役目を終えたはずの巫女でした―――選ばれなかった時間の続き

結界修正の部屋に戻ると、リエットがこちらを振り向いた。

「おかえりなさいませ、サクラ様」

リエットはいつもと変わらない落ち着いた声で言う。

「さっきは、すみませんでした。泣いてしまって」

「それで、その、あの……けっ」

と、結婚と言いかけて止まる。

いざ報告するとなると、恥ずかしさがさらに増してくる。

リエットは急かすこともなく、そのまま待っていた。

桜は結局、クロトの方をちらっと見る。

それを受けて、クロトが口を開いた。

「リエット様」

リエットが視線を向ける。

「サクラ様は、今後この国に住まれます」

「私と結婚していただけることになりました」

桜の顔が一気に赤くなるが、クロトは平然としている。

リエットは一瞬だけ目を細め、それから穏やかに微笑んだ。

「そうでしたか」

「それは、おめでとうございます」

桜は小さく頭を下げる。

「ありがとうございます……」

そして続ける。

「それで……明日、日本で仕事があるので、今日には帰らないといけないんですけど」

「診療所にも挨拶に行きたいので、帰るのがいつもより遅くなると思います」

「わかりました」

リエットは頷き、続ける。

「それから、サクラ様があちらに帰られましたら、再召喚が必要となりますね」

「お願いいたします」

クロトが言い、桜も小さく頭を下げる。

それから桜が付け足す。

「あの……できれば1か月、ギリギリまで日本に居たくて」

「ご家族のためにも、そうされた方がよいでしょう」

リエットは柔らかな笑みを浮かべて頷いた。

そして続ける。

「再召喚には凜様のお力も必要になります」

「何より、巫女交代となりますし、凜様にはこちらでお待ちしておりますとお伝えください」

「はい」

桜は頷き、続ける。

「凜のこと、これからよろしくお願いします」

「あと……私の件も、ご迷惑おかけします」

リエットはすぐに首を横に振った。

「いえ」

「サクラ様には、これまで随分ご迷惑をおかけしてきたのですよ」

「お礼を言わなければならないのは、私たちの方です」

そして柔らかく微笑む。

「それに」

「私にとっては、サクラ様もクロト様も大切ですから」

桜は思わず顔を上げる。

何と言えばいいのか分からず、ただ小さく頭を下げた。

リエットへの挨拶が済むと、二人は部屋を出る。

廊下に出ると、クロトが言う。

「私は師団長と兄のアルトへ報告に向かいます」

そう言うと、結界修正の部屋の前で待機していたリーゼへ声をかけた。

「リーゼ、サクラ様の護衛を頼む。これから診療所へ挨拶に行かれる」

「承知しました」

リーゼは一礼し、桜の横へと立つ。

クロトは桜と一瞬だけ視線を合わせると、そのまま歩き去った。

少し歩いたところで、リーゼが静かに言った。

「サクラ様」

「おめでとうございます」

桜は思わず顔を上げる。

そしてすぐに頬が赤くなった。

「……ありがとうございます」

リーゼは柔らかく微笑む。

「サクラ様がこちらに残ってくださるのは、私も嬉しいです」

そして少し声を落とす。

「それと……副師団長のことも、よろしくお願いします」

桜は首を傾げる。

「クロトさんですか?」

リーゼは頷いた。

「あの方は、ご自分の無理を無理と思わない方ですから」

桜は少し考えてから頷いた。

「はい」

「無理したら……怒れるように頑張ります」

リーゼはくすっと笑った。

「それは、きっと必要ですね」

二人はそのまま王宮診療所へ向かった。

王宮の廊下をしばらく歩き、診療所の前で桜は足を止める。

深く息を吸い、ゆっくり吐いた。

――――――――――

診療所内はいつも通り忙しく、皆せわしなく動き回っている。

桜はエルンスト医師の机の前で足を止めた。

「先生、少しよろしいですか」

エルンストはカルテを書いていた手を止め、顔を上げる。

「……何だ」

桜は一度息を整えてから言った。

「私、巫女の期間が今日で終わることが決まったので、1か月ほど日本へ戻ります」

「……申し訳ないのですが、その間はシフトに入れません」

エルンストは「1か月」という言葉に少し反応したが、短く頷くだけだった。

「わかった」

桜は続ける。

「あの……でも、1か月後にこちらへ戻ってくることになって」

「なので、来年度もこの診療所で働かせていただきたいんです」

エルンストは納得したように頷いた。

「あぁ、前も言った通り、うちは常に人手が足りていない」

「サクラには、これからも色々やってもらいたいこともあるしな」

少し間を置いて言う。

「また頼む」

桜はほっとしたように頭を下げた。

「ありがとうございます」

そのとき、エルンストがふと続けた。

「……こっちで結婚でもするのか」

桜は一瞬固まる。

「はい」

エルンストはさらに言う。

「あの副師団長か」

「え?」

桜は驚いて顔を上げる。

「……はい。クロトさんと……」

そして思わず聞く。

「って、何も言ってないのに、なんで分かるんですか」

エルンストは桜の顔をちらりと見て、カルテに視線を戻した。

「……まあ、なんとなくだ」

その会話を後ろで聞いていたマルタが声を上げた。

「おめでとう、サクラ」

桜が振り返る。

「マルタさん……」

マルタは腕を組んで笑う。

「サクラがいなくなると診療所は痛手だからね」

「いつクロト副師団長が引き留めるのか、私はやきもきしてたのよ」

「えぇ、ちょ、なんでマルタさんまで」

桜の顔が一気に赤くなる。

マルタは肩をぽんぽんと叩いた。

「いや、サクラは分かりやすいし」

「クロト副師団長って、サクラに過保護でしょ。まあ、なんとなくね」

そして診療所の奥へ声をかけた。

「ロッテ!聞いた?サクラがクロト副師団長と結婚するわよ!」

「えっ!本当?!」

ロッテが驚いた顔でこちらを見る。

ユリウス医師も顔を上げ、介護人たちも振り向いた。

「本当ですか、サクラさん!いつのまに?」

「え、クロト副師団長と!?」

驚きの声が次々と上がる。

桜が働いているのは王宮診療所の入院施設だ。

患者の多くは王宮職員で、騒ぎに気づいた患者たちまで話に加わってくる。

「おめでとうございます、サクラさん」

「あの特別副師団長と結婚とはすごいですね」

「サクラさん、よかったですね」

気づけば、診療所全体が祝福の空気に包まれていた。

桜は嬉しさと恥ずかしさが半分ずつ混ざったまま、何度も頭を下げる。

「ありがとうございます……」

顔の熱は、なかなか引かなかった。