亡者逃走中 in 現世

テレビでは特別番組『貞子』が流れていた。
薄暗い井戸の底から、白いワンピースの女が這い出てくる。
濡れた髪が顔に張り付き、その隙間から覗く目が、じっと画面のこちら側を見つめていた。
​「ひぃっ……」
​思わず、ソファの端を生地がちぎれんばかりにぎゅっと掴む。
画面の中の貞子は、関節の位置が分からないほど不自然に身体をくねらせ、じり、じりと不気味な動きでこちらへ近づいてくる。心臓がバクバクと早鐘を打った、その時だった。
「ねぇ、昼ご飯パスタで良い?」
「ぎゃぁぁぁ!」
背後から突然かけられた声に、完全に限界を迎えていた私は悲鳴を上げてソファから飛び上がった。
「うわ、何……」
「知らなかった。現世では死んだはずの人間が夜な夜な現れたりするんだね……怖っ」
「え、アンタ。今まで何を裁いてきたの?」
変成くんが半目で私を見る。
「冥府の王だって貞子は怖いよ!」
「ただのビビりなだけじゃないの?」
……何も言えなかった。
​お昼ご飯のパスタを急いで食べ終えてから、私たちは手早く出掛ける用意をする。
今日は、長らく行方不明になっている十王の一人、都市くんの情報を探すのだ。
ちなみに、くじ引きで手に入れたあの『温泉半額チケット』での旅行は、来週の週末に行くことになった。本当は平等王を誘って甘いものでも一緒に食べようと思ったんだけど、その日はどうしても外せない大事な用事があるらしくて申し訳なさそうに断られてしまった。
約束の待ち合わせ場所に到着すると、そこにはすでに宋としょーくん、そして足元で尻尾を振るオムライスが待っていた。
「あれ、ごーちゃんは?」
「アイツならさっき『今、家を出た〜☆』ってメッセージが来たぞ。全く、緊迫感のないやつだ」
しょーくんが腕を組んで不機嫌そうに眉をひそめる。
​それからしばらく待っていると、駅の人混みの向こうから、ようやく見慣れた派手な姿が近づいてきた。ゆるっとしただるそうな歩き方で、片手をひらひらと上げている。
「お待たせー」
「二十分遅刻だぞ、走ってこい!!」
「いやぁ、靴下が片方見つからなくてさ」
「子供か!」
しょーくんが呆れたように言った。
「都市くんが現世のどこに行ったのか分かれば良いんだけどね〜」
宋が頭の後ろで手を組みながらのんきに呟く。
「結構バラバラに散らばったからね〜」
「都市王がいそうな場所を探すしかないね」
変成くんの提案で、私たちは効率を求めて手分けすることはせず、何かあった時のために全員まとまって動くことにした。
久しぶりに乗る電車は何だか新鮮(しんせん)で楽しくて、乗っているだけでワクワクしてしまった。
いくつかの路線を乗り換え、人混みを掻き分けて、私たちがようやく辿り着いた先は―――。
「……ライブハウス?」
​それは、隣の県にある、こぢんまりとした、けれど妙に熱気のあるライブハウスだった。
驚いたことに、入り口の前には建物をぐるりと取り囲むような長蛇の列ができている。
並んでいる人達の手元を見ると、手作りの派手なうちわ、メンバーの推し色で統一された服やバッグ、そしてトートバッグの表面にびっしりと隙間なく付けられた大量の缶バッジ。
「え、何ここ……」
「アイドルのライブ会場だね」
変成くんが、何故かやけに納得したような声で呟く。
「都市くんが好きって言ってたアイドルの?」
「うん。確かこのグループだった気がする」
長蛇の列に並ぶ人々を見渡す。
「人多いね」
「ライブ行くにはチケットが必要みたいだね〜。誰かチケット人数分持ってる?」
「「「「……」」」」
​宋のあまりにも現実的な言葉に、私、変成くん、しょーくん、ごーちゃんの一同は一斉に綺麗に目を逸らした。
(え、チケットいるの……?)
「じゃあどうする?」
変成くんが顎に手を当てる。
「正面突破は無理そうだね」
「やめろ、警察を呼ばれるだろ」
その時だった。
「……あ」
宋が、列の端を指さす。
そこには、黒いキャップにマスク、首には推し色のタオル。
トートバッグを大事そうに抱えた人物―――そして、特徴的な青髪。
その人物は、整理番号を何度も確認しては、スマホの画面を見て小さく深呼吸をしている。
「……都市くん?」
私が小声で言う。
「「「いたー!」」」
「案外簡単に見つかったな。閻魔が大騒ぎしていたわりには……」
しょーくんが拍子抜けしたように肩をすくめる。
「あれを見る限り大丈夫そうだね」
「ライブが終わるまで近くのショッピングモールに行っておこっか」
「賛成」
案内されたショッピングモールの中は、休日を楽しむ家族連れやカップルで賑わっていた。さっきまでのライブハウス周辺の張り詰めたような熱気とは違って、流れる空気がとてもゆるくて居心地が良い。
フードコートで冷たい飲み物を飲みながら、私たちはのんびりと時間を潰した。
​それからしばらくして、モールの外の通りが急にわさわさと騒がしくなった。どうやら、ライブが終わったらしい。
「そろそろだね」
変成くんが立ち上がる。
再びライブハウス前へ戻ると、人の波の中に、見覚えのある青髪があった。 都市くんの両手には、行きには持っていなかったはずの、グッズがパンパンに詰まった大きなトートバッグ。肩には別のタオルが追加されており、その顔は……マスク越しでも分かるくらい、ものすごく幸せそうで満足気な幸福感に満ち溢れていた。
「……あ」
​人の流れに沿って歩いていた都市くんは、前方の柱の影からぬっと現れた私達の姿を見つけた瞬間、完全に石のように固まった。
「おかえり〜、都市くん!」
ごーちゃんが笑顔で都市くんの方に駆け寄った。