今、あたしは兄が最後に見た景色と同じ景色を見ている。
違うのは、フェンスがあるかないかだけ…。
30年前の暑い夏の日、帝王切開で、あたしは産まれた。
帝王切開で産まれたあたしは、白粉をつけてるように、真っ白な赤ちゃんだった。
あたしと兄は、2歳しか離れてなかったので、両親は兄の赤ちゃん返りを心配していた。
兄とあたしの初顔合わせは、あたしが産まれて2日後だった。
兄は、あたし用のおもちゃを持って、浮かれながら、父に連れられて来た。
兄は、あたしの顔を見るなり、満面の笑み。
「赤ちゃん、おもちゃだよ。」
兄が持って来たおもちゃは、タオルで出来たうさぎだった。
手を出さないあたしに、兄は困惑…。
「赤ちゃん、これ嫌い?」
不安そうな兄に、父が言った。
「赤ちゃんはね、おもちゃが何か分かってないんだよ。」
「そうなの?」
「うん。
もう少ししたら分かってくるよ。」
「そうなんだ!」
兄は、父の言葉に納得したかのように、あたしの手をツンツンしてきた。
あたしが兄の手を握り返すと、大喜びの兄。
「赤ちゃん、可愛い!!
赤ちゃん、白いね。
寒い?
寒くない?」
「赤ちゃんは、寒くないよ。
大丈夫。」
そろそろ、面会時間の終わりに近づき、父は兄に帰ることを促した。
「かずひろ、そろそろ家に帰ろう。」
「やだ。」
「赤ちゃんも、今日は疲れてるから。」
「じゃあ、僕が見てる。」
「赤ちゃん、寝るんだぞ?」
「寝顔見とく。」
「明日も連れてきてあげるから。」
「…ホント?」
「うん。
約束。
だから、今日は帰ろう。」
「分かった。
赤ちゃん、明日ね。」
兄は、渋々帰って行った。
「赤ちゃん、色白で可愛いから、ぼくが守ってあげる!!」
総帰りの車の中で叫んでいた。
次の日、また満面の笑みで兄が来た。
「えりちゃん。
おもちゃ分かる?
これだよ。」
兄は、あたしのことを、えりちゃんと呼んで、手に昨日のぬいぐるみを触らせてくれた。
それでも、手を出さないあたしを見つめた。
「まだ、分からない?
ぬいぐるみさんだよ。
おもちゃだよ。」
必死に教える兄を見て、両親は、愛おしそうに見ていた。
「かずひろ、えりちゃんとは?」
「赤ちゃんの名前。
えりちゃんって名前にするの。」
両親は、色んな名前を兄に言ったけど、兄は断固として譲らず、えりに決まった。
「えりちゃん。
僕、にぃにだよ。
覚えてね?」
新生児特有のニヤけ顔のあたしを見て、兄は大興奮!!
「えりちゃんが笑った!!
僕のこと分かるみたい!!
えりちゃん、にぃにだよ。
いっぱい笑ってね。」
兄の喜びように、両親は新生児の特有とは言えず、微笑むしかなかった。
当時、帝王切開は2週間の入院が必要で、あたしと母は、2週間きっちり入院した。
兄は父に連れられて、毎日来てくれた。
父方の親族が来ても、母方の親戚が来ても、兄はあたしから目を離さなかった。
親戚たちが帰った後、兄は必ずあたしに指を握らせていた。
退院の日。
ベビードレスを着たあたしを見て兄は叫んだ。
「お姫様がいる!!
えりちゃん、お姫様だったの?
