それにしても、へんなものをもらっちゃったなぁ。
あのなぞめいたカード。人魚姫は人魚姫でも今は念願叶って人間の姿。
ちょっと心に引っかかりがあるとすれば、『声』だ。
人魚姫は声を失う。
わたしにとっての大事なものってなんだろうか。
帰宅して自室にこもり、ひとまずチャットアプリを立ち上げた。
丸一日止まっている壱太とのやりとりを眺める。
わたしと壱太は付き合っているとはまだいえないかもしれない。
でも男子とここまで親しくなったのははじめてで、どこから付き合ってるとか両思いとか全然わからない。
『ねぇ、それってオレよりも大事なこと?』
壱太から送られてきた言葉に、ぐるぐると悩んでいた。
壱太のことを知ったのは学校の教室だ。
ようするにクラスメイト。それ以上の関心事はなにもなくて、普通にクラスメイト。
かっこいい人だとは思っていたけど、ただそれだけで好きになるとか、そんなことはなかった。
はっきりと『出会ってしまった』と胸騒ぎがしたのは、駅でのことだった。
電車は利用してないが、通学路なのでいつも駅前を通りかかっていた。開けた町じゃないからさほど人の出入りもなく、静かなところ。
なじみのない音が聞こえてきて、発車メロディが変わったのかなと思った。
でもその音はたどたどしくて、終わらずにずっと鳴っている。いつ発車するんだってくらい長かった。
ふと見ればホームに電車も止まってないし、やはり発車ベルにしてはおかしかった。
そこへ、改札口へとつながっている階段から1枚の紙切れがひらりと風に吹かれて落ちてきた。
拾ってみると楽譜だった。音符のとなりにカタカナで音階が書いてある。
楽譜が読めないというのは、かなりの初心者だ。
そういうわたしも音符の羅列だけを見てどんな楽曲なのかわからなかった。
でも五線譜にはト音記号とヘ音記号が交互に書かれているから、ピアノの譜面にみえた。
ピアノといえば――
駅にストリートピアノが置いてあると聞いたことがある。誰かがピアノを寄付して、誰もが自由に演奏できるようになっているのだとか。
そういうところで演奏するのは腕に自信のある人だけだと思っていたが、まさか練習で使う猛者が現れるなんて。
子供かな。ピアノは高いから、買ってもらえなくてここで練習しているとか?
その様子を見てみたくなって階段を上ろうとしたときだ。
「翠ちゃん」と呼び止められた。
顔見知りの同級生3人組だった。
ひとりは家がお金持ちだというウワサのツグミ。お金をつぎ込んだようなばっちりメイクで、そこそこかわいくしている。世間知らずでお嬢さまっぽさがあって天真爛漫だけど、有無を言わせぬようなところがちょっと苦手だった。
ツグミは目ざとくわたしが手にしているものを指さした。
「なにそれ」
「落ちてたの。ピアノを弾いている人のものかなって」
3人はわたしをかこんで譜面をのぞきこんだ。
シンと静まった瞬間、またピアノの音が聞こえてきた。
うまくいかないみたいで、何度も同じところを弾き直している。
ツグミの耳にも入ったのかクスリと笑った。
「ああ、そうだわ。このヘタ加減はそうだよ。渡してあげる。翠ちゃんは電車乗らないでしょ」
「え……あ、うん。ありがと……」
パッとわたしの手から紙を抜き取っていってしまった。
行動が早すぎる。わたしも見てみたいって言いそびれて立ちつくした。
どうしようかな。こっそりと見届けようか。
それに、ピアノ弾いてる人になんかイヤなことをいったりしないかなって、気がかりだった。自由に弾いて下さいといってるのに、文句をつけたがる人はいるものだから。
わたしはツグミたちの姿が見えなくなると階段を上った。
気づかれないように柱のかげからそちらをうかがう。
ピアノはすぐにわかった。真っ赤にペイントされたアップライトピアノ。線路1本分をまたいだ先、改札口正面の壁際に設置されている。
弾いていたのは子供じゃなかった。
わたしと同じ学校の制服を着た男子生徒。首を突き出して譜面を食い入るように見ている。
それが、壱太だった。
