマシ。
それからもわたしは輪に入りたくなくて、ピアノの音が聞こえてきても素通りした。
しつこく誘われはしなかったが、一回だけツグミたちが撮ったと思われる動画が送られてきた。
上達した痕跡もなく終わりの見えないリサイタルに、がんばってねと返信した。
だけどそれじゃああんまりにも素っ気なかったかと、やり直したくなったがすぐに既読がついて脱力する。
でもそれは絶妙な距離感だっかかもしれない。
何日か経って駅前を通りかかったとき、めずらしくピアノの音が聞こえてこなかった。
なにげなくホームを見たら壱太がいた。ベンチに腰掛けてスマホをいじっていたけど、向こうもふと顔を上げてこちらに気がついた。
「おーい」
壱太は大きな声を張り上げて手を振り、階段の方を指さした。ピアノが置いてある方向だ。
こちらの反応を待たずに立ち上がって階段を上っていく。
さすがにここで無視はできない。
ツグミたちの姿もまだ見えないから、行くなら今しかない。
意を決して階段を急ぎ足で上る。
壱太はすでにピアノの椅子に腰掛けて、コピーした楽譜を並べていた。
そばまで行くと壱太はわくわくしてるような顔つきで見上げた。
「ちょうどあきてたところだったんだよ。うまくいかなくてさ。左右の指をズレたタイミングで弾くとかムリだろ」
そういって壱太は聞かせてくれるが、何度聞いてもヘタだった。
毎日通りかかってるから上達していないことは知ってるともいえず、だまって見ていた。
楽譜を見れば想像以上に簡素だ。これで弾けないのならムリそう。
だんたんと指に力が入って、壱太のいらいらがつのっていくのが心配だった。
そして絶望感と共にピアノをジャーンと打ち鳴らした。
「ああ! もう、なんだよ! なんでダメだと思う?」
わたしに聞かれても困る。そもそもわたしって、壱太にとって気になる女子じゃなかったの? イラついているところを隠しもしないなんて。
それでわたしはなんとかなだめようとしたのだ。
「わたしも小学生のころ、ピアノにあこがれて友達に教えてもらおうとしたの。でも全然うまくいかなくて。だけど最後には連弾できたんだ」
「連弾っていっしょに弾くってこと? すごくない?」
「わたしはすごく簡単なことをやっただけ。タイミングに合わせてコードを弾くだけだったの。その子がメロディーラインを弾いてくれて」
「コードって和音のこと?」
「そう。ドミソとか同時に押さえるのね。たしか――カノンコードっていってたかな。いくつかのコードを覚えて、それをずっと繰り返し順番に押していくの、リズムゲームみたいに」
「ゲーム感覚ね」
壱太は興味を持ってくれたみたいだった。
「いくつかのJポップが弾けたんだ……といっても、その子がメロディー担当だったからできたんだけど。まずは片方の手だけでやってみるとか? 左手の方は弾く数が少ないみたいだし。メロディーは……わたしが、歌う、とか?」
いってみてはずかしくなった。わたしがリードして演奏するなんて。
「いいじゃん! やろう」
壱太はわたしの提案に飛びついてピアノに向き合った。
楽譜の歌い出しの部分をなぞる。
「この歌詞の『け』の部分でこの音ってことでしょ。オッケー、いくよ? ってか、とりあえず前奏抜きで歌からはじまろう。間違えてもなにしてもゲームみたいにどんどん進んでいこう。全集中で」
壱太はわたしの歌い出しを待ち構えた。今さら断れない。
コンクール出場の時でもこんなに緊張はしなかった。
もうやるしかないと出した声はうわずっていたが、壱太はわたしに合わせて鍵盤を押した。
ゆっくりと歌い、ポロンポロンと音が鳴る。
ピアノ経験ない者同士が手探りで進めていく。それでもこのタイミングでその音は違うのではないか、というのがなんとなくわかったとき、壱太があわてたように正しい音を弾いた。
そうやってなんとか最後までたどり着くころには楽しくなっていて、歌い終わりに息をつく間もなく大きな歓声をあげようとしたら、自分よりも先にはやし立てる者があった。
ぎょっとして振り返るとそこにはツグミたちがいて、スマホを向けて動画を撮っていた。
なんでこの人たちはすぐに撮影するんだろう。許可もなしに。しかも半笑いで。
めちゃくちゃはずかしくて、いてもたってもいられない。
「すごい! セッションしてるじゃん」
「正しいストリートピアノの使い方だよね」
「いつのまに仲良くなったの」
「からかうなよ」
口々に言われて頭の中がパニックになった。
ひとつひとつに言葉が返せない。
苦し紛れに「わたし!」と叫んでいた。
「もう遅いから早く帰らないと!」
くるりと背を向けてダッシュした。
