冬の花火、上げます。――無口な瑞生と男子たちのメリークリスマス

第17話 最後の二人、お願いの順番 
 
 十二月中旬の朝。昇降口の靴箱の前で、芽郁は封筒の角を揃え直していた。揃えても揃えても、心が落ち着かないのは、残りの人数が頭に居座っているからだ。
 登校してくる生徒の声はいつも通りなのに、芽郁の耳には遠く聞こえる。封筒の紙擦れだけがやけに大きい。瑞生が数字を書き込むペンの音まで、妙に「カウントダウン」みたいに響いて、芽郁は唇を一度だけ噛んだ。

 靴箱の金具に触れた瞬間、冷たさが指に貼りついて離れない。芽郁はその冷たさに紛らせるように、封筒の角をもう一度揃えた。悟真が「先延ばし」と言ったとき、啓恭が大きく頷いて黙る。黙るほうが不安になるのに、今日は黙っていることが、ちゃんと努力に見えた。

 瑞生のノートには、太い線で書かれた数字がある。
 「見守り あと二」

 悟真が、息を白くしながら言った。
 「二人、今日で決めよう。先延ばしにすると、俺、走って逃げる」
 芽郁は即答した。
 「走るな」
 啓恭が胸を張る。
 「俺は走らない。二回の男だから」
 優李亜が小さく言う。
 「……二回、関係ない」
 啓恭は「ある」と口の中でだけ言って、ちゃんと黙った。

 瑞生が、ノートのページをめくる。そこには「お願いの順番」が箇条書きで並んでいる。
 「一。体育の先生。二。図書室の先生」
 悟真が眉を上げた。
 「体育の先生、厳しいぞ」
 啓恭が口を開けかけたが、芽郁が封筒で軽く口元を押さえた。啓恭は目だけで抗議して、すぐ諦める。
 芽郁は深呼吸して言った。
 「厳しいほうがいい。『安全』って言ったときに、ちゃんと見てくれる」

 昼休み。体育館の扉を開けると、床のワックスの匂いが強くて、息を吸うだけで喉が渇いた。中では体育の先生が、バスケットボール部に声を飛ばしている。
 笛の音が一回鳴り、先生の声が止まった。その止まり方が、怖いほどきれいだ。

 悟真が一歩前へ出る。
 「先生、少し――」
 体育の先生は、腕を組んだまま五人を見る。
 「少し、は時間を曖昧にする。何分だ」
 芽郁の背中が固まる。いきなり数字を突かれると、頭が白くなる。
 瑞生が、短く言った。
 「二分。相談」
 先生が顎を引いた。
 「言え」

 優李亜がファイルを差し出す。挨拶文、保護者向け案内、回収状況、消火用具のチェック表、そして屋上で確認した「中止の条件」。
 紙の端が揃いすぎていて、体育の先生が一瞬だけ目を細めた。
 「……誰が揃えた」
 優李亜は答えず、指先でファイルの角を直した。答えないのに、答えたみたいな動きだ。

 悟真が言う。
 「十二月二十四日の放課後、校舎裏の花壇の横で、手持ち花火と噴出花火を十分だけやります。打ち上げは無し。水のバケツは二つ以上、消火器も置きます。見守りの大人が、必ず複数います」
 体育の先生は、紙をめくりながら言った。
 「複数、の人数は」
 瑞生が答える。
 「先生一。保護者複数。最低人数、達成まであと二」
 先生の目が、数字の上で止まる。
 「あと二、を埋めに来たのか」
 啓恭が反射で「はい!」と言いそうになって、芽郁の肘が脇腹に刺さった。啓恭は「うっ」と息を止める。

 体育の先生が、屋上で決めた条件の紙を指で叩いた。
 「風の強さの目安、書いてあるな。雨も。地面が濡れてる場合も中止。これは誰が決めた」
 悟真が「理科の先生にも聞きました」と言い、瑞生が「屋上で確認」と付け足す。
 体育の先生は、ふっと鼻で笑った。
 「屋上まで行ったのか。落ちるなよ」
 啓恭が小声で「青春」と言いかけて、芽郁が睨む。啓恭は口を閉じる。二回の男が、今日も勝っている。