3人組はそばまでたどり着いていた。
「1枚足りないの、気づいてる?」
ツグミは気安く声をかけて、壱太の隣に強引にお尻をねじりこませた。わたしが拾った楽譜をひらひらと見せつけている。
「なんで持ってるんだよ」
「なによ、わたしが盗ったみたいにいって。拾ってあげたのに」
ツグミはいじらしくすねてみせる。
そんな他愛のないやりとりを一緒にいた子がスマホで動画を撮っていた。
「おいおい。また撮ってるの?」
壱太は不服そうに声を上げたが本気で止めるようなことはしなかった。
「記録しないと上達したかどうかわかんないじゃん」
どうやら壱太はストリートピアノの常連らしい。
彼女たちはピアノを弾いていたのが壱太だと知っていたのだ。和気あいあいとピアノを通じて交流している。
そうか。わたしの出る幕じゃなかった。
なまじ「少し聞いててもいい?」なんていってしまえば、帰るタイミングも失って背後霊みたいに居座ってドン引きされるところだ。
でも、なぜだかうらやましくて、そんな気持ちを振り払うように階段を駆け下りて帰って行った。
それから一向に上達しないピアノを聞き流しながら、三日くらいが過ぎたころ。
いつものコンビニでコピーをとっていた。
うっかり楽譜を落としたら、たまたま通りかかった合唱部員に踏まれて足跡がついてしまったのだ。自分のと交換するといわれたが、ストックがあるから大丈夫と断った。
でもやはりたった一枚とはいえ、ストックはそろえておきたい。
ストックしていた譜面をさらにコピーし、確認していたら壱太がやってきた。
「岩崎さんもダウンロードしてるの?」
なんのことかわからなくて首をかしげた。
「それ、楽譜でしょ? なんの歌?」
一応教えてあげたけど、やっぱり知らなかったようだった。
「合唱部なの。わたしもまったく聞いたことがなくて、お手本を何度も聞いて覚えたんだけど、まだまだ確認しながら歌わなくちゃいけなくて」
「ふうん。合唱部か。オレはストリートやってんだ」
ニカッとキメ顔をされて、思わずうなずきそうになったが寸前でとどまる。こっそり見ていたことを知られたらキモいと思われそうで。
なにくわぬ顔で聞き返す。
「ストリートって?」
「駅にピアノが置いてあるの知ってる?」
「うん」
「田舎だからさ、電車の待ち時間が長いでしょ。その時間を利用して練習したらピアノが弾けるようになるんじゃないかって実験はじめて。初心者用のピアノソロをダウンロードしてみたんだけど、やっぱ難しくてほかの曲ならやれそうかなって」
安易すぎて笑っちゃうんだけど、フットワークの軽さは見習いたかった。
「どうぞ」
こちらは用は済んだのでコピー機をゆずる。
すでに楽曲を販売しているサイトでよさげな曲を見つけているという。
コンビニのコピー機に番号を入れるだけでプリントが完了し、この場で現金購入できる手軽さだった。
それはわたしも知ってるアーティストの曲で、合唱曲としてもよく歌われている曲だった。今から練習して卒業シーズンに弾けたらめっちゃエモい。
壱太は楽譜を手にしただけで、弾きこなしたかのように満足げだった。
「知ってるよね。いっしょに歌う?」
「そそそそそそれはムリ」
急すぎて慌てた。でも壱太はわかってない。
「歌うの得意なんでしょ」
「合唱だから。ひとりは恥ずかしい」
「オレなんて充分恥さらしてるけどね」
ガハハと壱太は大口開けて笑った。
合唱部にいると歌ってよとかよくいわれるけど、からかい気味なことに腹が立っていた。サッカーやバスケならヒーロー扱いなのに、なぜか合唱部は歌い方をまねされたり馬鹿にされる。
でも、壱太はそうじゃなかった。そばで歌っていてウザかったら誘うことはないだろうし。
「上達したオレをいつか見に来てよ。鼻歌がでちゃう気分くらいにはさせてあげる。そうだ。連絡先交換しとこ?」
ずいぶんと自信過剰で押しが強い。
それともわたしが知らないだけでこれが普通のやりとりなのか? 断る方がどうかしている? 合わせた方がいいの?
