ふたつの弧が、重なるとき ――元エースピッチャーの彼と、走り高跳びの彼女。熱を持った六年越しの初恋を、不器用に重ね合わせていく。

 バイトを終えて更衣室でスマホを開いたが、美絵からの返信はなかった。

 彼女のほうはとうに終わっているはずの時間だ。
 帰り道、歩きながら何度も画面を確認したけれど、通知はない。

(家に着いたら、電話してみようか……)

 いや……昼間のこともあって、今は話したくないのかもしれない。
 とりあえず家に着いてから、もう一度メッセージを送って様子を見よう。

 そんな考えを巡らせながら、アパートの階段を上がる。

 角を曲がり、自分の部屋のドアが視界に入った瞬間――。
 僕は、目を見開いた。

「……え? 美絵!?」

 扉の前に、ちょこんとしゃがみ込んでいる小さな影。
 それは間違いなく、美絵だった。

 驚いて駆け寄る。
 ゆっくりと頭を上げた彼女は、「あ、祥ちゃん」と、少しホッとしたような、力無い笑顔を見せた。

「……いつからいた?」

「んー……二十分くらい前かな」

 思わず、その手に触れた。
 春とはいえ、夜風はまだ肌寒い。
 美絵の小さな手は、すっかり冷え切っていた。

 急いで鍵を開け、彼女を中に押し入れてドアを閉めた。

「……ごめん。突然来ちゃって」

「……暗くなってから来るときは、連絡ほしい。一人で夜道を歩くのも、家の前で待ってるのも危ないから」

 本当に驚いて心配したせいで、自分でもわかるくらい声が低く、硬くなってしまった。
 責めるつもりはなかったのに、美絵はビクッと肩を揺らしてから視線を落とした。

「……ごめんなさい」

「……怒ってるわけじゃないんだけど……心配だから」

 フォローするように言ったけれど、彼女は俯いたまま小さく頷くだけだった。

 靴を脱ぐ美絵の横を通ったとき、ふわっと甘い匂いが鼻をかすめた。
 シャンプーや柔軟剤じゃない。これは――。

「……お酒、飲んでたりした?」

 そう尋ねると、ややバツが悪そうに「……うん」と頷いた。

「……誰と?」

「店長と……柳くん」

「…………へえ」

 努めて平坦な声で返したが、胸の奥がチクッと刺されたように痛んだ。

(俺からのメッセージには返信せず、彼らと飲んでいたのか……)

 カチッ、と電気をつける。
 明るくなった部屋で改めて顔を見ると、目元が赤く腫れていることに気がついた。

「え、美絵……泣いた?」

 顔を覗き込むと、彼女はサッと目を伏せ、しばらく黙り込んだ。

「……うん。バイトでミスしちゃって、落ち込んじゃって」

 ぽつりとこぼされた理由。
 なんとなく、それだけではないような気がした。

 でも、泣き腫らした顔を問い詰める気にはなれなかった。

「……そうなんだ」

 それ以上深く聞くのはやめて、小さく息を吐いた。

 とりあえず、先にお風呂に入ってもらった。
 続いて僕もシャワーを浴びて出る頃には、時間もすっかり遅くなっていた。

 お互い必要以上の会話はしないまま、電気を消して静かに布団に入った。

 いつもより少し隙間を空けた隣から、美絵の寝息が聞こえてくる。

(柳くんと……何話したんだろう)

 暗闇の中で、嫌な想像だけが頭の中をぐるぐると回り続けていた。