役目を終えたはずの巫女でした―――選ばれなかった時間の続き

水曜日の昼下がり。

サクラ様は机に本を広げていた。

けれど、ページはほとんど進んでいない。

視線は文字の上を滑るだけで、内容は頭に入っていないようだった。

時折、胸元へと目が向く。

指先が、無意識に守り石に触れている。

その様子を見て、リーゼは声をかけた。

「どうかされましたか」

一瞬、言葉を探すように視線を落とす。

「……もうそろそろ、交代の時期が近いんです」

守り石に触れたまま、小さく笑った。

「だから、なんていうか……ちょっと落ち着かなくて」

リーゼは返す言葉を見つけられず、わずかに沈黙する。

ふと、胸元に目が留まった。

薄紅色の守り石が、服の隙間から少しだけ覗いている。

「そちらの守り石、綺麗ですね」

少し驚いたように目を瞬かせ、それから口元をほころばせた。

「クロトさんにもらったんです。守護がかけてあるからって」

指先で石をそっとなぞる。

「綺麗ですよね」

少し間があって、ぽつりと続けた。

「でも、これも……私の世界には持っていけなくて」

守り石を見つめたまま、小さく呟く。

「たぶん、魔力が込められてるせいなのかな」

リーゼはその石を見る。

薄紅色の守り石。

副師団長が選ぶには、少し意外な色だと思った。

だが――

意味が分かる気がして、それ以上は何も言えなかった。

すぐに顔を上げ、困ったように笑う。

「……ごめんなさい。なんか、変なこと言って」

「なんていうか……色々考えちゃって」

少し肩をすくめる。

「私、こちらにもなじんできたから。ちょっと寂しいなって、はは」

サクラ様は力なく笑った。

――――――――――

騎士団の訓練場。

午後の訓練はいつも通り行われていた。

剣がぶつかる音。

魔力の流れ。

騎士たちの呼吸。

どれも、普段と変わらない光景だった。

ただ一つ――

副師団長だけが、少しだけ違っていた。

最近、また仕事を抱え込むようになっている。

本来なら他の騎士に任せても問題のない書類まで、自分で処理している。

任務の確認も、必要以上に細かい。

表面上は、いつも通りだった。

だがリーゼには分かる。

ほんのわずかだが、魔力の流れに違和感がある。

制御が乱れているわけではない。

むしろ普通の騎士なら気づきもしない程度の差だ。

だが、副師団長にしては珍しい。

訓練でも同じだった。

部下との模擬戦。

彼は相手の剣を軽く受け流す。

それだけで勝負は決まる。

いつもなら、その加減は完璧だった。

だが今日は、ほんの少しだけ強い。

もちろん怪我をさせるほどではない。

だが、いつもの副師団長なら起こらない程度の差。

――似ている。

サクラ様が突然召喚されなくなった、あの三年間。

あの頃の副師団長も、今とよく似ていた。

任務はいつも通りだった。

誰も異常とは言わなかった。

それだけで、リーゼには十分だった。

原因が何かも分かっている。

だが――

それを口にすることはできない。

――――――――――

サクラ様が診療所へ早く出勤するため、結界修正のあと、途中からリーゼが護衛任務を引き継ぐことになっていた。

副師団長がサクラ様の隣に立つ。

いつもの護衛交代だった。

だが、その場の空気は少しだけ違っていた。

サクラ様は何か言いかけるように視線を上げる。

副師団長も同じだった。

だが、どちらも言葉にはしない。

ほんの短い沈黙のあと、副師団長が一歩下がる。

それだけで、護衛はリーゼに引き継がれた。

二人とも、気づいていないのだろう。

その沈黙が、どれほど分かりやすいものかを。