それより、なんだか楽しそうだって前のめりになってる自分がいた。
あのなぞめいたカード。人魚姫は人魚姫でも今は念願叶って人間の姿。
ちょっと心に引っかかりがあるとすれば、『声』だ。
人魚姫は声を失う。
わたしにとっての大事なものってなんだろうか。
帰宅して自室にこもり、ひとまずチャットアプリを立ち上げた。
丸一日止まっている壱太とのやりとりを眺める。
わたしと壱太は付き合っているとはまだいえないかもしれない。
でも男子とここまで親しくなったのははじめてで、どこから付き合ってるとか両思いとか全然わからない。
『ねぇ、それってオレよりも大事なこと?』
壱太から送られてきた言葉に、ぐるぐると悩んでいた。
壱太のことを知ったのは学校の教室だ。
ようするにクラスメイト。それ以上の関心事はなにもなくて、普通にクラスメイト。
かっこいい人だとは思っていたけど、ただそれだけで好きになるとか、そんなことはなかった。
はっきりと『出会ってしまった』と胸騒ぎがしたのは、駅でのことだった。
電車は利用してないが、通学路なのでいつも駅前を通りかかっていた。開けた町じゃないからさほど人の出入りもなく、静かなところ。
なじみのない音が聞こえてきて、発車メロディが変わったのかなと思った。
でもその音はたどたどしくて、終わらずにずっと鳴っている。いつ発車するんだってくらい長かった。
ふと見ればホームに電車も止まってないし、やはり発車ベルにしてはおかしかった。
そこへ、改札口へとつながっている階段から1枚の紙切れがひらりと風に吹かれて落ちてきた。
拾ってみると楽譜だった。音符のとなりにカタカナで音階が書いてある。
楽譜が読めないというのは、かなりの初心者だ。
そういうわたしも音符の羅列だけを見てどんな楽曲なのかわからなかった。
でも五線譜にはト音記号とヘ音記号が交互に書かれているから、ピアノの譜面にみえた。
ピアノといえば――
駅にストリートピアノが置いてあると聞いたことがある。誰かがピアノを寄付して、誰もが自由に演奏できるようになっているのだとか。
そういうところで演奏するのは腕に自信のある人だけだと思っていたが、まさか練習で使う猛者が現れるなんて。
子供かな。ピアノは高いから、買ってもらえなくてここで練習しているとか?
その様子を見てみたくなって階段を上ろうとしたときだ。
「翠ちゃん」と呼び止められた。
顔見知りの同級生3人組だった。
ひとりは家がお金持ちだというウワサのツグミ。お金をつぎ込んだようなばっちりメイクで、そこそこかわいくしている。世間知らずでお嬢さまっぽさがあって天真爛漫だけど、有無を言わせぬようなところがちょっと苦手だった。
ツグミは目ざとくわたしが手にしているものを指さした。
「なにそれ」
「落ちてたの。ピアノを弾いている人のものかなって」
3人はわたしをかこんで譜面をのぞきこんだ。
シンと静まった瞬間、またピアノの音が聞こえてきた。
うまくいかないみたいで、何度も同じところを弾き直している。
ツグミの耳にも入ったのかクスリと笑った。
「ああ、そうだわ。このヘタ加減はそうだよ。渡してあげる。翠ちゃんは電車乗らないでしょ」
「え……あ、うん。ありがと……」
パッとわたしの手から紙を抜き取っていってしまった。
行動が早すぎる。わたしも見てみたいって言いそびれて立ちつくした。
どうしようかな。こっそりと見届けようか。
それに、ピアノ弾いてる人になんかイヤなことをいったりしないかなって、気がかりだった。自由に弾いて下さいといってるのに、文句をつけたがる人はいるものだから。
わたしはツグミたちの姿が見えなくなると階段を上った。
気づかれないように柱のかげからそちらをうかがう。
ピアノはすぐにわかった。真っ赤にペイントされたアップライトピアノ。線路1本分をまたいだ先、改札口正面の壁際に設置されている。
弾いていたのは子供じゃなかった。
わたしと同じ学校の制服を着た男子生徒。首を突き出して譜面を食い入るように見ている。
それが、壱太だった。
