第8話 冬と花火、条件の壁
十二月上旬の放課後。日が落ちるのが早くて、廊下の窓ガラスは外の暗さを先に取り込んでいた。
理科室の棚の奥の布の下で、石碑は相変わらず冷たい。けれど、今日は石より先に、コピー用紙の写真が机の上に広がっていた。
コピー用紙の白さが、夕方の薄暗さを余計に際立たせる。芽郁は紙の端を押さえながら、火を扱うって字面だけで胃がきゅっとなるのを感じた。けれど、写真の隅に写る花壇の土の黒さが、なぜか「やり直せる」と言っているみたいで、目が離せない。
瑞生のペン先が紙の上を滑り、短い単語が増えていく。悟真は立ち上がりかけて、芽郁の目を見て座り直した。啓恭は「司会」と言いかけて息を飲み込み、代わりに指で口をつまむ。優李亜は写真の角を揃え、乱れないように整えるだけで、場の熱を少しずつ落ち着かせた。
「これ、校舎裏だよな」
悟真が写真の花壇を指でなぞる。紙の上の光が、指先の動きに合わせて揺れる気がした。
啓恭は身を乗り出して、目を輝かせた。
「花火! 冬に花火! 最高!」
芽郁が、机の端を指でトンと叩く。
「声が大きい。校舎中に聞こえる」
啓恭は口をすぼめて小さく言い直した。
「……最高」
「今のは、まだ許す」
優李亜は写真の端を揃え直し、説明文のところを指で押さえた。そこに丸が付いている。
「……十二月二十四日。放課後」
瑞生は、ノートを開いた。紙の上に、淡い字で並ぶ単語。
「月」「火」「…げます」
瑞生はそれを見比べてから、写真の花火へ視線を移す。言葉は少ないのに、目だけは忙しい。
悟真が、急に立ち上がった。椅子が小さく鳴って、芽郁が「静かに」と目で言う。
悟真は肩をすくめる代わりに、息を吸って声を落とした。
「……十二月二十四日の放課後、校舎裏で短い花火、やろう」
啓恭が、待ってましたとばかりに手を挙げる。
「俺が司会! 点火係も――」
芽郁が即座に言った。
「そこは黙れ」
啓恭は「えっ」と言いかけて、芽郁の目を見て、口を閉じた。閉じたまま、指だけで「くちチャック」を作る。
瑞生が、悟真の顔を見て言う。
「理由」
悟真は写真の花火を指で押さえ、言い淀まずに答えた。
「石碑に書いてある気がする。『冬の花火、上げます』って」
芽郁は、削られた平らな面を思い出した。隠したくて削ったのに、残った断片が先に走り出す。面倒だと思うのに、胸の奥が少しだけ熱い。
優李亜は、短くうなずいた。
「……昔、あった。だから、できる形がある」
「じゃあ決まり!」と啓恭が言いかけて、瑞生の視線に止められる。瑞生はノートにペン先を置いたまま、言った。
「許可」
芽郁がため息をつく。
「そこだよね」
悟真が唇を噛む。
「職員室、行くか」
職員室の前は、暖房の匂いが強かった。扉の向こうから、電話の声と紙をめくる音がする。
啓恭が扉の前で背筋を伸ばし、変に丁寧な声を練習し始めた。
「先生、こんにちは。私たちは――」
芽郁が耳元で小声。
「余計な飾り、いらない」
啓恭は「はい」と言って、なぜか反省の顔を作る。作るのだけは上手い。
中に入ると、担任の先生が顔を上げた。悟真が写真を差し出し、言葉を選ぶより先に言う。
「先生。十二月二十四日の放課後、校舎裏で短い花火って、できますか」
先生は写真を見る前に、首を横に振った。
「ダメだ。火は危ない」
啓恭が「ですよね」と言いかけて、でも諦めきれない顔をした。
芽郁は、その顔が悔しさよりも先に「面白くしよう」とするのを見て、内心で拳を握った。面白くしなくていい。今は。
瑞生が一歩前に出た。声は低く、温度が一定だ。
「条件は」
先生が眉を上げる。
「条件?」
瑞生はうなずく。
「何が揃えば、検討できるか」
