第11話 犯人は先生、理由は安全
夕方のチャイムが鳴って、廊下の窓がオレンジ色に染まったころ。四人は職員室の前で足をそろえた。
扉の向こうは、プリントをめくる音と、コーヒーの匂いと、電話の小さな呼び出し音が混ざっている。
龍星が一度だけ息を吸ってから、引き戸をそっと開けた。
「失礼します。2年2組の……」
奥の机から、白衣がひょいと顔を出す。
「おう、転校生。……あ、穂乃花も。どうした、そんな顔」
理科の杉本先生だった。ペンを耳にかけたまま立ち上がり、四人の後ろに並ぶ影を見て眉を上げる。
「全員集合ってことは、ろくでもない話だな」
惺大が胸を張って、勢いよく言った。
「先生、犯人を連れてきました!」
「おい。誰が犯人だ」
杉本先生が即座に突っ込むと、生久実が小さく手を叩いて笑った。
「今の、いいツッコミ。……でも本題、急ぎです」
穂乃花は扉の横に貼ってある「静かに」の札を見上げ、指を一本立てた。
「声、3円分にして」
惺大の口がすぼんだ。
「……3円ってなんだよ」
「10円相談の割引。急いでるから」
穂乃花は真顔のまま言い、杉本先生の机を指さした。
「先生。うちの容器、見てませんか」
杉本先生の顔が、あ、という形に変わった。次の瞬間、白衣のポケットを探り、鍵束を鳴らしながら机の下の棚を開ける。
ガタン、と硬い音。出てきたのは、透明なふたつきの容器だった。中で小さな硬貨が、きらりと光った。
龍星の肩が目に見えて落ちる。力が抜けたみたいに、笑いが喉からこぼれた。
「……あった」
生久実が両手をぎゅっと握り、拍手しそうになって止める。
「ここ、職員室。静かに、だった」
惺大が容器を指さして叫びかけて、穂乃花に袖を引かれて音量を落とす。
「先生、犯人じゃん……!」
「だから犯人って言うな」
杉本先生は頭をかき、四人の前でいったん姿勢を正した。白衣の裾がきゅっと引き締まる。
「悪かった。今日、廊下でそれ見かけてな。金が入ってるのに教室に置きっぱなしは危ないと思って、職員室で預かった。……声かけるの、忘れてた」
穂乃花は容器に手を伸ばしかけて止め、職員室の壁に貼られた「連絡事項」の紙を指さした。
「先生。安全のために預かったのは、分かる。けど、知らせがないと探す。探したら、みんなの足が減る」
杉本先生は一度だけ視線を落とし、短く息を吐いた。
「……それは、そうだな」
穂乃花は筆箱から小さな付箋を出し、太いペンでさらさら書いた。
『容器は職員室(杉本)』
「次に預かったら、これを教室の黒板の端に貼る。返すときに剥がす。たった一行で、探す時間が消える」
生久実が、声を殺して掌を合わせる。
「貼り紙って、安心が早い」
惺大が咳払いをして、言い直した。
「先生、犯人じゃなくて……保管担当。だった」
杉本先生が、笑いそうになって口元を押さえた。
「……よし。俺も守る。代わりに、お前らも守れ。ふたのロックは毎回確認。帰る前に、誰が持つか声に出して決める」
龍星が容器のふたの上に両手を置く。触れるだけで、確かめるみたいに。
「安全のため、ですね」
「そうだ。あと、落としたら中身が散らばるだろ。お前ら、前に割れない容器に替えるって生徒会に書いてたろ? その通りにしてたから余計に、俺が勝手に安心して……」
杉本先生は言い訳を飲み込むように一度唇を噛み、頭を下げた。
「すまん。心配させた」
惺大が、いつもの「俺が許す」を出しかけて、口の中で引っかけた。穂乃花の視線が、机の上の消しゴムみたいに四角く刺さる。
惺大は咳払いをひとつして、杉本先生へ小さく頭を下げた。
「……俺も、言い方、悪かった。『偉い』とか言ったの、さらに怪しかった」
生久実が今度は本当に、音のしない拍手をした。掌を合わせて、空気だけ揺らす。
「言い直せた。今の、いい」
龍星は惺大を一瞬見て、それから杉本先生へ向き直った。