3人組はそばまでたどり着いていた。
「1枚足りないの、気づいてる?」
ツグミは気安く声をかけて、壱太の隣に強引にお尻をねじりこませた。わたしが拾った楽譜をひらひらと見せつけている。
「なんで持ってるんだよ」
「なによ、わたしが盗ったみたいにいって。拾ってあげたのに」
ツグミはいじらしくすねてみせる。
そんな他愛のないやりとりを一緒にいた子がスマホで動画を撮っていた。
「おいおい。また撮ってるの?」
壱太は不服そうに声を上げたが本気で止めるようなことはしなかった。
「記録しないと上達したかどうかわかんないじゃん」
どうやら壱太はストリートピアノの常連らしい。
彼女たちはピアノを弾いていたのが壱太だと知っていたのだ。和気あいあいとピアノを通じて交流している。
そうか。わたしの出る幕じゃなかった。
なまじ「少し聞いててもいい?」なんていってしまえば、帰るタイミングも失って背後霊みたいに居座ってドン引きされるところだ。
でも、なぜだかうらやましくて、そんな気持ちを振り払うように階段を駆け下りて帰って行った。
それから一向に上達しないピアノを聞き流しながら、三日くらいが過ぎたころ。
いつものコンビニでコピーをとっていた。
うっかり楽譜を落としたら、たまたま通りかかった合唱部員に踏まれて足跡がついてしまったのだ。自分のと交換するといわれたが、ストックがあるから大丈夫と断った。
でもやはりたった一枚とはいえ、ストックはそろえておきたい。
ストックしていた譜面をさらにコピーし、確認していたら壱太がやってきた。
「岩崎さんもダウンロードしてるの?」
なんのことかわからなくて首をかしげた。
「それ、楽譜でしょ? なんの歌?」
一応教えてあげたけど、やっぱり知らなかったようだった。
「合唱部なの。わたしもまったく聞いたことがなくて、お手本を何度も聞いて覚えたんだけど、まだまだ確認しながら歌わなくちゃいけなくて」
「ふうん。合唱部か。オレはストリートやってんだ」
ニカッとキメ顔をされて、思わずうなずきそうになったが寸前でとどまる。こっそり見ていたことを知られたらキモいと思われそうで。
なにくわぬ顔で聞き返す。
「ストリートって?」
「駅にピアノが置いてあるの知ってる?」
「うん」
「田舎だからさ、電車の待ち時間が長いでしょ。その時間を利用して練習したらピアノが弾けるようになるんじゃないかって実験はじめて。初心者用のピアノソロをダウンロードしてみたんだけど、やっぱ難しくてほかの曲ならやれそうかなって」
安易すぎて笑っちゃうんだけど、フットワークの軽さは見習いたかった。
「どうぞ」
こちらは用は済んだのでコピー機をゆずる。
すでに楽曲を販売しているサイトでよさげな曲を見つけているという。
コンビニのコピー機に番号を入れるだけでプリントが完了し、この場で現金購入できる手軽さだった。
それはわたしも知ってるアーティストの曲で、合唱曲としてもよく歌われている曲だった。今から練習して卒業シーズンに弾けたらめっちゃエモい。
壱太は楽譜を手にしただけで、弾きこなしたかのように満足げだった。
「知ってるよね。いっしょに歌う?」
「そそそそそそれはムリ」
急すぎて慌てた。でも壱太はわかってない。
「歌うの得意なんでしょ」
「合唱だから。ひとりは恥ずかしい」
「オレなんて充分恥さらしてるけどね」
ガハハと壱太は大口開けて笑った。
合唱部にいると歌ってよとかよくいわれるけど、からかい気味なことに腹が立っていた。サッカーやバスケならヒーロー扱いなのに、なぜか合唱部は歌い方をまねされたり馬鹿にされる。
でも、壱太はそうじゃなかった。そばで歌っていてウザかったら誘うことはないだろうし。
「上達したオレをいつか見に来てよ。鼻歌がでちゃう気分くらいにはさせてあげる。そうだ。連絡先交換しとこ?」
ずいぶんと自信過剰で押しが強い。
それともわたしが知らないだけでこれが普通のやりとりなのか? 断る方がどうかしている? 合わせた方がいいの?
それより、なんだか楽しそうだって前のめりになってる自分がいた。