えりちゃん、可愛いもんね。
僕が守ってあげる!!」
そう言って、母の前を歩き、危険物がないか、パトロールする兄…。
退院が丁度お昼だったので、家族でラーメンを食べに行った。
あたしが泣くと、すぐに兄が来て、両親にお知らせしていた。
程なく、ご睡眠に入ったあたし。
そのまま、まずは、父の実家に行った。
父方の祖父母は大喜び。
代わる代わる、あたしを抱っこしてあやしてくれていた。
祖父母があやしている間も、兄はあたしから離れなかった。
「お兄ちゃんのガード固いわね。
これじゃ、えりちゃんに彼氏ができたら、どうなるのかしら…笑笑。」
「これからが大変だぞ?笑笑。」
みんな笑顔だった。
次に、母の実家に行った。
まずは、歩くのが困難になりつつある、曽祖母とご対面。
「可愛い子だねぇ。
名前は?」
「えりちゃんだよ。
僕が付けたの。」
「そう。
お兄ちゃんに、素敵な名前もらったねぇ。」
兄は、自慢げに鼻を膨らませた。
曽祖母は、母を見た。
「まだ、仕事続けるの?」
「そうよ。
育休が済んだら、仕事復活するの。」
「聡太さんの稼ぎだけでもやっていけるのに…。
もっと、家族を見なさい。」
母は、小学校の教師をしていた。
因みに、父は高校の教諭。
充分、父の稼ぎだけで生活出来た。
それでも、母は育休が明けると、仕事に復帰した。
母の仕事復帰に伴って、あたしと兄は、保育園に入れられた。
兄は、時間を見つけては、あたしのとこに来た。
お昼寝も、あたしとすると言って聞かず、布団持ち込みで、あたしとお昼寝をしていた。
あたしが泣けば、教室まで来て、先生がミルクを飲ませるまで、あたしをあやし続けた。
家に帰れば、自分の身支度を素早く済ませ、あたしと遊んだり、あたしのお世話をしてくれた。
勿論、おむつ替えは両親がしていたらしいけど…。
兄のシスコンぶりは凄かった。
あたしの首が座ると、一緒に寝ます!と言って、あたしに腕枕をしてご睡眠…。
離乳食が始まると、母と10倍がゆや、離乳食を作り、あたしに食べさせてくれていた。
ハイハイが出来るようになると、兄は周りに危険な物がないか、パトロールし始める。
あたしを守っていて、足元におもちゃがある時は、すぐに片付けて、ハイハイの邪魔になるものは、片付けていた。
あたしが初めて言葉にしたのは、勿論、にぃに。
保育園でも、にぃにが来るのを待っているあたし。
時間が出来たら、すぐに、あたしのとこに来てくれるにぃに。
この頃から、母方の親戚は、兄ばかりを贔屓にしていた。
兄は、それが気に入らず、あたしにも同じようにしない大人に怒っていた。
それでも、贔屓は止まらなかった。
その事は、父もいいと思っておらず、兄にしっかり躾けていた。
「えりと半分こ。」
これが父の口癖で、兄も同じように、母方の親族に言っていた。
1歳になると、ビデをカメラを回す父と、あたしに構ってばかりの兄が映っていた。
でも、1歳と言えば、1キロのお餅を背負って、歩かせると言う風習があり、重すぎて機嫌の悪いあたし。
しかも、ハイハイで算盤、財布、筆を置かれ、何を取るのかを見るのも風習であり、あたしの不機嫌さは増すばかり。
そして、そこに出てきたのは、猫のキャラクターのケーキ。
ケーキが何なのかも、蝋燭に火がついてる意味も、重いものを背負わされてる意味も、何もわからず、ケーキに八つ当たりの平手打ちをしたら、手がクリームだらけになった…。
その事も、気に入らず、大泣きを始めた。
兄は大慌てで、手についたケーキを取ってくれ、お餅もおろしてもらって、兄に抱きついた。
「えりちゃん。
大丈夫だよ。
今日はね、えりちゃんの大切な日なんだよ。
そのお祝いなの。
でも、分からない事だらけで、びっくりしたんだよね。
大丈夫だよ。
にぃにがいるから。」
あたしは、泣き疲れて、兄の腕の中でスヤスヤ…。
あたしに壊されたケーキは、あたしが寝てる間に、大人と兄が食べた。
2歳になると、兄は4歳になるわけで、お昼寝も、あたし達はあるけど、兄達はなかった。
当然、今まで通り、兄が来てくれないので、大泣きのあたし。
何度も兄のことを呼んだ。
「にぃに…。
にぃに…。」
それでも来てくれないと泣き疲れて寝るまで、先生と体力勝負。
降参になると、にぃにを先生が呼び、にぃにの腕の中でお昼寝。
これが毎日。
再来年には、卒園を控えてる兄…。
兄が卒園すると、兄を呼びようがない…。
つまり、毎日、体力勝負…。
何か対策を取ろうと先生達は頭を悩ませていた。
兄5歳。
あたし3歳。
お友達と遊んでる兄の邪魔をしたくない先生達は、ある秘密兵器を手にしていた。
あたしが、いつものように、兄がいなくて泣いていたら、秘密兵器を出された。
秘密兵器…それは、何の匂いのついたパジャマとタオル!
