冬の花火、上げます。――無口な瑞生と男子たちのメリークリスマス

第16話 中止、の文字が重い 
 
 十二月中旬の昼休み。空はどんよりして、窓ガラスに細い雨粒が当たっていた。教室はいつもより暗く、ストーブの前だけが明るい。
 芽郁は回収箱の中身を机に並べ、封筒の数を数えた。数える指先が冷たく、紙の端が少しだけ湿っている気がする。

 「増えてる」
 悟真が言う。声は明るいのに、視線は封筒から離れない。
 瑞生がノートを開き、今日の人数を足した。
 「……あと、二」
 二。たった二。たった二が、遠い。

 啓恭が椅子を後ろ向きにして座り、腕を組んだ。
 「俺が二人分になる」
 芽郁が即座に言う。
 「無理」
 啓恭が「俺、分裂できる」と言いかけて、優李亜の「……できない」に止められる。優李亜の否定は短いのに、妙に説得力がある。

 そのとき、担任が教室に入ってきた。手には、紙が一枚。
 「みんな、これ見て」
 先生が黒板の前で紙を掲げた。校内掲示用の通知だ。
 『天候により 屋外活動の注意』
 下に小さく、『強風・雨の場合は中止』の文字。

 窓の外で、風にあおられた木の枝が揺れ、雨粒が斜めに走った。芽郁は一瞬、去年の校庭の片づけを思い出す。始まる前に止められたあと、誰も悪くないのに、みんなが黙ってしまった時間。
 同じ黙り方だけは、したくない。そう思うのに、喉は乾いて、言葉が出てこない。

 芽郁の胸の奥が、ずしっと沈んだ。
 中止。用務員さんが言っていた言葉。校内新聞の端に書かれていた『安全のため 中止』。
 あの二文字が、紙から出てきて目の前に立つみたいに重い。

 悟真が先に口を開く。
 「先生、花火の件も……天気、見ないとですね」
 先生はうなずく。
 「もちろん。風が強かったらやらない。雨でもやらない。やるなら、前日だけじゃなく当日の判断も必要」
 啓恭が反射で言う。
 「じゃあ、屋内でやる?」
 芽郁が目を細める。
 「燃える」
 瑞生が短く言う。
 「無理」
 優李亜が小さく言う。
 「……煙」

 啓恭は口を開けたまま黙った。珍しい。黙ったまま、手のひらを見つめている。
 芽郁は、ふと気づいた。啓恭が「中止」に弱い。反省したくないからじゃない。中止が、あの黒塗りの一文と繋がっているからだ。
 啓恭は、ふざけることで重さを散らしてきた。散らす癖が、今日は散らない。

 放課後。五人は理科室に集まった。棚の奥の石は、相変わらずそこにある。泣き虫石。笑いの名前のまま、重いものを抱えている。
 芽郁は石碑の前に立ち、削られた面を見た。平らな部分が、蛍光灯の光を冷たく返す。
 瑞生がノートを開き、削られた面の横に「中止」と書いた。字が小さいのに、やけに目立つ。

 悟真が言った。
 「中止って、悪いことじゃないよな」
 芽郁は「……うん」と返しながらも、胸の奥が納得しない。悪くない。悪くないのに、悔しい。
 優李亜が、石碑の文字を指でなぞらず、目だけで追う。
 「……中止。守る。誰かを」
 芽郁はその言葉で、少しだけ呼吸が楽になる。守るための中止。逃げるための中止じゃない。

 啓恭が石碑の前で立ち尽くし、急に言った。
 「……俺さ、あの日の子みたいに、消したくない」
 言ってから、啓恭は目をそらした。自分で言った言葉が恥ずかしいんだろう。いつもなら、ここで冗談に逃げるのに、今日は逃げない。
 芽郁は思わず、口から出た。
 「消す必要ない。泣いても、やることやったら、それでいい」
 言いながら、自分の胸が熱くなる。啓恭に言ってるのに、自分にも言っている。

 瑞生が採点表を開いた。ページの端に、小さく「中止判断」の項目が増えている。
 瑞生はペン先を止めて、言った。
 「決める。条件」
 悟真がうなずく。
 「風とか雨とか、はっきりさせよう。先生が納得できる形に」
 芽郁が眉を寄せる。
 「数字、分からない」
 啓恭が口を開く。やっといつもの声が少し戻る。
 「じゃあ調べる。俺――」
 芽郁が即座に言う。
 「学校ではやめろ」
 啓恭が「はい」と言って、今度は素直に引いた。引けるのが、成長なのか、疲れてるだけなのか、芽郁には分からない。けれど、引いたことは確かだ。

 その代わり、悟真が言った。
 「理科の先生、天気とか詳しいって聞いた。聞きに行こう」
 優李亜がうなずく。
 「……聞く」
 瑞生がノートを閉じ、短く言う。
 「行く」

 理科準備室。白衣の先生が、風速計の図が載った冊子をめくっていた。五人を見ると、「また石か」と笑いかけて、すぐ真面目な顔になる。
 悟真が説明すると、先生は窓の外を一度だけ見て言った。
 「花火は、風が一番怖い。火の粉が流れるからね。目安を作るなら、風が強い日はやらない。雨の日もやらない。あとは当日の校舎の外で、実際に確認する」
 先生は、校舎の屋上にある風速計の話をした。数字を見られる場所がある、と。
 啓恭が目を輝かせる。
 「屋上!? 青春!」
 芽郁が即座に言う。
 「青春は落ちるからやめろ」
 先生が「落ちないでね」とさらっと言い、瑞生が「落ちない」と静かに返した。

 屋上へ続く階段は冷たく、鉄の手すりが指先に凍える。扉を開けると風が頬を叩いた。髪が乱れ、息が一気に白くなる。
 風速計の羽が、くるくる回っていた。回り方が落ち着かない。
 啓恭が羽の前に顔を寄せて、息を吹きかけようとして――芽郁の視線で止まった。
 啓恭は両手を上げる。
 「やらない。今日は、二回の男だし」
 優李亜が小さく言う。
 「……二回、関係ない」
 啓恭が「ある」と小声で返し、悟真が笑った。

 先生が示した数字の目安を、瑞生がノートに書く。芽郁はその横に、分かりやすい言葉を添える。
 「風が強い」「雨が降る」「地面が濡れている」「周りが飛びやすい」
 書くたびに、「中止」が少しだけ道具になっていく。怖い文字じゃなくて、守るための札になる。

 翌朝。教室の窓の外は、風が強かった。木の枝が揺れて、空気が唸るみたいに鳴る。
 芽郁は窓を見て、昨日の『中止』の文字を思い出した。怖い。悔しい。けれど、守るための判断も、ちゃんと準備の一つだ。
 メモ帳を開き、芽郁は小さく書いた。
 「中止を決めるのも、準備」
 書いてから、ページの端を揃えた。揃える癖が、逃げる癖を少しだけ押さえる。
 黒塗りの一文の重さを、今度は自分たちの手で、軽くする番だ。

【続】