あなたに悪魔のメルヘンカルタをお届けします~人魚姫編

 わたしはおバカな人魚姫になんてなりたくなかった。
 美しい声と引き換えに王子さまと同じ人間の姿になって、見初められなかったらどうするの? さらに歩くたびに足に激痛が走るわけでしょう?
 幼いころに読んだ人魚姫があまりピンとこなかったのは、そういうところだ。そこまでして手に入れたい恋なんてある?って。
 でもそのときはまだ、胸が苦しくなるような恋をしていなかったからかもしれない。
 だから、あらためて冷静になって考えてみる。
 この恋がかなって最高に幸せだと思えるために、どこまで差し出せるのかを――



 下校途中にあるコンビニに立ち寄った。譜面をコピーするためだ。
 うっかりしてなくしてしまうこともあるし、雨の日にびしょ濡れでにじんでしまったり、書き込みすぎてわけわからなくなったりとか。不測の事態に備えておくのだ。
 合唱部は他の部活に比べたら圧倒的にお金がかからない。楽器とか道具とかなにも買わなくていい。身ひとつで参加できる。
 あとは他の人に迷惑がかからないような場所があればいい。

 小学生の時にたまたま入った合唱部。中学も高校もたまたま合唱部があったからという理由で続けていた。
 たまたまだし、なんとなく続けているんだけど、それでもまぁまぁ真面目にやってるんだ。周りもわりとそうだし、それが普通。
 合唱は調和が大切だから、もっとゆるくやりたいよねっていうのは、言い出しにくい空気ではある。

 譜面を置こうとコピー機のカバーを上に開けたら、ひらりとガラス台の上にカードが落ちた。
 直前にコピー機を使った人が忘れていって、カバーとガラス台の間にはさまったままだったらしい。
 トランプカードかな?
 勝手にさわるのは気が引けるけど、置いたままでは使えない。お店の人に預けておいた方がよさそう。

 手に取ってみればトランプカードより少し大きかった。
 何気なく表に返してみたら人魚のイラストが描かれている。海中を優雅に泳ぐ姿。ステンドグラス風に黒い縁取りがあって、窓から光が差し込んでいるようにきらめいていた。
 右上にはひらがなの「に」の文字が○で囲んであって、なんだかカルタの絵札みたい。

 なんの目的でコピーしたんだろう?
 ふと顔を上げると、コーヒーカップ片手に店から出て行こうとしている女性と目が合った。
「あっ」という顔している。彼女がこれを忘れていったのかもしれない。
 そう思っていたら、カップを持つ手を慎重にしつつもこちらに走ってきた。

 二十代半ばくらいだろうか。低めのヒールに事務服。髪をひとつにまとめた無個性なんだけどすごい美人だった。
 どこかで見たことがあるような……
 もしかしたら、この前合唱部で行った福祉施設にいた人かもしれない。
 うちの合唱部はコンクールではまったく成績が残せてないが、地域のイベントなどに参加して歌を披露させてもらうことがある。

 でも、向こうは気づいてないかも。
 その女性以上にわたしは無個性だ。

 女性はちょこんと頭を下げた。
「ごめんなさい。そこにあったのね」
「いえ、ぜんぜん」

 カードを差し出すも、女性は片手にはコップ、もう片方には肉まんを持っていて、手がふさがっていた。彼女の方から申し出てくれれば、腕にかかっているミニバッグの隙間にカードを差し込んであげるのだけど……
 でも、女性はカードには目もくれず、わたしが持ってる楽譜に視線を落としていた。

「軽音部?」
「いえ、合唱部です」

 そういうわたしの顔をまじまじと見て、女性は納得したようにうなずいた。
 どうあがいたって、わたしはバンドをやっているような陽キャには見えない。
 バンドだって合唱だって、ただステージに立てばいいってものではなくて、そこにいたるまで彼らと同じ時を過ごすことを考えたら、隅っこでうずくまっている自分しか想像できない。

「そっかそっか」
 気まずくなるほど女性はニコニコしている。人が良さそうに、まったく悪気なく。
 彼女はたぶん、わたしみたいな経験をしたことがない。この場から消えてしまいたくなるということが。

 会話も続かず、もう一度カードをグイッと差し出した。
 コーヒーと肉まんの鉄壁ガードがそれを阻む。不覚にもわたしは笑いかけたがこらえた。
 彼女は一向に受け取ろうとしない。

「じゃあ、そのカード、あなたが持ってて」
「え?」

 予想外だった。いくらなんでもそれは意味が分からない。
 軽音だろうが合唱だろうがカルタなんて必要ない。絵札が一枚だけあっても仕方ないし、そちらだって一枚足りなければ困るだろう。コピーしていたとしても、ペラペラの紙かせいぜい写真用紙。オリジナルのカードには遠く及ばないはず。

 そもそもこのカード、カルタではないとか?
 ぜんぜん目的がちがって、運気を上げるカードだったりして。
 いやいやいや、それはないよね。

 なんにしても、女性は受け取る気なんてさらさらないようだった。
 そもすると、はじめからこのカードを持って帰るよう伝えにやってきたくらいに強固な姿勢だ。
 彼女はわたしをジッと見据えた。

「あなたは人魚姫」
「わたしが、人魚姫?」

 声がひっくり返りそうになった。
 人魚って、カードに描いてある人魚のこと? なにかのゲームを始めようっていうのか。
 面倒な案件かも……露骨に顔に出しちゃったけど、女性は微笑みで受け止めた。

「人魚姫は希望をつなぐため、声を失う」
「声――」

 ドキリとした。
 とたんに『人魚姫』という物語が輪郭を持ってくる。幼いころに読んだ童話。王子さまに近づくため、自分の美しい声を失ってまで思いをとげようとする半魚の女性。
『人魚姫』って不幸な結末じゃなかったっけ?

「あの……それは、どういう……?」
 不審がっているわたしを、彼女はやっぱり気にもとめなかった。
 わたしの反応は想定内だったみたいだ。
「大丈夫、悲観しなくていいの。導かれるから」
 穏やかにそれだけいうと、彼女はすんなり帰っていった。

 導かれる――
 頭の中はハテナマークばかりだ。
 言葉の意味は知ってるけど、先生だって親だって、どんな指導者からも言われたことはない。
 使う局面だって知らない。
 導かれるだって。
 ただのおもしろエピソードかよ。

 とはいえ、さすがにその場でカードを捨ててしまうのもどうかと思ったし、ゴミ箱も近くにないのでとりあえずポケットにでもしまっておこうとしたら、絵柄が変わっていることに気がついた。
 人魚じゃない。
 尾ひれがなくなって、二本の素足で立っている。
 おかしな言い方だが、まごうことなくこれは人間の女性だ。深海色のワンピースを着て、地に足つけて歩いている。

 なにこれ。マジック? ドッキリ?
 カードが二枚重なっているのでもないし。カードをなでたり、裏に返したり、誰かに見張られているのか、キョロキョロもした。
 タネも仕掛けもなくて、仕掛け人もいないとか、そんなことあるの?
 まだ続きがあるのかな。
 導かれるまで待てばいいってこと?

 ひとり、男性がこちらへ向かってきた。
 どきどきしていたら、通りすがっていき、奥でマンガの立ち読みをはじめた。
 なんだ無関係な人だ。
 気がかりだけど、今はこれ以上なにも起こらないみたいだ。
 さっさとコピーして帰ろう。新しい楽曲をまた覚えなくちゃいけない。