ダメ元でやってみると、大成功!
あたしは、パジャマに包まれて、タオルをかけてもらうと、すぐにスヤスヤ…。
「えりちゃん、かなりブラコンになっちゃったわね…。」
「まぁ、かずひろ君もかなりのシスコンだけどね…。
2人が大きくなったら、どうなるんだろうね…。」
「心配だわ…。」
と、お昼寝の最中、職員室に戻った先生達のお話し…。
卒園式が迫った頃、父と母は、よく喧嘩をするようになった。
内容は、母が浮気した。
浮気相手の子供を妊娠している。
母の言い分は、兄をちちに。
あたしは母に。
慰謝料は払う。
養育費は払わない。だった…。
父の言い分は、当然、慰謝料は2人に払ってもらう。
養育費はこちらも払わない。
えりも渡さない。だった。
問題になったのは、親権争い。
母の実家のことを見てきた父は、あたしが虐待されるかもしれないと思っていて、それを助けるには、親権を渡さないことだと思っていた。
親権争いは、かなり長引くと予想されたが、兄と父が寝ている間に、母があたしを連れて、母の実家に戻ったことで、弁護士同士話し合い、あたしの親権は母になった。
この時、本当に父が親権をとっていたら、あたしの人生は大きく変わっていたと思う。
母の実家に連れてこられて、最初は、兄がいないことに不安だったけど、いつの間にか、兄がいたことも、父のことも、忘れてしまった。
母の実家は、曽祖母、母の叔母夫婦が2組、祖母、母、あたし、あたしの従姉妹家族が2組いた。
曽祖母は一軒家に住んでて、叔母夫婦に一軒家の長屋に住んでいて、従姉妹に一軒ずつ、祖母に一軒、母とあたしに一軒と大きな家だった。
母は大金持ちのお嬢様だったことを初めて知った。
母は、学校の仕事が終わるまで、学校に残っていたので、母の親戚達が、あたしの親代わりだった。
言葉を覚えていく段階で、母の事を何て呼んだらいいのか分からなくて、お姉さん。と呼んでいた。
何故、お母さんと言えなかったかと言うと、母の事をお母さんと呼ぶ人がいなかったから。
そこで、1歳上の従姉妹に、えりちゃんのお母さん。と呼ばせるようにした。
作戦はうまくいき、えりちゃんのお母さんと呼ぶようになった。
あたしが、まだ、実家に慣れていないのに、母は再婚した。
義父は、お金がなくて、父子家庭で育った人だったので、財産目当てだ!と母方の親戚は猛反対。
更に、義父があたしを虐待するのでは?と考えられ猛反対だった。
義父からしてみれば、全員、母の親戚で、不安な中、残酷なことを言われて、ツラかったと思う。
義父とも、実家とも、馴染めないまま、弟が産まれた…。
弟が出来たのは嬉しかった。
だけど、これが地獄の始まりだった。
実の子が欲しかった義父。
男の子が欲しかった母。
後継が欲しかった、祖母、母の親戚は、後取りが産まれた!と大騒ぎ…。
曽祖母は、弟が生まれる前に他界していた。
せめてでも、曽祖母が生きてくれていたら、あたしにも楽しい人生があったのかもしれない…。
この日から、あたしは要らない子になった…。
義父は、気に入らないことがあると、あたしに暴力を振るうようになった。
痛くて泣いたら、テレビの声が聞こえない!と更に、暴力を振るわれた。
母は、そんなあたしを無視…。
祖母は、手を出されない弟を庇ってばかり…。
誰も止めてくれず、義父の気が済むまで耐えるしかなかった…。
義父の機嫌は、プロ野球の勝敗で決まっていた。
話せる時も、義父の顔色を伺って話すのが当たり前になった。
あたしは、両親と話すことを止めた。
それでも、話したい欲求は増していって、ある日、母の鏡台に向かって、話しかけてみた。
鏡なので、当然、返事は返ってこない…。
それでも、話しを聞いてくれてるという、幸せがあって、毎日鏡に話しかけた。
ある日、いつものように、鏡に話しかけていたら、女の子の声が聞こえた。
女の子の名前はリノ。
晩ご飯になると、リノは消えていた…。
不思議に思ったけど、両親には言わなかった。
次の日、幼稚園から帰ってすぐに母の鏡台に向かった。
リノはすぐに来てくれた。
リノが、どこから来て、どこに帰ってるのか、不思議で聞きたかったけど、聞いたらリノが消えそうな気がして、聞けれなかった…。
リノと遊ぶことで、寂しさを感じることもなく、楽しんでいた。
リノと遊ぼうとしていたら、リノが男の子を連れて来た。
男の子の名前はユウキ。
ユウキは、無口で料理が上手いと聞いた。
この日から、ユウキ、リノ、あたしで遊ぶようになった。
リノとユウキと遊ぶようになって、数日が経った日に、2人が女の子を連れて来た。
女の子の名前は夢香(ゆめか)。
夢香は、3人の中で1番お姉さんだった。
その日、義父の機嫌が過去一悪かった…。
「えり!!