たぶん、そんなところもおもしろかったんだと思う。
遠慮なしに笑い転げるツグミたちに混じって壱太の笑い声まで聞こえてきた。
ツグミたちのことは苦手だった。
この前のことを思い出し、あの中に入っていける自信がなかった。
ぽつんとしている自分がみじめで、ぽつんとしていることを知られながらさらに輪の外に追いやられる自分が恥ずかしい。
それこそ人間と人魚くらいの差がある。
住み分けていたら気にかけることもないのに。
その次の日。
授業が終わって帰り支度をしていたときだ。
壱太からメッセージが届いてドキンとした。
『ピアノ歴16日の北見壱太がリサイタルをやるぞ!』
相変わらず大げさだった。
新しい譜面を見ながらただ音を鳴らしていくだけの作業はリサイタルとはいわない。駅構外にまで鳴り響くヘタなピアノは、そのうちうるさいという苦情が出そうなほどなのに、我が物顔で使っている。
楽しいのは向こう側にいる人たちだけ。そう思ってた。
わたしはわたしで楽しいことはある。
合唱部は学校がある日の放課後はほとんど活動しているので、もちろん行く予定だった。
壱太だってわたしが部活をしていることは知ってるはず。
壱太から届いた文章を読んでも「来て」とは誘ってなくて、ただそこにいるというお知らせ。
困った。
誘われたつもりになって断ったら笑われるかな。
だけど、礼儀的に返す必要はある。
文才なくてどう返事をすればよいのか困っていると、同じクラスで合唱部のカスミちゃんに呼ばれた。
「うん、いま行く」
と返事をしたけど、スマホの画面をにらめつけたままでかたまっていたら「どうしたの」とこっちへやってきた。
「部活で行けないからどうしようかなって……」
するとカスミちゃんは詳しいことを聞くまでもなくすんなり答えた。
「残念! 部活!って返しておけばいいんじゃない?」
「そっか。それでいいんだ」
「部活はなにより一番最初に決められてる予定なんだから。優先順位が一番高くて当然だよ」
それはそう。壱太よりも部活。
いつか見に行くという約束は今日じゃなくてもいいし、帰りがけにまだ壱太がいるようなら寄ってみてもいい。
カスミちゃんに教わったとおりに返信して部活に集中した。
今日の反省を述べるとしたら、心ここにあらず。
合唱部では毎回練習の終わりにひとりの部員が反省点を上げ、それについて他の部員と意見交換をして締めくくる。
さいわいとその日はわたしの番ではなかった。
スマホに誰かからのメッセージが届いているんだけど、ずっと見られずにいて気にかかっていたら、歌うことがおざなりになっていた。
もしメッセージが壱太だったら、なんていってきているのだろうかと、そればっかり考えちゃって……
だからむしろ気づいてしまった。わたしが多少ぼんやりしていても、それを誰かに指摘されることがないってこと。
とりわけうまいってわけでもなく、ただ休まず練習している部員のひとり。
べつにそれでもいいんだ。
コンクールに出場する以上もちろん上は目指す。努力もする。団結もする。思うような結果につながらなくて落ち込みはするけど、絶望するほどでもない。
それはつまり、絶望するほど打ち込んではいないってこと。
「ちゃんとやって」と後輩にはえらそうにいって、自分は部活に参加しているだけの思い出作りにいそしんでいるだけだったのかな……
部活をしていることになんの疑念も抱いていなかったのに。
部活が終わってスマホを確認してみたら壱太だった。
『押忍』という文字が入った応援団のイラストのスタンプ。たぶん、がんばってという意味だよね。
もっと集中すればよかった。
反省しながら駅前を通りかかるとやはりピアノの音が聞こえた。
今度は曲を知っていたから、かろうじてどのあたりを弾いているのかがわかって、これは壱太だなって、自然と足がそちらへ向かった。
階段を上りきってピアノがあるほうへ一歩踏み出すと体が硬直した。
前方に見えるのはツグミたち。ピアノを取り囲んでいる。
そういえばツグミはテニス部だ。
部活が終わる時間はだいたいみんな同じだから、どうしても合致あってしまう。
みんなピアノに夢中でこちらに気づいてない。まだ見つかってないとわかるとわたしは階段をかけ下りた。
あぶないあぶない。顔出してどうなるんだ。会話だって続かないよ。
楽しくやってるのに、わたしが入ったとたん、シーンって静まりかえるんじゃないかと考えたら、恐怖しかない。
傷つくぐらいなら、関わらない方がマシ。
それからもわたしは輪に入りたくなくて、ピアノの音が聞こえてきても素通りした。