 先生は最後に、保護者の署名回収のメモを読んだ。
 「回収箱、置き場所。提出先。分かる」
 一拍置いてから、先生が言った。
 「当日、俺が一人入る。その代わり、前日までに消火器の位置を確認して、当日は俺に最初に報告しろ」
 悟真が「はい!」と深く頭を下げた。芽郁も遅れて頭を下げる。遅れたのに、胸が軽い。
 啓恭がつい口を開く。
 「先生、かっこ――」
 「余計な感想は要らん」
 体育の先生が即座に切る。啓恭は「はい」と素直に引っ込めた。

 体育館を出た瞬間、悟真が息を吐いた。
 「一人、埋まった」
 瑞生がノートに線を引く。
 「あと一」
 その「一」が、まだ重い。重いのに、さっきよりは持てる重さになっている。

 次は図書室。午後の光が本の背を照らし、埃が細く舞っていた。図書室の先生は返却台でスタンプを押している。押す音が一定で、落ち着く。
 先生が顔を上げた。
 「どうしたの。五人で、静かなところに来るのは珍しいね」
 啓恭が笑いかけそうになって、優李亜の横顔を見て、口を閉じた。

 優李亜が、黒塗りの校内新聞のコピーを机に置いた。
 「……これ。知りたい」
 図書室の先生は紙を見て、目を細める。懐かしいものを見る目だ。
 「まだ残ってたのね。……これは、当時、図書室に置いた号だよ」
 芽郁の喉がきゅっと鳴る。
 「黒いところ、何だったんですか」
 図書室の先生は、黒塗りの端を指でなぞらず、目だけで追った。
 「言葉。誰かが、残したかった言葉。でも、本人は恥ずかしくて消したかった。周りは守るために止めた」
 先生は、優李亜のファイルを見た。
 「あなたたちも、守るために止める条件を作ったんだね」

 瑞生が短く言う。
 「十二月二十四日。放課後。校舎裏。十分。手持ちと噴出。打ち上げ無し。中止条件あり。見守り、あと一」
 図書室の先生は、ふっと笑った。
 「説明が短いのに具体的。いいね」

 芽郁は、ポケットの中でメモ帳を握りしめた。頼む声を出すのが、怖い。
 逃げる前に、十分。そう思って、息を吸って言った。
 「先生……その、見守りで、来てもらえますか」
 声が震えた。震えたのに、言えた。

 図書室の先生は、少しだけ考える顔をした。
 「その時間、会議が入るかもしれない。でも、十分なら……終わりが見えるなら、調整できる」
 先生は予定表を確認し、ペンで印をつけた。
 「当日、最初の五分は私が入る。残りは体育の先生と保護者で回す。条件は、終わったあと、校舎裏をそのままにしないこと。本当に、拾って帰ること」
 悟真が頷く。
 「走らずに拾います」
 啓恭が小声で「走らずに拾うって、矛盾」と言いかけて、芽郁の視線で飲み込んだ。

 図書室の先生が、最後に黒塗りの紙を軽く押さえた。
 「消えた言葉は、戻らない。でも、あなたたちが新しく書ける。今度は、消さなくていい形でね」
 優李亜が、ほんの少しだけ頷いた。頷き方が、紙の角を揃えるみたいに丁寧だ。

 教室に戻る途中、瑞生がノートに線を引いた。
 「あと一つで零」
 啓恭が目を丸くする。
 「零って、なんか怖い」
 芽郁が言った。
 「怖くない。満たしたってこと」
 悟真が笑い、優李亜が小さく「……うん」と言う。瑞生は何も笑わないのに、歩く速さが少しだけ軽い。

 芽郁はメモ帳を開き、今日の日付の下に書いた。
 「お願い、言えた」
 書いてから、ページの端を揃える。
 消したい言葉があるなら、今度は消さなくていい言葉を増やせばいい。
 校舎裏の花壇の横で、十分だけ光る予定の小さな火が、胸の中でも少しだけ灯った。

【続】