冬の花火、上げます。――無口な瑞生と男子たちのメリークリスマス

第11話 黒塗りの一文 
 
 十二月上旬。放課後の教室は、机を引く音が遠くへ散って、窓の外の空だけがやけに広い。ストーブの熱が弱くなって、足元から冷えが戻ってくる。
 芽郁は、ホチキスの針を補充しながら、さっき直した挨拶文の束を数え直していた。数えることで落ち着く、と自分に言い聞かせている。

 「配る順番、考えとく?」
 悟真が言うと、啓恭がすぐ手を挙げた。
 「俺が先頭! 俺、笑顔あるから!」
 芽郁が目だけで返す。
 「その笑顔、余計な一言つき」
 「余計じゃない。愛だよ」
 「愛は静かに」

 瑞生は窓際の机に肘をつかず、背筋を伸ばしたままノートを開いていた。採点表のページが見える。丸が増えたのに、瑞生の顔は変わらない。
 そこへ、教室のドアが音もなく開いた。

 優李亜だった。
 両手に、古い紙を挟んだ透明ファイルを抱えている。紙の角が、見事に揃っている。歩き方も、紙を揺らさない。
 優李亜は机の上にファイルを置き、短く言った。
 「……見つかった」
 芽郁の手が止まる。
 「なにが」
 優李亜はファイルを開き、黄ばんだ紙のコピーを一枚、すっと差し出した。

 「校内新聞。昔の」
 悟真が身を乗り出す。
 「え、あったんだ。そんなの」
 啓恭が、紙に顔を近づけてすぐ笑った。
 「字、ちっさ! 昔の人、目いいな」
 芽郁が小声で言う。
 「昔の人って、誰」

 記事の見出しは、薄いインクで読めた。
 『校舎裏の花壇 冬の――』
 そこから先は、写真と短い文章。古い花壇の前に立つ生徒たち。今より背が低いコート。空には小さな光。
 芽郁は息を止めた。優李亜の持ってきた写真と、同じ匂いの光だ。

 ただ、文章の途中だけ、真っ黒に塗りつぶされていた。
 真っ直ぐじゃない。筆で塗ったみたいに、端が少しだけ滲んでいる。

 啓恭が指で黒い部分を指した。
 「これ、俺の通知表じゃん」
 芽郁が即座に返す。
 「違う。そこまで真っ黒じゃない」
 啓恭が胸を押さえる。
 「芽郁、厳しい」

 芽郁は、黒塗りの部分から目を離せなかった。
 塗りつぶすってことは、隠したいってことだ。隠したいってことは――。
 喉の奥が少しだけ冷たくなる。
 「……隠すってことは、悪いこと?」
 口から出た声が、自分のものじゃないみたいに薄かった。

 悟真が、すぐに首を振った。
 「悪いなら、記事ごと消えるだろ」
 悟真の言い方は、いつもみたいに軽い。でも、言葉の置き方がちゃんと強い。
 「学校の紙で残ってるってことは、残す理由もあったってことだよ」
 芽郁は「……そっか」と小さく返した。胸の冷たさが少しだけ溶ける。

 優李亜は、黒塗りの上に別の紙を重ねて、サイズを揃えた。重ねた紙の端を、きっちり合わせてから言う。
 「……黒塗り。ここだけ、厚い」
 啓恭が身を乗り出す。
 「厚いって何。剥がせる?」
 芽郁が手を伸ばしかけた瞬間、瑞生が静かに言った。
 「触るな」
 声は小さいのに、机の上の空気が止まる。啓恭が反射で両手を上げた。
 「はい! 俺、無罪!」

 瑞生は黒塗りの端を、爪じゃなく指の腹で、そっとなぞった。なぞり方が、理科室で石碑の削られた面を確かめたときと同じだ。
 瑞生の視線が、紙と紙の境目の形を拾っていく。
 「……形」
 瑞生はノートを開き、黒塗りの輪郭をそのまま写し取った。線は迷わない。丸くなった端、少し欠けた角。
 描き終えてから、瑞生はもう一枚のページをめくり、石碑の平らな面のスケッチを並べた。

 芽郁が覗き込んで、息を呑む。
 「……似てる」
 悟真も顔を寄せた。
 「ほんとだ。同じ角……」
 啓恭が、やっと冗談を言う声が出なくなった。
 「え、これ……偶然じゃない?」
 瑞生は短くうなずく。
 「偶然じゃない」

 芽郁は、理科室で触ったあの平らな面を思い出した。欠けたんじゃない。削った跡。
 紙の黒塗りも、ただ隠しただけじゃない。隠す形が、残っている。
 誰かが、消したかった。でも、全部は消さなかった。

 優李亜が、机の上にもう一枚、コピーを置いた。黒塗りがないページの端に、小さな手書きのメモが写っている。
 『安全のため 中止』
 芽郁はその二文字を見て、肩の力が抜けた。悪いことだから隠した、じゃない。止めた理由が、ちゃんとある。
 それでも、隠した一文は残っている。そこに、気持ちがある気がした。

 啓恭が、黒塗りの上を指で叩きそうになって、やめた。代わりに、机の端を軽く叩く。
 「……これ、誰が塗ったんだろ」
 芽郁が答える前に、瑞生がノートに書く。
 「削った人と塗った人が同じ可能性」
 悟真が「うわ、繋がってきた」と低く言い、優李亜が静かにうなずいた。

 芽郁は、黒塗りの輪郭を見つめたまま、ポケットの中でメモ帳を握った。
 逃げたくなる。怖い。知らないままのほうが楽かもしれない。
 でも、ここまで来たら、十分だけじゃ終わらない。
 悟真の言葉の強さと、瑞生の線の迷わなさと、優李亜の揃いすぎる紙の角が、芽郁を机の前に縛りつけた。

 瑞生が採点表を閉じ、短く言う。
 「次。聞く」
 啓恭が、やっといつもの声を取り戻そうとして、少しだけ笑った。
 「誰に?」
 瑞生は、窓の外の月を一度だけ見てから言った。
 「知ってる人」

 芽郁は、その「知ってる人」が誰なのか、もう半分わかっている気がした。
 校舎裏のことを、昔から見ている人。鍵の場所も、花壇の土の硬さも、知っている人。
 胸の奥がざわつく。けれど、ざわついたままでも、足は止まらない。

【続】