ちょっと来い!!」
あたしは、恐る恐る、義父に近づいた。
すると、義父は、あたしの腕にタバコの火を押し付けようとしてきた!
「いやぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
あたしは、めいいっぱい叫んだ。
腕を離してもらおうと、必死で抵抗した。
「えり!!
これは、焼いとだ!!
ほれ、熱いぞ?
ほれほれ。
泣くえりの顔おもしれぇ!!
ほれ、焼いとだぞ?
もっと泣け!!」
誰も助けてはくれない…。
母も祖母も、見て見ぬふり…。
なんとか振り切って、火傷はしなかったけど、これまでのことが、頭によぎり、外に飛び出た。
すると、母が鬼の形相で、追いかけて来た。
「えり!!
家出するなら、全裸で出て行って!
これは、うちの子に買ったもの!
えりは、もう、うちの子じゃないから、全部返して!
靴も全部よ!!」
あたしは、ポカーン…。となった。
「(この人は、何を言ってるんだろう…。)
(真冬に全裸…?)
(殺す気なのかな…?)」
「ほら!!
脱げ!!」
無理矢理、服を脱がされ始めた…。
「やめてっ!!
いやっ!!」
「じゃあ、家出するな!!」
そう言われて、引きずられて家に帰らされた…。
次の日も、義父の機嫌が悪かった。
理由は、応援しているチームが負けたから。
殴る蹴るの暴力に耐えるため、あたしは目を瞑って覚悟した。
すると、殴られているだろうと思う時に、不思議と痛くなかった…。
何故だろ…。と思っていたら、傷だらけの夢香が、リノ達に傷の手当てをしてもらっていた。
「夢香、どうしたの!?
大丈夫?!」
「大丈夫!
平気だよ。
私が1番お姉さんだから、大丈夫!!」
あたしは、大粒の涙を流した。
それから、義父に暴力振るわれても痛くなかった。
「(夢香が助けてくれてる…。)」
夢香に申し訳なかった…。
「(あたしが強かったら…。)」
そう何度も思った。
でも、不思議なことに、夢香が傷を受けると、後から自分が痛くなっていた。
不思議には思ったけど、夢香が暴力受けてるのは、間違いなくて、頭の中で考えようとしても、答えに辿り着けなかった…。
暴力を受けたら、受けてる時は痛くなくて、その後に痛みを感じる日々…。
数日後、また、応援しているチームが負けた…。
あたしは、身構えた。
それが、義父の逆鱗に触れた…。
「えり!!
親に向かって、その目はなんだ!!
俺が食わせてやってるんだろ?!!
