役目を終えたはずの巫女でした―――選ばれなかった時間の続き

3月末まで、あと2週間となった金曜日の朝だった。

私はまだ、何も決められていない。

時間だけが、ただ過ぎていく。

焦っている自覚はあるのに、どうしていいのか分からない。

考えても、同じところに戻ってしまう。

お母さんとお姉ちゃんに、話を聞いてもらおうかな。

ふと、そんなことを思った。

何を相談したいのか、自分でもよく分からない。

ただ、このまま一人で考えていても、きっと同じところをぐるぐる回るだけだ。

そんなことを考えていると、部屋の扉が軽く叩かれた。

「サクラ様」

聞き慣れた声だった。

扉を開けると、クロトさんが立っている。

結界修正部屋までの護衛。

いつも通りの朝。

「おはようございます」

「おはようございます」

短い挨拶を交わして、私は部屋を出た。

クロトさんがほんの少し前を歩く。

私はその背中を見ながら、廊下を歩いていた。

あと、何回だろう。

こうして姿を見られるのも。

こうして言葉を交わせるのも。

そんなことを考えてしまう自分に、少しだけ苦笑する。

こんなことなら、前みたいに突然交代した方が良かったのかな、なんて思ったりもする。

でもリエット様の話では、強制交代のあとには1か月間の余韻期間がある。

凜ちゃんに頼めば、こちらに戻る選択肢が完全に消えるわけではないらしい。

それはそれで、また悩むのだろうけれど。

だって、巫女でもない立場で突然戻ってきて、「何しに来たの?」って思われたら、さすがに居場所がない気がする。

それに、日本の家族とは1年に1週間しか会えなくなる。

こっちにいたって、クロトさんの姿を今までみたいに見られるわけじゃない。

仕事の人間関係なら、正直こっちの方が気に入っているけれど。

……結局、また同じところに戻ってしまう。

堂々巡りの考えのまま、私は歩き続けていた。

「着きました」

クロトさんの声で、我に返る。

いつもの結界修正の部屋だった。

「ありがとうございます」

私は小さく頭を下げて中へ入る。

私は一度だけ、軽く頭を振った。

今は考えない。

今は仕事だ。

私は結界へと手を伸ばし、意識を集中させた。

いつものように、ほころびを探す。

弱くなっている部分を見つけて、縫い合わせる。

……はずだった。

「あれ?」

思わず、小さな声が漏れた。

触れてみても、手応えがない。

まだ弱いと思っていた部分に触れてみる。

縫う。

けれど、何も変わらない。

おかしい。

もう一度、同じ場所に触れる。

……変わらない。

なら別の場所。

そこも触れてみる。

でも、同じだった。

何も変わらない。

私は少しだけ焦りながら、次、次と別の場所を確かめていく。

それでも結果は全部同じだった。

その時だった。

「サクラ様」

リエット様の声が聞こえた。

私は振り返る。

リエット様は静かにこちらを見ていた。

そして、ゆっくりと首を振る。

それは言葉ではない合図だった。

もう修正する場所はありません。

そういう意味。

私はしばらく、そのまま立っていた。

それからゆっくりと、結界に触れていた手を下ろす。

(ああ……)

終わったんだ。

「どうされたんですか?」

クロトさんの声が聞こえた。

振り向くと、クロトさんがこちらを見ている。

まだ状況が分かっていない顔だった。

リエット様は何も言わない。

ただ、静かに私を見つめている。

私は何か言おうとして口を開いた。

でも、言葉が出てこない。

今ここで口を開いたら、たぶん泣いてしまう。

……これを言ったら、本当に終わってしまう。

それでも、言わないわけにはいかなかった。

「……おわ……り……で……す」

一言目を言った瞬間に、涙があふれた。

最後までちゃんと言えたのか、自分でもよく分からない。

でも、それでも。

私は確かに伝えた。

結界修正が終わったことを。

クロトは、少し離れた場所からそれを見ていた。

桜の頬を伝う涙を見た瞬間、思わず一歩踏み出す。

手を差し伸べかける。

だが、その手は途中で止まった。

桜とクロトの間には、わずかな距離があった。

その距離は、思ったよりも遠かった。

リエットは静かに目を伏せる。

クロトは何も言えなかった。

ただ、目の前の現実を理解したまま――

クロトはその場に立ち尽くしていた。