偽りのお嬢様〜不器用な御曹司は、素顔の私を離さない〜


「……そういう場所、大事ですよね」

「ええ。如月さんにも、あります? そういう場所」

「あります」

私は少し考えてから、答えた。

「演劇部の部室が、そうかもしれないです。誰かをメイクしている間は、他のことを全部忘れられるので」

「メイクをしている間だけ?」

「はい。ブラシを持っているときは、頭の中がすごく静かになるんです。迷いがなくなるというか」

景斗さんは、目を見開いた。それから、少し間を置いて頷く。

「分かる気がします。俺も、絵を描いているときはそうで」

「絵を描くんですか?」

馬術と剣道の人が、絵を──。思わず、心の中で繰り返した。

「ええ。小さい頃から。言葉にできないものを、線にする癖があって。描いている間だけは、本当の自分でいられるんです」

言葉にできないものを、線にする。その言葉が、しばらく頭の中に残った。



少しして、注文していたパンケーキが運ばれてきた。

ふわふわで、溶けかけのバターが乗っていて、メープルシロップが脇に添えられている。

一口食べた瞬間、とろりと溶けて、甘さの中にほのかな塩気が広がった。

「美味しい……!」

思わず、声が出た。

「……あ、えっと。食の好みって、変わることがありますよね」

初めての顔合わせのとき『甘いものは、あまり』と答えたことを思い出した私は、慌てて付け加えた。