今日という今日は、徹底的にやってやる!!」
義父が手にしたのは、縄で出来た蛇のおもちゃ…。
「悪い子は、こうだっ!!」
そう言って、水膨れがいくつも出来るほどに、叩かれた。
泣き叫ぶと、もっと強くされた…。
あたしは、コイツを悪魔だと思った。
だけど、家出は出来ない…。
全裸で出ていかなきゃ、いけないから…。
心はズタボロだった…。
義父の小賢しいとこは、服を脱がないと見えないところに傷を負わせること。
虐待しているのを隠すためか、お遊戯会や参観日には、必ず義父も母も来ていた。
この2人にとって、世間体が1番大切なんだと、気付かされた…。
そんなあたしも、卒園することになった。
卒園式には、義父も母も来ていた。
「(また、世間体か…。)」
そう思うと、ツラかった…。
違うのは、フェンスがあるかないかだけ…。
30年前の暑い夏の日、帝王切開で、あたしは産まれた。
帝王切開で産まれたあたしは、白粉をつけてるように、真っ白な赤ちゃんだった。
あたしと兄は、2歳しか離れてなかったので、両親は兄の赤ちゃん返りを心配していた。
兄とあたしの初顔合わせは、あたしが産まれて2日後だった。
兄は、あたし用のおもちゃを持って、浮かれながら、父に連れられて来た。
兄は、あたしの顔を見るなり、満面の笑み。
「赤ちゃん、おもちゃだよ。」
兄が持って来たおもちゃは、タオルで出来たうさぎだった。
手を出さないあたしに、兄は困惑…。
「赤ちゃん、これ嫌い?」
不安そうな兄に、父が言った。
「赤ちゃんはね、おもちゃが何か分かってないんだよ。」
「そうなの?」
「うん。
もう少ししたら分かってくるよ。」
「そうなんだ!」
兄は、父の言葉に納得したかのように、あたしの手をツンツンしてきた。
あたしが兄の手を握り返すと、大喜びの兄。
「赤ちゃん、可愛い!!
赤ちゃん、白いね。
寒い?
寒くない?」
「赤ちゃんは、寒くないよ。
大丈夫。」
そろそろ、面会時間の終わりに近づき、父は兄に帰ることを促した。
「かずひろ、そろそろ家に帰ろう。」
「やだ。」
「赤ちゃんも、今日は疲れてるから。」
「じゃあ、僕が見てる。」
「赤ちゃん、寝るんだぞ?」
「寝顔見とく。」
「明日も連れてきてあげるから。」
「…ホント?」
「うん。
約束。
だから、今日は帰ろう。」
「分かった。
赤ちゃん、明日ね。」
兄は、渋々帰って行った。
「赤ちゃん、色白で可愛いから、ぼくが守ってあげる!!」
総帰りの車の中で叫んでいた。
次の日、また満面の笑みで兄が来た。
「えりちゃん。
おもちゃ分かる?
これだよ。」
兄は、あたしのことを、えりちゃんと呼んで、手に昨日のぬいぐるみを触らせてくれた。
それでも、手を出さないあたしを見つめた。
「まだ、分からない?
ぬいぐるみさんだよ。
おもちゃだよ。」
必死に教える兄を見て、両親は、愛おしそうに見ていた。
「かずひろ、えりちゃんとは?」
「赤ちゃんの名前。
えりちゃんって名前にするの。」
両親は、色んな名前を兄に言ったけど、兄は断固として譲らず、えりに決まった。
「えりちゃん。
僕、にぃにだよ。
覚えてね?」
新生児特有のニヤけ顔のあたしを見て、兄は大興奮!!
「えりちゃんが笑った!!
僕のこと分かるみたい!!
えりちゃん、にぃにだよ。
いっぱい笑ってね。」
兄の喜びように、両親は新生児の特有とは言えず、微笑むしかなかった。
当時、帝王切開は2週間の入院が必要で、あたしと母は、2週間きっちり入院した。
兄は父に連れられて、毎日来てくれた。
父方の親族が来ても、母方の親戚が来ても、兄はあたしから目を離さなかった。
親戚たちが帰った後、兄は必ずあたしに指を握らせていた。
退院の日。
ベビードレスを着たあたしを見て兄は叫んだ。
「お姫様がいる!!
えりちゃん、お姫様だったの?
