家の前についた軽自動車の中は、逃げ場のない沈黙が支配していた。
母はハンドルを握ったまま、その指先が、白くなるほど強く握りしめられているのを、私はただぼんやりと見つめていた。
「ごめん。咲菜、お母さん、もうお仕事の予定入ってて⋯⋯」
絞り出された母の声は、今にも千切れてしまいそうに細かった。
今日、私が病院へ行くために、母は無理を言って数時間だけシフトをずらしてもらったのだろう。
母にとって、仕事に穴を開けることは死活問題だ。
それは、娘の心臓に花が咲こうとしている今この瞬間であっても、変わることのない現実だった。
「ううん。大丈夫だよ」
私は努めて平然を装い、シートベルトを外した。
車から降りたあと、母は運転席の窓を下げ、申し訳なさそうな、それでいてどうしようもない悲しみに暮れた表情で私を見た。
「なにかあったら、ちゃんと連絡するのよ?できるだけすぐ、戻ってくるから」
「うん。わかった。お仕事、頑張ってね」
力なく笑って見せると、母は一度だけ頷き、アクセルを踏んだ。去っていく車の後ろ姿が、陽炎の中に溶けていく。
広い道路に一人取り残された私は、自分の胸にそっと手を当てた。
お母さん、連絡って何をすればいいの。
心臓が痛いって? 死ぬのが怖いって?
それとも私が、一緒にいてほしいって言えば、お母さんは仕事を放り出して抱きしめてくれる?
言えるはずがなかった。
母の肩にかかっている重荷を、これ以上増やしたくない。
アスファルトの照り返しが、私の輪郭を少しずつ奪っていくような気がした。

