冬の花火、上げます。――無口な瑞生と男子たちのメリークリスマス

第14話 許可の条件、最後の一つ 
 
 十二月上旬の放課後。職員室の前の廊下は、暖房が届かなくて足元が冷たい。掲示板の紙が乾いて反り、画鋲の頭が光っていた。
 職員室のドアの隙間から、プリンターの動く音と電話の声が漏れてくる。廊下に立っているだけで、背筋が勝手に伸びる場所だ。悟真は足を止めたまま、爪先だけで床をこすった。走れない場所は、走れない分だけ落ち着かない。

 芽郁は掲示板の端に貼られた「防火訓練」の文字を見て、心の中で条件を復唱した。手順。人数。時間。声の大きさ――紙に書けないものほど、抜けると怖い。瑞生のノートのページが風でめくれそうになると、優李亜が無言で指先を置いて止めた。

 悟真が、瑞生のノートの横に置かれた条件メモを指で叩いた。

 「バケツ、消火器、花火の種類、時間、近所への連絡……ここまでは揃った」
 啓恭が胸を張る。
 「俺の人脈、効いてきたな」
 芽郁が即座に返す。
 「まだ先生に怒られてないから、効いてない」
 啓恭は「これから効かせる」と言いかけて、瑞生の視線に止められた。瑞生は何も言わない。ただ、ペン先がノートの端で止まったまま、啓恭を見ている。

 優李亜が、透明ファイルから紙を一枚出した。昨日整えた挨拶文に、今日の修正が加わっている。字は揃い、余白も揃い、行間まで落ち着いて見える。
 「……足りない。最後」
 悟真がうなずく。
 「見守り人数。先生と保護者、合わせて規定の人数が必要だって」

 芽郁は喉の奥が苦くなるのを感じた。紙の上では、もう完成に近い。けれど、人数は紙じゃ増えない。
 啓恭が手を挙げた。
 「じゃあ俺、放送で呼びかける」
 「やめろ」
 芽郁と悟真が同時に言った。優李亜は何も言わない。瑞生だけが、ノートに短く書く。
 「放送(危険)」
 啓恭が口を尖らせる。
 「危険って何。放送は便利だろ」
 芽郁が息を吐く。
 「便利は、啓恭が使うと事故る」

 その十分後。五人は放送室の前で、凍った顔をしていた。
 ドアの向こうから、啓恭の声が校内に流れてくる。
 「えー、白月中学校のみなさーん! 十二月二十四日の放課後、校舎裏で――」
 芽郁が額を押さえる。
 「もう言ってる」
 悟真がドアノブに手を伸ばし、瑞生がその手首を軽く押さえた。止める力は弱いのに、悟真の手が止まる。瑞生は視線だけで「待て」と言っている。

 啓恭の声が続く。
 「手持ち花火と噴出花火を、十分だけ! 安全確認ばっちり! 見守りの先生と保護者の方、大募集――」
 そこで、放送室の中から別の声が割り込んだ。
 「放送、止めなさい!」
 教頭の声だった。校内放送がぶつっと切れ、次に聞こえたのはドアが勢いよく開く音だ。

 教頭が出てきて、啓恭の襟をつかむ勢いで廊下へ出した。啓恭は抵抗しない。抵抗しない代わりに、目だけで芽郁たちに助けを求めている。
 芽郁は目で「知らない」と返した。
 悟真が一歩前に出る。
 「すみません。俺たちが、勝手に――」
 教頭は悟真を見て、息を一つ吐いた。
 「勝手に、の前に相談しなさい。内容が安全でも、手順が危ない」
 瑞生がノートを開き、短く言った。
 「手順。確認する」
 教頭は瑞生の顔を見て、少しだけ声を落とす。
 「確認するなら、来なさい。担任も呼びます」

 職員室の隅。五人は小さく並んで立った。
 啓恭は反省の顔を作ろうとして、途中で失敗している。口がむずむずして、黙れないのが分かりすぎる。
 担任の先生が、条件メモと挨拶文を読み、最後に指で机を二回叩いた。
 「見守り人数は、当日だけじゃなく、準備の日も必要です。集まる見込みは?」
 悟真が即答する。
 「集めます。今日から動きます」
 先生は「どうやって」と目を細めた。

 優李亜が、紙を一枚差し出した。近隣への挨拶文と、保護者向けの案内文。どちらも「何を」「いつ」「どこで」「何分」「安全のために何をする」が入っている。
 「……配る。回収する。署名」
 先生は紙を見て、口角を少しだけ上げた。
 「分かりやすい。これなら相談しやすい」

 芽郁は、その「相談」が一番苦手だと知っている。人に頼る声を出すのが、喉に引っかかる。
 担任が続けた。
 「花火は、購入先の説明書も必要です。種類の制限も守ってください」
 その言葉に、啓恭が「俺、花火屋の人脈――」と言いかけて、芽郁が肘で止めた。

 帰り道。五人は昇降口の前で立ち止まった。外はもう暗く、息が白い。
 悟真が言う。
 「見守りは、先生にお願いするのと、保護者にお願いするのと、両方だな。俺、明日から声かける」
 優李亜は「うん」とだけうなずき、鞄の中からメモ用紙を出して、回収日と提出先を書いた。
 啓恭は、反省したふりをしながらも、目がきらきらしている。
 「俺、呼びかけ、別の形で――」
 芽郁がすぐ言う。
 「紙で。口じゃなくて」
 啓恭が「紙でも口が出る」と言って、悟真に背中を叩かれた。

 その夜。芽郁は自室の机に座り、スマホを置いたまま、指先を握ったり開いたりしていた。
 画面には、花火を扱う店の番号。押せば繋がる。押せば、声を出さなきゃいけない。
 芽郁はメモ帳を開き、今日の日付の下に書いた。
 「電話。逃げる前に、十分」
 書いてから、腕時計の針を見て、息を吸う。

 十分と言いながら、三分で指が動いた。
 発信音。耳の奥がじんとする。
 「はい、〇〇花火店です」
 相手の声が明るくて、芽郁の喉が急に乾いた。

 芽郁は机の上のメモを読み上げる。声が小さく震えるのが自分でも分かる。
 「えっと……十二月二十四日の放課後に、中学校の校舎裏で、手持ち花火と噴出花火だけを、十分くらい……安全にやりたくて……」
 言い終えた瞬間、耳が熱くなった。恥ずかしい。けれど、切らない。

 電話の向こうが少しだけ間を置き、丁寧に答えた。
 「手持ちと噴出なら、学校でも相談が多いですよ。打ち上げは避けて、風の強い日は中止。水はバケツ二つ以上。火の粉が飛ぶので、周りは濡らしておくと安心です」
 芽郁は「はい」と何度も言いながら、ペンを走らせた。手が止まらない。止めたら、逃げる気がした。
 「あと、説明書は必ず読んで、燃えやすいものは近くに置かないでくださいね」
 最後の「ね」が、なぜか胸に残った。

 通話を切ったあと、部屋が急に静かになった。テレビの音が壁越しに遠く聞こえるだけ。
 芽郁はスマホを机に置き、誰にも見せないように小さく拳を握った。
 握ったまま、メモの端を揃える。揃える癖が、いつの間にか自分にも移っている。
 面倒くさいのに、やれた。震えたのに、切らなかった。
 芽郁は息を吐いて、窓の外の薄い月を一度だけ見上げた。

【続】