えりちゃん、可愛いもんね。
僕が守ってあげる!!」
そう言って、母の前を歩き、危険物がないか、パトロールする兄…。
退院が丁度お昼だったので、家族でラーメンを食べに行った。
あたしが泣くと、すぐに兄が来て、両親にお知らせしていた。
程なく、ご睡眠に入ったあたし。
そのまま、まずは、父の実家に行った。
父方の祖父母は大喜び。
代わる代わる、あたしを抱っこしてあやしてくれていた。
祖父母があやしている間も、兄はあたしから離れなかった。
「お兄ちゃんのガード固いわね。
これじゃ、えりちゃんに彼氏ができたら、どうなるのかしら…笑笑。」
「これからが大変だぞ?笑笑。」
みんな笑顔だった。
次に、母の実家に行った。
まずは、歩くのが困難になりつつある、曽祖母とご対面。
「可愛い子だねぇ。
名前は?」
「えりちゃんだよ。
僕が付けたの。」
「そう。
お兄ちゃんに、素敵な名前もらったねぇ。」
兄は、自慢げに鼻を膨らませた。
曽祖母は、母を見た。
「まだ、仕事続けるの?」
「そうよ。
育休が済んだら、仕事復活するの。」
「聡太さんの稼ぎだけでもやっていけるのに…。
もっと、家族を見なさい。」
母は、小学校の教師をしていた。
因みに、父は高校の教諭。
充分、父の稼ぎだけで生活出来た。
それでも、母は育休が明けると、仕事に復帰した。
母の仕事復帰に伴って、あたしと兄は、保育園に入れられた。
兄は、時間を見つけては、あたしのとこに来た。
お昼寝も、あたしとすると言って聞かず、布団持ち込みで、あたしとお昼寝をしていた。
あたしが泣けば、教室まで来て、先生がミルクを飲ませるまで、あたしをあやし続けた。
家に帰れば、自分の身支度を素早く済ませ、あたしと遊んだり、あたしのお世話をしてくれた。
勿論、おむつ替えは両親がしていたらしいけど…。
兄のシスコンぶりは凄かった。
あたしの首が座ると、一緒に寝ます!と言って、あたしに腕枕をしてご睡眠…。
離乳食が始まると、母と10倍がゆや、離乳食を作り、あたしに食べさせてくれていた。
ハイハイが出来るようになると、兄は周りに危険な物がないか、パトロールし始める。
あたしを守っていて、足元におもちゃがある時は、すぐに片付けて、ハイハイの邪魔になるものは、片付けていた。
あたしが初めて言葉にしたのは、勿論、にぃに。
保育園でも、にぃにが来るのを待っているあたし。
時間が出来たら、すぐに、あたしのとこに来てくれるにぃに。
この頃から、母方の親戚は、兄ばかりを贔屓にしていた。
兄は、それが気に入らず、あたしにも同じようにしない大人に怒っていた。
それでも、贔屓は止まらなかった。
その事は、父もいいと思っておらず、兄にしっかり躾けていた。
「えりと半分こ。」
これが父の口癖で、兄も同じように、母方の親族に言っていた。
1歳になると、ビデをカメラを回す父と、あたしに構ってばかりの兄が映っていた。
でも、1歳と言えば、1キロのお餅を背負って、歩かせると言う風習があり、重すぎて機嫌の悪いあたし。
しかも、ハイハイで算盤、財布、筆を置かれ、何を取るのかを見るのも風習であり、あたしの不機嫌さは増すばかり。
そして、そこに出てきたのは、猫のキャラクターのケーキ。
ケーキが何なのかも、蝋燭に火がついてる意味も、重いものを背負わされてる意味も、何もわからず、ケーキに八つ当たりの平手打ちをしたら、手がクリームだらけになった…。
その事も、気に入らず、大泣きを始めた。
兄は大慌てで、手についたケーキを取ってくれ、お餅もおろしてもらって、兄に抱きついた。
「えりちゃん。
大丈夫だよ。
今日はね、えりちゃんの大切な日なんだよ。
そのお祝いなの。
でも、分からない事だらけで、びっくりしたんだよね。
大丈夫だよ。
にぃにがいるから。」
あたしは、泣き疲れて、兄の腕の中でスヤスヤ…。
あたしに壊されたケーキは、あたしが寝てる間に、大人と兄が食べた。
2歳になると、兄は4歳になるわけで、お昼寝も、あたし達はあるけど、兄達はなかった。
当然、今まで通り、兄が来てくれないので、大泣きのあたし。
何度も兄のことを呼んだ。
「にぃに…。
にぃに…。」
それでも来てくれないと泣き疲れて寝るまで、先生と体力勝負。
降参になると、にぃにを先生が呼び、にぃにの腕の中でお昼寝。
これが毎日。
再来年には、卒園を控えてる兄…。
兄が卒園すると、兄を呼びようがない…。
つまり、毎日、体力勝負…。
何か対策を取ろうと先生達は頭を悩ませていた。
兄5歳。
あたし3歳。
お友達と遊んでる兄の邪魔をしたくない先生達は、ある秘密兵器を手にしていた。
あたしが、いつものように、兄がいなくて泣いていたら、秘密兵器を出された。
秘密兵器…それは、何の匂いのついたパジャマとタオル!
