夏の、緑が濃い頃の景色。雨の日の、霞んだ街。朝早い時間の、光が柔らかい景色。
そして、一枚。雨の日のスケッチで、手が止まった。
近くの屋根がぼんやりと滲んで、遠くの山は完全に霞の中に消えている。
はっきり見えないのに、むしろそのせいで街全体がひどく広く感じられる一枚だった。
「この絵……」
「雨の日に来たとき。何も見えなくて、最初は帰ろうと思ったんですけど」
「残したんですね」
「うん。見えないからこそ、形にしたくなった」
その言葉が、しばらく頭の中に鳴り続けた。
次のページへ進んだ。同じ場所なのに、全部違う顔をしている。
光の当たり方によって、影の落ち具合によって、ここから見える街はこんなにも変わる。
どのページも、線の一本一本から、描いた人がその景色を本当に好きだということが伝わってきた。
彼が一人でここに来て、誰にも見せずに描いてきた時間が、このスケッチブックの中に詰まっている。
ずっとそれを一人で抱えてきた景斗さんが、今、私に向けて開いてくれている。
「景斗さん、本当に上手い」
「……ありがとう」
景斗さんが、照れたように視線を手元に落とした。
「誰かに見せたこと、あまりないから」
「もったいない。こんなに素敵なのに」
「君に見せたかったんだ。君に、一番に」
思いがけず言われて、次のページをめくろうとした手が止まった。