しつこく誘われはしなかったが、一回だけツグミたちが撮ったと思われる動画が送られてきた。
上達した痕跡もなく終わりの見えないリサイタルに、がんばってねと返信した。
だけどそれじゃああんまりにも素っ気なかったかと、やり直したくなったがすぐに既読がついて脱力する。
でもそれは絶妙な距離感だっかかもしれない。
何日か経って駅前を通りかかったとき、めずらしくピアノの音が聞こえてこなかった。
なにげなくホームを見たら壱太がいた。ベンチに腰掛けてスマホをいじっていたけど、向こうもふと顔を上げてこちらに気がついた。
「おーい」
壱太は大きな声を張り上げて手を振り、階段の方を指さした。ピアノが置いてある方向だ。
こちらの反応を待たずに立ち上がって階段を上っていく。
さすがにここで無視はできない。
ツグミたちの姿もまだ見えないから、行くなら今しかない。
意を決して階段を急ぎ足で上る。
壱太はすでにピアノの椅子に腰掛けて、コピーした楽譜を並べていた。
そばまで行くと壱太はわくわくしてるような顔つきで見上げた。
「ちょうどあきてたところだったんだよ。うまくいかなくてさ。左右の指をズレたタイミングで弾くとかムリだろ」
そういって壱太は聞かせてくれるが、何度聞いてもヘタだった。
毎日通りかかってるから上達していないことは知ってるともいえず、だまって見ていた。
楽譜を見れば想像以上に簡素だ。これで弾けないのならムリそう。
だんたんと指に力が入って、壱太のいらいらがつのっていくのが心配だった。
そして絶望感と共にピアノをジャーンと打ち鳴らした。
「ああ! もう、なんだよ! なんでダメだと思う?」
わたしに聞かれても困る。そもそもわたしって、壱太にとって気になる女子じゃなかったの? イラついているところを隠しもしないなんて。
それでわたしはなんとかなだめようとしたのだ。
「わたしも小学生のころ、ピアノにあこがれて友達に教えてもらおうとしたの。でも全然うまくいかなくて。だけど最後には連弾できたんだ」
「連弾っていっしょに弾くってこと? すごくない?」
「わたしはすごく簡単なことをやっただけ。タイミングに合わせてコードを弾くだけだったの。その子がメロディーラインを弾いてくれて」
「コードって和音のこと?」
「そう。ドミソとか同時に押さえるのね。たしか――カノンコードっていってたかな。いくつかのコードを覚えて、それをずっと繰り返し順番に押していくの、リズムゲームみたいに」
「ゲーム感覚ね」
壱太は興味を持ってくれたみたいだった。
「いくつかのJポップが弾けたんだ……といっても、その子がメロディー担当だったからできたんだけど。まずは片方の手だけでやってみるとか? 左手の方は弾く数が少ないみたいだし。メロディーは……わたしが、歌う、とか?」
いってみてはずかしくなった。わたしがリードして演奏するなんて。
「いいじゃん! やろう」
壱太はわたしの提案に飛びついてピアノに向き合った。
楽譜の歌い出しの部分をなぞる。
「この歌詞の『け』の部分でこの音ってことでしょ。オッケー、いくよ? ってか、とりあえず前奏抜きで歌からはじまろう。間違えてもなにしてもゲームみたいにどんどん進んでいこう。全集中で」
壱太はわたしの歌い出しを待ち構えた。今さら断れない。
コンクール出場の時でもこんなに緊張はしなかった。
もうやるしかないと出した声はうわずっていたが、壱太はわたしに合わせて鍵盤を押した。
ゆっくりと歌い、ポロンポロンと音が鳴る。
ピアノ経験ない者同士が手探りで進めていく。それでもこのタイミングでその音は違うのではないか、というのがなんとなくわかったとき、壱太があわてたように正しい音を弾いた。
そうやってなんとか最後までたどり着くころには楽しくなっていて、歌い終わりに息をつく間もなく大きな歓声をあげようとしたら、自分よりも先にはやし立てる者があった。
ぎょっとして振り返るとそこにはツグミたちがいて、スマホを向けて動画を撮っていた。
なんでこの人たちはすぐに撮影するんだろう。許可もなしに。しかも半笑いで。
めちゃくちゃはずかしくて、いてもたってもいられない。
「すごい! セッションしてるじゃん」
「正しいストリートピアノの使い方だよね」
「いつのまに仲良くなったの」
「からかうなよ」
口々に言われて頭の中がパニックになった。
ひとつひとつに言葉が返せない。
苦し紛れに「わたし!」と叫んでいた。
「もう遅いから早く帰らないと!」
くるりと背を向けてダッシュした。
たぶん、そんなところもおもしろかったんだと思う。
遠慮なしに笑い転げるツグミたちに混じって壱太の笑い声まで聞こえてきた。