ダメ元でやってみると、大成功!
あたしは、パジャマに包まれて、タオルをかけてもらうと、すぐにスヤスヤ…。
「えりちゃん、かなりブラコンになっちゃったわね…。」
「まぁ、かずひろ君もかなりのシスコンだけどね…。
2人が大きくなったら、どうなるんだろうね…。」
「心配だわ…。」
と、お昼寝の最中、職員室に戻った先生達のお話し…。
卒園式が迫った頃、父と母は、よく喧嘩をするようになった。
内容は、母が浮気した。
浮気相手の子供を妊娠している。
母の言い分は、兄をちちに。
あたしは母に。
慰謝料は払う。
養育費は払わない。だった…。
父の言い分は、当然、慰謝料は2人に払ってもらう。
養育費はこちらも払わない。
えりも渡さない。だった。
問題になったのは、親権争い。
母の実家のことを見てきた父は、あたしが虐待されるかもしれないと思っていて、それを助けるには、親権を渡さないことだと思っていた。
親権争いは、かなり長引くと予想されたが、兄と父が寝ている間に、母があたしを連れて、母の実家に戻ったことで、弁護士同士話し合い、あたしの親権は母になった。
この時、本当に父が親権をとっていたら、あたしの人生は大きく変わっていたと思う。
母の実家に連れてこられて、最初は、兄がいないことに不安だったけど、いつの間にか、兄がいたことも、父のことも、忘れてしまった。
母の実家は、曽祖母、母の叔母夫婦が2組、祖母、母、あたし、あたしの従姉妹家族が2組いた。
曽祖母は一軒家に住んでて、叔母夫婦に一軒家の長屋に住んでいて、従姉妹に一軒ずつ、祖母に一軒、母とあたしに一軒と大きな家だった。
母は大金持ちのお嬢様だったことを初めて知った。
母は、学校の仕事が終わるまで、学校に残っていたので、母の親戚達が、あたしの親代わりだった。
言葉を覚えていく段階で、母の事を何て呼んだらいいのか分からなくて、お姉さん。と呼んでいた。
何故、お母さんと言えなかったかと言うと、母の事をお母さんと呼ぶ人がいなかったから。
そこで、1歳上の従姉妹に、えりちゃんのお母さん。と呼ばせるようにした。
作戦はうまくいき、えりちゃんのお母さんと呼ぶようになった。
あたしが、まだ、実家に慣れていないのに、母は再婚した。
義父は、お金がなくて、父子家庭で育った人だったので、財産目当てだ!と母方の親戚は猛反対。
更に、義父があたしを虐待するのでは?と考えられ猛反対だった。
義父からしてみれば、全員、母の親戚で、不安な中、残酷なことを言われて、ツラかったと思う。
義父とも、実家とも、馴染めないまま、弟が産まれた…。
弟が出来たのは嬉しかった。
だけど、これが地獄の始まりだった。
実の子が欲しかった義父。
男の子が欲しかった母。
後継が欲しかった、祖母、母の親戚は、後取りが産まれた!と大騒ぎ…。
曽祖母は、弟が生まれる前に他界していた。
せめてでも、曽祖母が生きてくれていたら、あたしにも楽しい人生があったのかもしれない…。
この日から、あたしは要らない子になった…。
義父は、気に入らないことがあると、あたしに暴力を振るうようになった。
痛くて泣いたら、テレビの声が聞こえない!と更に、暴力を振るわれた。
母は、そんなあたしを無視…。
祖母は、手を出されない弟を庇ってばかり…。
誰も止めてくれず、義父の気が済むまで耐えるしかなかった…。
義父の機嫌は、プロ野球の勝敗で決まっていた。
話せる時も、義父の顔色を伺って話すのが当たり前になった。
あたしは、両親と話すことを止めた。
それでも、話したい欲求は増していって、ある日、母の鏡台に向かって、話しかけてみた。
鏡なので、当然、返事は返ってこない…。
それでも、話しを聞いてくれてるという、幸せがあって、毎日鏡に話しかけた。
ある日、いつものように、鏡に話しかけていたら、女の子の声が聞こえた。
女の子の名前はリノ。
晩ご飯になると、リノは消えていた…。
不思議に思ったけど、両親には言わなかった。
次の日、幼稚園から帰ってすぐに母の鏡台に向かった。
リノはすぐに来てくれた。
リノが、どこから来て、どこに帰ってるのか、不思議で聞きたかったけど、聞いたらリノが消えそうな気がして、聞けれなかった…。
リノと遊ぶことで、寂しさを感じることもなく、楽しんでいた。
リノと遊ぼうとしていたら、リノが男の子を連れて来た。
男の子の名前はユウキ。
ユウキは、無口で料理が上手いと聞いた。
この日から、ユウキ、リノ、あたしで遊ぶようになった。
リノとユウキと遊ぶようになって、数日が経った日に、2人が女の子を連れて来た。
女の子の名前は夢香(ゆめか)。
夢香は、3人の中で1番お姉さんだった。
その日、義父の機嫌が過去一悪かった…。
「えり!!