「先生、ありがとうございます。……でも、次からは一言だけでも、言ってください。俺たち、約束のために集めてるので」
杉本先生は頷き、ペンを取ってメモ帳に書いた。
「『預かりました』って貼り紙しとく。……それと、管理者はお前だな、龍星」
「はい」
返事が早い。龍星はそのまま容器を抱え、まるで祖母の膝掛けを持つみたいに慎重に立ち上がった。
穂乃花は受け取った容器をいきなり開けず、職員室の隅の空いた机に置いた。ふたを外す。硬貨の匂いはしないのに、指先だけが勝手に覚えている。
穂乃花は中身をトレーへ一度出し、10円、5円、1円、50円……と、元の並びに戻していく。順番は、穂乃花が決めた「数えやすい順」だ。
数が合うまで、誰も話さない。杉本先生が息を止め、惺大が腕を組み、生久実が指先で机をとん、とん、と鳴らしそうになるのを我慢する。
龍星は、穂乃花の指が硬貨に触れるたび、金属が小さく鳴る音を聞いていた。まるで、約束がほどけないための合図みたいだ。
最後の1円玉が、所定の場所に落ちた。
ちりん。
穂乃花はふたを閉め、爪の先でロックを確かめてから言った。
「数は減ってない」
そして、視線だけで三人と杉本先生を順番に見た。
「減ると困るのは、信用」
杉本先生が、ぐっと目を細めた。
「……耳が痛いな」
惺大が唇を押さえて、いつもの大声を飲み込む。
「俺、……疑われた側の気持ち、ちょっとわかった」
生久実がうなずく。
「疑うより先に、順番を決める。穂乃花のやり方、安心する」
龍星は容器を抱え直した。胸の中心が、ほんの少し熱い。
七月七日まで、あと少し。星はまだ遠いのに、守るものはもう手の中にある。
穂乃花の言葉を、龍星は黙ってしまった。しまう場所は、財布じゃない。胸の奥だ。
職員室を出ると、廊下の窓の外で空が紫に変わっていた。四人の影が長く伸びる。
誰も、誰の影も踏まないように、歩幅をそろえて歩いた。
【続】
夕方のチャイムが鳴って、廊下の窓がオレンジ色に染まったころ。四人は職員室の前で足をそろえた。
扉の向こうは、プリントをめくる音と、コーヒーの匂いと、電話の小さな呼び出し音が混ざっている。
龍星が一度だけ息を吸ってから、引き戸をそっと開けた。
「失礼します。2年2組の……」
奥の机から、白衣がひょいと顔を出す。
「おう、転校生。……あ、穂乃花も。どうした、そんな顔」
理科の杉本先生だった。ペンを耳にかけたまま立ち上がり、四人の後ろに並ぶ影を見て眉を上げる。
「全員集合ってことは、ろくでもない話だな」
惺大が胸を張って、勢いよく言った。
「先生、犯人を連れてきました!」
「おい。誰が犯人だ」
杉本先生が即座に突っ込むと、生久実が小さく手を叩いて笑った。
「今の、いいツッコミ。……でも本題、急ぎです」
穂乃花は扉の横に貼ってある「静かに」の札を見上げ、指を一本立てた。
「声、3円分にして」
惺大の口がすぼんだ。
「……3円ってなんだよ」
「10円相談の割引。急いでるから」
穂乃花は真顔のまま言い、杉本先生の机を指さした。
「先生。うちの容器、見てませんか」
杉本先生の顔が、あ、という形に変わった。次の瞬間、白衣のポケットを探り、鍵束を鳴らしながら机の下の棚を開ける。
ガタン、と硬い音。出てきたのは、透明なふたつきの容器だった。中で小さな硬貨が、きらりと光った。
龍星の肩が目に見えて落ちる。力が抜けたみたいに、笑いが喉からこぼれた。
「……あった」
生久実が両手をぎゅっと握り、拍手しそうになって止める。
「ここ、職員室。静かに、だった」
惺大が容器を指さして叫びかけて、穂乃花に袖を引かれて音量を落とす。
「先生、犯人じゃん……!」
「だから犯人って言うな」
杉本先生は頭をかき、四人の前でいったん姿勢を正した。白衣の裾がきゅっと引き締まる。
