冬の花火、上げます。――無口な瑞生と男子たちのメリークリスマス

第9話 面倒くさい、でも十分 
 
 十二月上旬の翌日。昼休みの教室は、窓際だけ日が当たって、床のワックスが薄く光っていた。外の空気は冷たいのに、教室の中はストーブの前だけぼんやり暖かい。
 悟真が机を寄せて、昨日もらった「条件メモ」を広げる。紙の端が少しだけ折れているのに、文字は読みやすく整っている。瑞生が挟んだまま走らずに持ち帰った証拠だ。

 「消火用具、バケツと消火器。近隣への連絡。見守りの大人……」
 悟真が指で一つずつ追うと、啓恭が首を前に出した。
 「大人、集めるのは俺だな。俺、人脈あるから」
 芽郁がペンケースを閉じて、目だけで言う。
 「その人脈、先生じゃないよね」
 啓恭は一瞬黙って、次の瞬間、口角だけ上げた。
 「先生も、いずれは俺の人脈になる」
 「いずれ、じゃ間に合わない」

 優李亜が小さな声で言った。
 「……近隣への挨拶文。必要」
 瑞生がノートに短く書く。
 「連絡文(必須)。配布(方法検討)」
 瑞生のノートの端には、小さな丸が一つ、薄く描かれていた。月みたいな形で、線は迷いなく閉じている。芽郁はそれを見て、なぜか息が詰まった。
 『十分』という短さが、ただの数字じゃなくなる。短いからこそ、失敗したら目立つ。成功しても、すぐ終わってしまう。

 芽郁はその文字を見て、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。仕事が、見える形になっていく。見える形になると、逃げ道も見える。

 悟真が芽郁のほうを向いた。
 「芽郁、文章、上手いだろ。挨拶文と、注意事項の紙、まとめて――」
 芽郁は反射で、椅子を引いた。床がキィと鳴る。
 「……無理。面倒」
 言ってしまってから、心の中で舌打ちした。断るのが先に出た。いつもの癖だ。
 啓恭が「逃げた!」と指を差しかけて、芽郁の拳が机の上で止まる。叩くな。ここで叩いたら、ただ騒がしい。

 瑞生が芽郁のほうを見た。責める目じゃない。採点する前の、無表情な確認。
 芽郁は、ポケットの中のメモ帳を思い出した。
 ――逃げる前に、十分。
 芽郁は咳払いを一つして、言い直す。
 「……十分だけ、やる。下書きだけ」
 悟真が笑った。
 「十分、助かる」
 啓恭が両手を広げる。
 「十分って言い方、かっこいいな。俺も十分だけ静かに――」
 芽郁が即座に言う。
 「それはしなくていい」
 啓恭が「えぇ」と口を尖らせ、悟真が肩を揺らす。教室の空気が、少しだけ柔らかくなる。

 放課後。芽郁は本当に、十分だけと心の中で数えながら机に向かった。
 白い紙に、見出しを書き、箇条書きで注意事項を書き始める。
 「手持ち花火・噴出花火のみ」「打ち上げなし」「水のバケツ」「消火器」「時間は短く」
 書くほどに、条件メモの硬さが、自分の手の中で少しだけ自分の言葉になる。
 途中で消しゴムを落として、床に転がった。芽郁は「あ」と小さく声を漏らして、すぐ拾いに行く。拾ったついでに、机の脚の埃まで拭いてしまった。いらないところまで手が動くのが、自分でも腹立たしい。

 気づけば、十分はとっくに過ぎていた。教室の窓が赤くなり、廊下の足音が減っていく。
 「……帰る?」
 悟真が声をかけると、芽郁は顔を上げずに言った。
 「もう少し。あと、段落」
 自分でも驚く。逃げるために伸ばす「もう少し」じゃなくて、整えるための「もう少し」になっている。
 瑞生が机の端に紙を置き、短く言った。
 「終わったら、渡せ」
 それだけで、芽郁の背中が妙にまっすぐになった。

 夜。芽郁は自分の部屋で、机のライトをつけた。家族のテレビの音が壁越しにぼんやり聞こえる。台所から、温かい湯気の匂いが流れてきて、眠気が誘ってくる。
 弱点メモを開く。ページの上には「断れない」。その下に、自分の字で新しい二文字を書いた。
 「逃げ癖」
 その横に線を一本引き、さらに書く。
 「十分だけ」
 短い。短いのに、目が離せない言葉だ。
 芽郁はプリントの文章をもう一度読み直し、句読点を直し、言い回しを削って、最後に「ご協力をお願いいたします」を一行増やした。
 面倒くさい。けれど、面倒くさいと思いながら直している手が、止まらない。

 翌日。芽郁は早めに教室へ行き、印刷した紙を机の上に並べた。ホチキスの芯が少しだけ減っているのを見て、昨日の自分が夜に追加で留め直したのを思い出し、顔が熱くなる。
 優李亜が通りかかり、紙の角を見て、何も言わずに一枚だけ少しずらして揃えた。
 芽郁はその動きに、気づいているのに、気づいていないふりをした。

 瑞生が紙を受け取り、目を落とす。読み終えるのが早い。
 「……助かった」
 たった一言。なのに、芽郁の頬が熱くなった。熱さをごまかすように、芽郁はホチキスを強く押した。
 バチン、と音がして、針がきれいに止まる。

 啓恭が背後から覗き込み、眉を上げた。
 「へぇ……芽郁、意外と――」
 芽郁はホチキスを持ったまま振り返った。啓恭は言葉の続きが危ないと察して、すぐに笑って逃げる準備をする。
 悟真がその様子を見て、ため息のふりをした。
 「今日も、走るなよ」
 啓恭は走り出す前に、瑞生の採点表をちらりと見た。丸が増えている気がして、口の端が勝手に上がる。
 芽郁は熱い頬を冷ますみたいに、紙の端を整えた。逃げたくなる気持ちは消えない。けれど、十分だけなら、踏みとどまれる。

【続】