ちょっと来い!!」
あたしは、恐る恐る、義父に近づいた。
すると、義父は、あたしの腕にタバコの火を押し付けようとしてきた!
「いやぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
あたしは、めいいっぱい叫んだ。
腕を離してもらおうと、必死で抵抗した。
「えり!!
これは、焼いとだ!!
ほれ、熱いぞ?
ほれほれ。
泣くえりの顔おもしれぇ!!
ほれ、焼いとだぞ?
もっと泣け!!」
誰も助けてはくれない…。
母も祖母も、見て見ぬふり…。
なんとか振り切って、火傷はしなかったけど、これまでのことが、頭によぎり、外に飛び出た。
すると、母が鬼の形相で、追いかけて来た。
「えり!!
家出するなら、全裸で出て行って!
これは、うちの子に買ったもの!
えりは、もう、うちの子じゃないから、全部返して!
靴も全部よ!!」
あたしは、ポカーン…。となった。
「(この人は、何を言ってるんだろう…。)
(真冬に全裸…?)
(殺す気なのかな…?)」
「ほら!!
脱げ!!」
無理矢理、服を脱がされ始めた…。
「やめてっ!!
いやっ!!」
「じゃあ、家出するな!!」
そう言われて、引きずられて家に帰らされた…。
次の日も、義父の機嫌が悪かった。
理由は、応援しているチームが負けたから。
殴る蹴るの暴力に耐えるため、あたしは目を瞑って覚悟した。
すると、殴られているだろうと思う時に、不思議と痛くなかった…。
何故だろ…。と思っていたら、傷だらけの夢香が、リノ達に傷の手当てをしてもらっていた。
「夢香、どうしたの!?
大丈夫?!」
「大丈夫!
平気だよ。
私が1番お姉さんだから、大丈夫!!」
あたしは、大粒の涙を流した。
それから、義父に暴力振るわれても痛くなかった。
「(夢香が助けてくれてる…。)」
夢香に申し訳なかった…。
「(あたしが強かったら…。)」
そう何度も思った。
でも、不思議なことに、夢香が傷を受けると、後から自分が痛くなっていた。
不思議には思ったけど、夢香が暴力受けてるのは、間違いなくて、頭の中で考えようとしても、答えに辿り着けなかった…。
暴力を受けたら、受けてる時は痛くなくて、その後に痛みを感じる日々…。
数日後、また、応援しているチームが負けた…。
あたしは、身構えた。
それが、義父の逆鱗に触れた…。
「えり!!
親に向かって、その目はなんだ!!
俺が食わせてやってるんだろ?!!
今日という今日は、徹底的にやってやる!!」
義父が手にしたのは、縄で出来た蛇のおもちゃ…。
「悪い子は、こうだっ!!」
そう言って、水膨れがいくつも出来るほどに、叩かれた。
泣き叫ぶと、もっと強くされた…。
あたしは、コイツを悪魔だと思った。
だけど、家出は出来ない…。
全裸で出ていかなきゃ、いけないから…。
心はズタボロだった…。
義父の小賢しいとこは、服を脱がないと見えないところに傷を負わせること。
虐待しているのを隠すためか、お遊戯会や参観日には、必ず義父も母も来ていた。
この2人にとって、世間体が1番大切なんだと、気付かされた…。
そんなあたしも、卒園することになった。
卒園式には、義父も母も来ていた。
「(また、世間体か…。)」
そう思うと、ツラかった…。