「悪かった。今日、廊下でそれ見かけてな。金が入ってるのに教室に置きっぱなしは危ないと思って、職員室で預かった。……声かけるの、忘れてた」
穂乃花は容器に手を伸ばしかけて止め、職員室の壁に貼られた「連絡事項」の紙を指さした。
「先生。安全のために預かったのは、分かる。けど、知らせがないと探す。探したら、みんなの足が減る」
杉本先生は一度だけ視線を落とし、短く息を吐いた。
「……それは、そうだな」
穂乃花は筆箱から小さな付箋を出し、太いペンでさらさら書いた。
『容器は職員室(杉本)』
「次に預かったら、これを教室の黒板の端に貼る。返すときに剥がす。たった一行で、探す時間が消える」
生久実が、声を殺して掌を合わせる。
「貼り紙って、安心が早い」
惺大が咳払いをして、言い直した。
「先生、犯人じゃなくて……保管担当。だった」
杉本先生が、笑いそうになって口元を押さえた。
「……よし。俺も守る。代わりに、お前らも守れ。ふたのロックは毎回確認。帰る前に、誰が持つか声に出して決める」
龍星が容器のふたの上に両手を置く。触れるだけで、確かめるみたいに。
「安全のため、ですね」
「そうだ。あと、落としたら中身が散らばるだろ。お前ら、前に割れない容器に替えるって生徒会に書いてたろ? その通りにしてたから余計に、俺が勝手に安心して……」
杉本先生は言い訳を飲み込むように一度唇を噛み、頭を下げた。
「すまん。心配させた」
惺大が、いつもの「俺が許す」を出しかけて、口の中で引っかけた。穂乃花の視線が、机の上の消しゴムみたいに四角く刺さる。
惺大は咳払いをひとつして、杉本先生へ小さく頭を下げた。
「……俺も、言い方、悪かった。『偉い』とか言ったの、さらに怪しかった」
生久実が今度は本当に、音のしない拍手をした。掌を合わせて、空気だけ揺らす。
「言い直せた。今の、いい」
龍星は惺大を一瞬見て、それから杉本先生へ向き直った。
「先生、ありがとうございます。……でも、次からは一言だけでも、言ってください。俺たち、約束のために集めてるので」
杉本先生は頷き、ペンを取ってメモ帳に書いた。
「『預かりました』って貼り紙しとく。……それと、管理者はお前だな、龍星」
「はい」
返事が早い。龍星はそのまま容器を抱え、まるで祖母の膝掛けを持つみたいに慎重に立ち上がった。
穂乃花は受け取った容器をいきなり開けず、職員室の隅の空いた机に置いた。ふたを外す。硬貨の匂いはしないのに、指先だけが勝手に覚えている。
穂乃花は中身をトレーへ一度出し、10円、5円、1円、50円……と、元の並びに戻していく。順番は、穂乃花が決めた「数えやすい順」だ。
数が合うまで、誰も話さない。杉本先生が息を止め、惺大が腕を組み、生久実が指先で机をとん、とん、と鳴らしそうになるのを我慢する。
龍星は、穂乃花の指が硬貨に触れるたび、金属が小さく鳴る音を聞いていた。まるで、約束がほどけないための合図みたいだ。
最後の1円玉が、所定の場所に落ちた。
ちりん。
穂乃花はふたを閉め、爪の先でロックを確かめてから言った。
「数は減ってない」
そして、視線だけで三人と杉本先生を順番に見た。
「減ると困るのは、信用」
杉本先生が、ぐっと目を細めた。
「……耳が痛いな」
惺大が唇を押さえて、いつもの大声を飲み込む。
「俺、……疑われた側の気持ち、ちょっとわかった」
生久実がうなずく。
「疑うより先に、順番を決める。穂乃花のやり方、安心する」
龍星は容器を抱え直した。胸の中心が、ほんの少し熱い。
七月七日まで、あと少し。星はまだ遠いのに、守るものはもう手の中にある。
穂乃花の言葉を、龍星は黙ってしまった。しまう場所は、財布じゃない。胸の奥だ。
職員室を出ると、廊下の窓の外で空が紫に変わっていた。四人の影が長く伸びる。
誰も、誰の影も踏まないように、歩幅をそろえて歩いた。
【続】