先生は一度、息を吐いた。怒っているというより、昔を思い出すみたいな顔だ。
「……昔、この学校でやってた。けど、けが人が出かけて、すぐ中止になった。だから簡単には言えない」
悟真が「でも」と言いかけて、芽郁が袖を掴んで止めた。まず聞く。
先生は机の上のメモ用紙に、箇条書きで書き始めた。
「見守りの大人が複数いること。使うのは手持ちと噴き出す種類だけ。打ち上げは無し。消火用のバケツと消火器。近隣への連絡。時間は短く。終わったら完全に片づけ」
言い終えると、先生は瑞生を見た。
「これが揃っても、許可が出るとは限らない。分かったか」
瑞生はメモを受け取り、うなずいた。
「分かった」
職員室を出ると、啓恭が歯を食いしばった顔で言う。
「大人はさ、なんでもダメって言う。採点、零点」
芽郁が「お前が言うな」と言いかけて、飲み込んだ。啓恭の声は珍しく刺々しい。笑いに変えて逃げる余裕がない。
悟真は、メモを覗き込みながら歩く。
「条件、結構あるな」
優李亜は、歩幅を合わせて小さく言った。
「……揃える。順番に」
瑞生はメモをノートに挟み、静かに口を開いた。
「条件が分かった。満点を取りに行く」
啓恭が、なぜか笑った。さっきの刺々しさが、少しだけほどける笑い方。
「満点って、学校の外でも使うんだな」
芽郁は、ポケットの中でメモ帳を触った。逃げそうになったら十分だけ。今日の十分は、もう始まっている気がした。
校舎の窓に、薄い月が映った。瑞生はそれを一瞬だけ見て、前を向く。
芽郁は、写真の花火を胸の内側に押し込みながら、削られた平らな面を思い出す。
誰かが消した言葉を、今度は勝手に増やしてしまうかもしれない。
それでも、条件があるなら、やる形は作れる。面倒でも、逃げない形は作れる。
芽郁は、息を白くして歩き続けた。
【続】
十二月上旬の放課後。日が落ちるのが早くて、廊下の窓ガラスは外の暗さを先に取り込んでいた。
理科室の棚の奥の布の下で、石碑は相変わらず冷たい。けれど、今日は石より先に、コピー用紙の写真が机の上に広がっていた。
コピー用紙の白さが、夕方の薄暗さを余計に際立たせる。芽郁は紙の端を押さえながら、火を扱うって字面だけで胃がきゅっとなるのを感じた。けれど、写真の隅に写る花壇の土の黒さが、なぜか「やり直せる」と言っているみたいで、目が離せない。
瑞生のペン先が紙の上を滑り、短い単語が増えていく。悟真は立ち上がりかけて、芽郁の目を見て座り直した。啓恭は「司会」と言いかけて息を飲み込み、代わりに指で口をつまむ。優李亜は写真の角を揃え、乱れないように整えるだけで、場の熱を少しずつ落ち着かせた。
「これ、校舎裏だよな」
悟真が写真の花壇を指でなぞる。紙の上の光が、指先の動きに合わせて揺れる気がした。
啓恭は身を乗り出して、目を輝かせた。
「花火! 冬に花火! 最高!」
芽郁が、机の端を指でトンと叩く。
「声が大きい。校舎中に聞こえる」
啓恭は口をすぼめて小さく言い直した。
「……最高」
「今のは、まだ許す」
優李亜は写真の端を揃え直し、説明文のところを指で押さえた。そこに丸が付いている。
「……十二月二十四日。放課後」
瑞生は、ノートを開いた。紙の上に、淡い字で並ぶ単語。
「月」「火」「…げます」
瑞生はそれを見比べてから、写真の花火へ視線を移す。言葉は少ないのに、目だけは忙しい。
悟真が、急に立ち上がった。椅子が小さく鳴って、芽郁が「静かに」と目で言う。
悟真は肩をすくめる代わりに、息を吸って声を落とした。
「……十二月二十四日の放課後、校舎裏で短い花火、やろう」
啓恭が、待ってましたとばかりに手を挙げる。
