土曜日。
いつもの勤務を終えたあとで、桜は科長の部屋を訪ねた。
軽くノックをすると、すぐに「どうぞ」と声が返る。
「失礼します」
科長は机の書類から顔を上げた。
「来たわね。今後のこと、決まった?」
桜は少しだけ視線を落とした。
「その……まだ、結論が出せなくて」
科長は急かさず、先を促すように桜を見る。
「できれば、週1勤務のまま、あと半年ほど続けさせていただきたいです」
少し間が空いた。
科長は小さく息をついて、苦笑する。
「そうなのね。正直、来年度は貴方が正職員で戻ってきてくれることを、少しは期待してたんだけどね」
肩をすくめる。
「まあ、しょうがないわね」
桜は慌てて頭を下げた。
「すみません。ずるずる延長してしまって……」
少し顔を上げる。
「まだ悩んでいて……4月には結論を出すつもりなんですけど」
科長はしばらく桜を見ていたが、やがて頷いた。
「なるほどね。何に悩んでいるのか、私には分からないけど……」
そこで一度言葉を切る。
「悩むぐらいなら、思い切ってみるのもいいんじゃないかしら」
桜は一瞬、言葉に詰まった。
「……はい」
科長はそれ以上踏み込まず、書類を閉じる。
「半年ね。分かったわ」
「ありがとうございます」
桜はもう一度、頭を下げた。
部屋を出たあと、胸の奥に残ったのは、少しの安堵と、まだ消えない迷いだった。
*****
ゼフィーリアの王宮診療所。
午後、処置室が空いたところで、エルンストが桜を見た。
「サクラ、少しいいか」
「はい」
桜は手元の記録を閉じ、処置室に入る。
エルンストは腕を組んだまま、桜を見た。
「来年度のことだ」
いきなり本題だった。
「お前の予定は決まっているのか」
桜は一瞬だけ言葉に詰まる。
「その……たぶん、来年度はここにはいないんじゃないかとは思うんですけど」
自分でも、ひどく曖昧な言い方だと思った。
「なんていうか、まだ、よく分からなくて」
そこで言葉が止まる。
エルンストは何も言わず、しばらく桜を眺めていた。
やがて、小さく息を吐く。
「こちらとしてはな」
低い声だった。
「あてにできない人間に頼るわけにはいかないからな」
桜の胸が、わずかに縮む。
「国立病院から、新しい看護師の派遣を要請するつもりだ」
桜は一瞬だけ目を伏せた。
少しだけ、胸に刺さるものがあった。
でも、それは当然の判断だった。
「……そうですよね」
顔を上げて、桜はうなずく。
「そうしてもらえたら」
口元に浮かんだのは、少し力のない愛想笑いだった。
エルンストはその様子を見て、ふっと笑う。
「まあ、元々うちは万年人手不足だからな」
肩をすくめる。
「万が一、来年度もサクラがいるなら、ついでにもう1人雇ってもらえて丁度いい」
桜は思わず目を瞬かせた。
エルンストは続ける。
「それに、トリアージもまだまだ検討事項が多い」
「早期の動作訓練にいたっては、始まったばかりだ」
少し口元をゆるめる。
「やることは、山ほどある」
桜は小さく笑った。
「……そうですね」
処置室を出たあと、桜は少しだけ足を止めた。
日本でも、こちらでも、来年のことを聞かれた。
どちらの場所でも、はっきりした答えを言えなかった。
時間だけがどんどん進んでいく。
正直、自分がどうしたいのかも、よく分からない。
何も選べていない。
ただ、気持ちだけが焦る。
何に焦っているのかすら、分からないまま――
桜は小さく息を吐いて、再び歩き出した。
いつもの勤務を終えたあとで、桜は科長の部屋を訪ねた。
軽くノックをすると、すぐに「どうぞ」と声が返る。
「失礼します」
科長は机の書類から顔を上げた。
「来たわね。今後のこと、決まった?」
桜は少しだけ視線を落とした。
「その……まだ、結論が出せなくて」
科長は急かさず、先を促すように桜を見る。
「できれば、週1勤務のまま、あと半年ほど続けさせていただきたいです」
少し間が空いた。
科長は小さく息をついて、苦笑する。
「そうなのね。正直、来年度は貴方が正職員で戻ってきてくれることを、少しは期待してたんだけどね」
肩をすくめる。
「まあ、しょうがないわね」
桜は慌てて頭を下げた。
「すみません。ずるずる延長してしまって……」
少し顔を上げる。
「まだ悩んでいて……4月には結論を出すつもりなんですけど」
科長はしばらく桜を見ていたが、やがて頷いた。
「なるほどね。何に悩んでいるのか、私には分からないけど……」
そこで一度言葉を切る。
「悩むぐらいなら、思い切ってみるのもいいんじゃないかしら」
桜は一瞬、言葉に詰まった。
「……はい」
科長はそれ以上踏み込まず、書類を閉じる。
「半年ね。分かったわ」
「ありがとうございます」
桜はもう一度、頭を下げた。
部屋を出たあと、胸の奥に残ったのは、少しの安堵と、まだ消えない迷いだった。
*****
ゼフィーリアの王宮診療所。
午後、処置室が空いたところで、エルンストが桜を見た。
「サクラ、少しいいか」
「はい」
桜は手元の記録を閉じ、処置室に入る。
エルンストは腕を組んだまま、桜を見た。
「来年度のことだ」
いきなり本題だった。
「お前の予定は決まっているのか」
桜は一瞬だけ言葉に詰まる。
「その……たぶん、来年度はここにはいないんじゃないかとは思うんですけど」
自分でも、ひどく曖昧な言い方だと思った。
「なんていうか、まだ、よく分からなくて」
そこで言葉が止まる。
エルンストは何も言わず、しばらく桜を眺めていた。
やがて、小さく息を吐く。
「こちらとしてはな」
低い声だった。
「あてにできない人間に頼るわけにはいかないからな」
桜の胸が、わずかに縮む。
「国立病院から、新しい看護師の派遣を要請するつもりだ」
桜は一瞬だけ目を伏せた。
少しだけ、胸に刺さるものがあった。
でも、それは当然の判断だった。
「……そうですよね」
顔を上げて、桜はうなずく。
「そうしてもらえたら」
口元に浮かんだのは、少し力のない愛想笑いだった。
エルンストはその様子を見て、ふっと笑う。
「まあ、元々うちは万年人手不足だからな」
肩をすくめる。
「万が一、来年度もサクラがいるなら、ついでにもう1人雇ってもらえて丁度いい」
桜は思わず目を瞬かせた。
エルンストは続ける。
「それに、トリアージもまだまだ検討事項が多い」
「早期の動作訓練にいたっては、始まったばかりだ」
少し口元をゆるめる。
「やることは、山ほどある」
桜は小さく笑った。
「……そうですね」
処置室を出たあと、桜は少しだけ足を止めた。
日本でも、こちらでも、来年のことを聞かれた。
どちらの場所でも、はっきりした答えを言えなかった。
時間だけがどんどん進んでいく。
正直、自分がどうしたいのかも、よく分からない。
何も選べていない。
ただ、気持ちだけが焦る。
何に焦っているのかすら、分からないまま――
桜は小さく息を吐いて、再び歩き出した。

