冬の花火、上げます。――無口な瑞生と男子たちのメリークリスマス

第10話 啓恭の批評、磨きになる 
 
 十二月上旬の放課後。教室の窓の外はもう灰色で、ストーブの音だけが「まだ帰るな」と言っているみたいに鳴っていた。
 芽郁は机の上に、印刷した挨拶文と注意事項の紙を並べた。紙の角は揃っている。揃っているのに、胸の奥が落ち着かない。
 ストーブの前で乾いた上履きが、かすかにゴムの匂いを立てる。芽郁は紙を指で叩いて揃え直した。揃えれば揃えるほど、言葉だけが薄く見えてくる。誰かの心に届くように、でも校則にも届くように――二つの宛先が同じ封筒に入らない気がした。

 悟真が紙をめくるたび、紙の擦れる音がやけに大きい。瑞生のノートには、赤でも黒でもない、淡い字で「危険」「対策」「お願い」と並ぶ。啓恭の指は行間を追い、つまずいた場所で止まる。芽郁はその止まり方で、「ここが穴だ」と分かってしまい、唇を引き結んだ。


 「よし。まずは読むぞ」
 悟真が言って、紙を持ち上げた。読む速度が速い。走るのも速いのに、読むのも速い。
 瑞生はノートを膝の上で開き、ペン先を置いたまま待つ。優李亜は机の端で、紙がずれないように指先だけで支えている。

 啓恭は、紙を見た瞬間に眉を上げた。
 「……うん。きれい。きれいすぎて、怖い」
 芽郁が目を細める。
 「なにそれ。褒めてないよね」
 啓恭は、ため息みたいに息を吐いて、さらっと言った。
 「ここ、説得力ゼロ」

 空気が一瞬、固まった。
 芽郁の指がホチキスの上で止まる。止まったまま、じわっと熱くなる。
 「……は?」
 言い返しかけた芽郁の前に、悟真が手のひらを出した。
 「じゃあ、どう直す?」
 悟真の声は軽い。軽いのに、逃げ道を作らない。

 啓恭は一瞬、詰まった。自分で言い出したのに、次の言葉が見つからない顔。
 芽郁はその間に、口の中で「面倒」と言いそうになった。言ったら終わる。だから、言わない。
 瑞生が、ぼそっと言う。
 「理由。足りない」
 短い。けれど、そこに刺さる。

 啓恭が、急に笑って椅子を反対向きにした。
 「そう! 理由! 今の文章、めっちゃ丁寧な人が、玄関で深々お辞儀してるだけ!」
 芽郁が口を開く。
 「丁寧が悪い?」
 啓恭は首を振る。
 「丁寧は武器。でも武器って、刃が見えないと怖いだろ。相手が『で、何がいいの?』ってなる」
 悟真が「なるほど」とうなずき、優李亜が小さく「うん」と言った。

 啓恭は紙の余白に、勝手に鉛筆で丸をつけた。
 「ここさ、『短い花火をします』って書いてあるけど、近所の人は『なんで学校で?』ってなるじゃん」
 芽郁が言い返す。
 「だから『安全に配慮して』って書いてある」
 啓恭は笑いながら、さらに言う。
 「配慮って言葉は、ふわふわ。ふわふわって、犬なら可愛いけど、紙だと信用されない」
 芽郁の眉が動く。ムカつくのに、ちょっと分かるのが余計にムカつく。

 啓恭は、指で机を二回叩いた。
 「『水のバケツを二つ用意します』『消火器を設置します』『大人が必ず見守ります』って、数字と動きを入れる。ここで安心が増える」
 悟真がすぐにメモを取る。
 「バケツ二つ。消火器。見守り」
 瑞生もノートに書く。字が、いつもより少し速い。

 啓恭は続けた。
 「あと、『騒音に配慮します』だけじゃ足りない。『時間は何分』『何時まで』って言って、先に終わりを約束する。終わりが見えると、人は文句を言いづらい」
 芽郁は舌打ちしたい気持ちを、唇の内側で押し込めた。
 「……言葉で、文句止めてきた人の発想」
 啓恭は胸を張る。
 「そう。俺、止めるの得意。止まらないけど」

 悟真が笑って、芽郁の紙に新しい行を足した。
 「『実施時間は十分程度です』って入れたら?」
 芽郁は「十分」を見て、目を一度だけ伏せた。逃げる前の十分。終わりが見える十分。
 「……書く」

 優李亜が、静かに言う。
 「……挨拶文の最初。『突然のご連絡』より、『いつもありがとうございます』」
 芽郁が顔を上げると、優李亜は視線を落としたまま、紙の角を揃え直した。言うだけ言って、揃えるほうへ戻る。
 瑞生が、最後に一言だけ足した。
 「目的。短く」
 芽郁は深呼吸して、ペンを握った。面倒くさい。面倒くさいのに、直す場所が見えると、手が勝手に動く。

 十分後。紙の上の文章は、少しだけ硬さが取れて、代わりに芯が出た。
 啓恭が、出来上がった文面を見て、なぜか小さく頷いた。
 「……うん。これなら、怒られにくい」
 芽郁が、ぼそっと言う。
 「怒られない、とは言わないんだ」
 啓恭は肩をすくめた。
 「世の中は甘くない。でも、俺たちは工夫できる」

 瑞生が採点表を開いた。ペン先が、啓恭の欄で止まる。
 「啓恭(貢献・上)」
 小さく書かれたその二文字を、啓恭が見てしまった。

 啓恭は耳まで赤くなったのを隠すみたいに、急に立ち上がった。
 「はーい! じゃあ俺、近所に配る練習してくる! こんにちはぁ! 心の当番でぇす!」
 「やめろ!」
 芽郁が叫び、悟真が笑い、優李亜が「しー」と指を立てた。瑞生は採点表を閉じ、啓恭の背中が廊下へ消えるのを、無表情のまま見送った。

 残った机の上には、少しだけ強くなった言葉が並んでいる。
 芽郁は紙の端を揃え直し、ホチキスを一回だけ、今度は普通の力で押した。
 バチン、と小さな音がして、針がきれいに止まった。

【続】