ふたつの弧が、重なるとき ――元エースピッチャーの彼と、走り高跳びの彼女。熱を持った六年越しの初恋を、不器用に重ね合わせていく。【完結】

 ◇

 ――『好き』。

 その二文字が鼓膜を震わせた瞬間。
 僕の脳は、ありとあらゆる処理を強制終了した。

「…………」

 呼吸の仕方すら忘れ、完全にフリーズする。

 風が枯れ葉を転がす乾いた音だけが、不自然なほど大きく響いていた。

 直前まで、彼女は深い悲しみと怒りの入り混じった表情で、大粒の涙を流していた。
 どちらかといえば、僕の身勝手な行動を責め、拒絶している状況だったはずだ。

『好き』って……聞き間違いだろうか。
 都合のいい幻聴か?

 でも、小さな唇から紡がれた音は、たしかにそう聞こえた。

「……え? 今、なんて……」

「…………っ」

 掠れた声で聞き返すと、美絵はハッとしたように手を止め、拗ねたようにプイッとそっぽを向いてしまった。

 赤く染まった耳たぶと、ツンと尖らせた横顔。

(……可愛い)

 思わず見惚れそうになる自分に(いや、今はそうじゃなくて)と心の中で激しくツッコミを入れる。

「ご、ごめん。今、『好き』って聞こえた気がしたんだけど……」

 恐る恐る尋ねると。
 彼女は横を向いたまま――細い人差し指で僕を指差した。

(…………え……)

「……美絵、俺を、好きなの……?」

「……好きじゃなかったら」

 指差したままの彼女は、やや怒ったような声で言った。


「好きじゃなかったら、名前で呼んでとか、わざわざ野球観に行きたいとか……言うわけないじゃん……ばか」


 彼女が見せてきた、照れた顔、無防備に甘える顔、恥ずかしそうに俯く顔。
 これまでの言葉や行動のピースが、音を立てて一つひとつはまっていく。

 友達としてではなく。同郷の同級生としてでもなく。
 異性として、僕を――。

 脳がやっと状況を理解できたその瞬間。
 足元から頭のてっぺんまで、雷に打たれたような強烈な痺れが駆け抜けた。

 勘違いでもなく、夢でもないのか?
 あの彼女が、僕を。
 僕のことが……好きなのか。

 歓喜、安堵、そして身勝手な行動により泣かせてしまった自分自身の愚かさへの猛烈な反省。
 色んな感情がごちゃ混ぜになって押し寄せ、視界がぐらりと揺れた。

 何も言わず、ただ立ち尽くす僕の様子をチラリとうかがった美絵は、「…………!」と目を丸くして驚いた。

「祥くん……顔、真っ赤……」

「……見ないで」

 慌てて右腕で自分の顔を覆い隠し、横を向いた。
 今、どんなだらしない、もしくは興奮した顔をしているのか想像もつかない。

「…………」

「え、ちょっと……」

 彼女が、僕の顔を覗き込もうと、そーっと僕の腕をどかそうと指をかけてくる。

「……ちょっと!」

 それを止めようと、咄嗟に細い手首を掴んだ。

 その拍子に、正面からバチリと視線が絡み合う。

 少しだけひんやりとした彼女の体温。
 対照的に、火を噴きそうなほど熱い僕の顔。

 涙が残る瞳と至近距離で見つめ合い、胸の奥が痛むくらい鼓動が速くなる。

(あ……言わなきゃ)

 僕が何かを伝えようとしていることを察したのか、その瞳が不安そうに揺らぐ。
 彼女の手を優しく下ろし、まっすぐに見つめて、深く息を吸い込んだ。


「俺も、好き。……すごく、好き」


 秋の冷たい空気に溶かすように。
 ずっと閉じ込めていた熱のすべてを、言葉に乗せて伝えた。