ふたつの弧が、重なるとき ~六年越しの初恋が熱を持った。不器用に重なり合うふたりの想いが、やがてひとつの約束へとたどり着くまでの甘い軌跡。~

 しかし、そこに表示されていたのは祥ちゃんの名前ではなく――。

 私はふーっと長く息を吐きながら、通話ボタンを押した。

「……もしもし? お母さん?」

『あらー? なんか残念そうな声っ! せっかくお母さんが電話したのに〜』
 電話の向こうから、母の少し拗ねたような明るい声が聞こえてくる。

「違うよー、ごめんごめん」
 私はガチャガチャとドアの鍵を開けて、バタンと家に入りながら慌てて釈明した。

(祥ちゃんに電話しようと意気込んでたから、ただ拍子抜けしちゃっただけ……!)

 心の中でも必死に言い訳を重ねながら、靴を脱ぐ。

『なあに? 出かけてたの?』
 電話越しにドアの音が聞こえたのか、母が問う。
「うん、サークルの新歓」
『そうなのね。夜道は気をつけなさいよー』
「はあい」
 返事をしながら、部屋の電気をパチリと点ける。

 母からの要件は、「お米いる?」といういつもの確認だった。
 親戚に農家を営んでいる人がいて、美味しいお米がたくさん手に入るため、定期的に私の元にも送ってくれるのだ。
「うん、いる。ありがとう」

 お礼を伝えると、母は『お父さんは最近こうだ』とか、『二年生の生活はどう?』などと、次々と話題を広げていった。
 私はスマホをスピーカーモードにしてテーブルに置き、温かいお茶を淹れながら、母との他愛ない会話に相槌を打っていた。

『あ、そうだ。越智さんちの修平くん覚えてる? 美絵が中学の時、ちょっと家庭教師やってくれてた……』

 ふいに飛び出したその懐かしい名前に、私はお茶を注ぐ手をピタリと止めた。

 数秒の空白の後、なんとか声を絞り出す。
「あー……うん、覚えてるよ。どうしたの?」
 できるだけ平坦な声を装って返した。

 ――越智《おち》 修平《しゅうへい》。

 その名前を聞いたのは、一体何年ぶりだろう。

 中学生の時、私に勉強を教えてくれた人。
 例の――私の「元彼(?)」にあたる人だ。

『この前、修平くんのお母さんと久しぶりにお茶会してねー。修平くん、東京で就職したらしいんだけど、〇〇商事っていう大きな会社なんですって。すごいわよねー!』
「……〇〇商事?」

 その社名を聞いた瞬間、私の脳裏に一人の人物の顔がフラッシュバックした。
 サークルの先輩、千尋さんだ。
 同じ学部でもあり、いつも親切にしてくれて、今は将来に向けて頑張っている。

 そんな千尋さんが、先日悩んでいた時の言葉。
『第一志望は〇〇商事ってところなんだけど、OB訪問のツテもないし、全然情報得られなくて……』

『――じゃあ、美絵もこれからお風呂とか入るわよね?』
 母の声が電話の終わりを告げようとしている。
『そろそろ切るわね。お米、明日送るから〜』

 私はハッとして、慌ててスマホを手に取った。

「……あ、待ってお母さん!」

 思わず、引き留めるように大きな声が出ていた。

 祥ちゃんとのことで、頭がいっぱいだったけれど。
 いつもお世話になっている千尋さんに、今度は私が力になれるかもしれないという思いが、自然と私を突き動かしていた。

「……あのさ。修平くんのことなんだけど……」

 私は少しだけ息を整え、スマホの向こうの母に、あるお願いを口にした。