「俺が司会! 点火係も――」
芽郁が即座に言った。
「そこは黙れ」
啓恭は「えっ」と言いかけて、芽郁の目を見て、口を閉じた。閉じたまま、指だけで「くちチャック」を作る。
瑞生が、悟真の顔を見て言う。
「理由」
悟真は写真の花火を指で押さえ、言い淀まずに答えた。
「石碑に書いてある気がする。『冬の花火、上げます』って」
芽郁は、削られた平らな面を思い出した。隠したくて削ったのに、残った断片が先に走り出す。面倒だと思うのに、胸の奥が少しだけ熱い。
優李亜は、短くうなずいた。
「……昔、あった。だから、できる形がある」
「じゃあ決まり!」と啓恭が言いかけて、瑞生の視線に止められる。瑞生はノートにペン先を置いたまま、言った。
「許可」
芽郁がため息をつく。
「そこだよね」
悟真が唇を噛む。
「職員室、行くか」
職員室の前は、暖房の匂いが強かった。扉の向こうから、電話の声と紙をめくる音がする。
啓恭が扉の前で背筋を伸ばし、変に丁寧な声を練習し始めた。
「先生、こんにちは。私たちは――」
芽郁が耳元で小声。
「余計な飾り、いらない」
啓恭は「はい」と言って、なぜか反省の顔を作る。作るのだけは上手い。
中に入ると、担任の先生が顔を上げた。悟真が写真を差し出し、言葉を選ぶより先に言う。
「先生。十二月二十四日の放課後、校舎裏で短い花火って、できますか」
先生は写真を見る前に、首を横に振った。
「ダメだ。火は危ない」
啓恭が「ですよね」と言いかけて、でも諦めきれない顔をした。
芽郁は、その顔が悔しさよりも先に「面白くしよう」とするのを見て、内心で拳を握った。面白くしなくていい。今は。
瑞生が一歩前に出た。声は低く、温度が一定だ。
「条件は」
先生が眉を上げる。
「条件?」
瑞生はうなずく。
「何が揃えば、検討できるか」
先生は一度、息を吐いた。怒っているというより、昔を思い出すみたいな顔だ。
「……昔、この学校でやってた。けど、けが人が出かけて、すぐ中止になった。だから簡単には言えない」
悟真が「でも」と言いかけて、芽郁が袖を掴んで止めた。まず聞く。
先生は机の上のメモ用紙に、箇条書きで書き始めた。
「見守りの大人が複数いること。使うのは手持ちと噴き出す種類だけ。打ち上げは無し。消火用のバケツと消火器。近隣への連絡。時間は短く。終わったら完全に片づけ」
言い終えると、先生は瑞生を見た。
「これが揃っても、許可が出るとは限らない。分かったか」
瑞生はメモを受け取り、うなずいた。
「分かった」
職員室を出ると、啓恭が歯を食いしばった顔で言う。
「大人はさ、なんでもダメって言う。採点、零点」
芽郁が「お前が言うな」と言いかけて、飲み込んだ。啓恭の声は珍しく刺々しい。笑いに変えて逃げる余裕がない。
悟真は、メモを覗き込みながら歩く。
「条件、結構あるな」
優李亜は、歩幅を合わせて小さく言った。
「……揃える。順番に」
瑞生はメモをノートに挟み、静かに口を開いた。
「条件が分かった。満点を取りに行く」
啓恭が、なぜか笑った。さっきの刺々しさが、少しだけほどける笑い方。
「満点って、学校の外でも使うんだな」
芽郁は、ポケットの中でメモ帳を触った。逃げそうになったら十分だけ。今日の十分は、もう始まっている気がした。
校舎の窓に、薄い月が映った。瑞生はそれを一瞬だけ見て、前を向く。
芽郁は、写真の花火を胸の内側に押し込みながら、削られた平らな面を思い出す。
誰かが消した言葉を、今度は勝手に増やしてしまうかもしれない。
それでも、条件があるなら、やる形は作れる。面倒でも、逃げない形は作れる。
芽郁は、息を白くして歩き続けた。
【続】


