冬の花火、上げます。――無口な瑞生と男子たちのメリークリスマス

第15話 配る、回収する、走らない 
 
 十二月中旬の朝。校門の前の空気が刺さるほど冷たく、息が白く伸びた。吐く息が帽子の内側にこもって、頬がじんわり温かい。
 封筒の紙は冷たく、抱える腕の熱をじわじわ吸い取る。芽郁は手首を回して、角が折れない位置を探した。配るだけなのに、胸が変に重い。渡した瞬間から、もう自分たちだけの話じゃなくなるからだ。

 校門の前を通る自転車のベルが鳴るたび、封筒の束が腕の中でわずかにずれる。瑞生が数を数え直す指は速い。悟真は「お願いします」を言うタイミングを、芽郁の呼吸に合わせてくれている。啓恭は口が開きそうになるたびに、指で自分の唇を押さえた。優李亜は受け取る手が震えそうな相手に、無言で封筒の下を支えた。

 芽郁は両手で封筒の束を抱え、紙の角が崩れないように腕の中で押さえた。優李亜が揃えたプリントは、封筒の中でぴたりと収まっている。揃いすぎて、封を開けた人が逆に緊張しないか心配になるくらいだ。

 「今日は、配る日」
 悟真が言う。いつもの走り出す前の声じゃない。抑えた声だ。
 瑞生はうなずくだけで、封筒の数を数え直した。数え方が機械みたいに正確で、芽郁は逆に安心する。
 啓恭は胸を叩く。
 「任せろ。俺、配りの天才」
 芽郁が目を細める。
 「天才は、余計な文章を足すなよ」
 「足さない。今日は『おはようございます』だけで勝負する」
 優李亜が小さく言う。
 「……二回まで」
 啓恭が「二回?」と聞き返すと、優李亜は封筒を一つ差し出した。
 「……おはようございます、を。二回まで。三回目は、騒がしい」
 啓恭は真面目な顔でうなずいた。
 「了解。二回の男になる」

 五人は登校してくる生徒に、封筒を配った。保護者への案内、署名欄、回収日。見守り募集の紙も入っている。
 芽郁は最初、声が出なかった。封筒を差し出すだけで、喉が固くなる。
 けれど、悟真が隣で「お願いします」と一緒に言ってくれた。啓恭が「二回の男」を守って口数を減らしている。瑞生が、封筒を渡す順番を静かに整える。優李亜が、受け取った生徒が封筒を落としそうになると、無言で手を添える。
 芽郁は、その動きに押されるように、声を出した。
 「……お願いします」
 小さい声でも、封筒は渡る。渡った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなる。

 昼休み。回収箱を作ることになった。教室の後ろの棚に、段ボールを置き、ラベルを貼る。
 啓恭がマジックを握って、書こうとした。
 「『泣き虫花火』回収箱」
 芽郁が即座にマジックを奪った。
 「ダメ」
 啓恭が口を尖らせる。
 「なんで。可愛いじゃん」
 悟真が笑う。
 「怒られるやつだ」
 瑞生が短く言う。
 「公式。無理」
 優李亜が、ラベル用紙を差し出す。
 「……『花火見守り 署名回収』」
 啓恭が黙る。黙って、マジックを返してもらう。返してもらって、今度はちゃんとそのまま書いた。文字は意外と丁寧だった。

 放課後。回収箱に最初の封筒が入った。
 「入った」
 悟真が言うと、啓恭が箱の中を覗き込んだ。
 「……一枚。尊い」
 芽郁が思わず笑いそうになって、口を押さえた。笑いが出そうになると、逃げる気持ちが一緒に薄まるのが分かる。
 優李亜は、箱の位置を数センチ動かして、机の角と揃えた。箱が揃うと、教室の空気も揃う気がした。

 数日後。回収は少しずつ増えた。
 芽郁は、回収箱の前で封筒を受け取り、署名欄を確認し、瑞生のノートに「人数」を書き足していく。
 瑞生はその数字を見て、ペン先を止める。止めるたびに、心の中で計算しているのが分かる。
 「足りない」
 短い一言が、毎日少しずつ柔らかくなる。絶望じゃなくて、調整の声になる。

 ある日。回収箱の中に、封筒とは別の紙が入っていた。
 メモ。子どもの字で、乱れている。
 『花火、見たい。ぼくも泣いたことある』
 芽郁はその字を見て、胸の奥がきゅっとした。泣き虫の由来を聞いたばかりだから、余計に。
 啓恭が覗き込み、目を丸くした。
 「……俺、泣いてよかったかもしれない」
 芽郁は即座に言う。
 「よくない。勝手に泣くな」
 啓恭が肩を落とす。
 「勝手に泣いてない。勝手に出た」
 悟真が笑って、芽郁の肩を軽く叩いた。
 「でも、届いてる」
 瑞生がメモを見て、短く言う。
 「……残す」
 優李亜がすぐに透明ファイルを出し、メモを丁寧に入れた。端がぴたりと揃う。

 その日の帰り道。校庭を横切ると、風が強くて、木の枝が鳴った。悟真が走り出しそうになって、一歩で止まった。
 芽郁が不思議に思って見ると、悟真は笑って言った。
 「今日は、走らない。走ると、封筒が散る」
 優李亜が小さくうなずく。
 「……散る」
 芽郁はその言葉に、図書室で優李亜が言った「急ぐと散る」を思い出した。
 散らないように揃える。それは紙だけじゃなくて、気持ちも同じだ。
 啓恭が歩幅を合わせながら言う。
 「なぁ、俺さ、二回の男になってから、意外と呼吸できる」
 芽郁が言い返す。
 「呼吸は、もともとしろ」
 啓恭が笑う。笑い方が、前より少しだけ静かだ。

 空には薄い月が出ていた。瑞生が一度だけ見上げ、何も言わずに前を向く。
 芽郁はポケットの中でメモ帳を握った。逃げる前の十分が、毎日の中に溶けていく。
 回収箱の中の封筒が増えるほど、怖さも増える。けれど、増えるのは怖さだけじゃない。
 揃うものが、確かに増えている。

【続】