死にゆく私は、桜の世界で二度と散らない恋をした。



ひとしきり泣いたあと、私たちは少しだけ落ち着きを取り戻して、向かい合わせに座れる机へと移動した。


私は、奏斗と一緒に作ったガトーショコラの、鈴の分を取り出した。ラップに包まれたそれは、まだ微かに甘いチョコレートの香りを放っている。


​「はい、これ。遅くなっちゃったけど、バレンタイン」


「⋯⋯ありがと。咲菜が作ったの?」


「うん。奏斗⋯⋯あ、瀬口先輩に手伝ってもらって」


​鈴は、大切そうにフォークを動かした。
一口、口に運ぶと、彼女の顔がぱっと明るくなる。


「⋯⋯おいしい。ねえ、お店のよりおいしいよ、これ」


「よかった。奏斗もそう言ってくれたんだ」


​私が自然に彼の名前を呼ぶと、鈴がピタリと手を止めた。
泣き腫らしたはずの瞳に、いつもの悪戯っぽい光が宿る。


​「⋯⋯ねえ、咲菜。さっきから気になってたんだけど。『奏斗』って、呼び捨て?」


「えっ、あ、いや⋯⋯」


「瀬口先輩とは⋯⋯その、付き合ってるの?」


​「ぶふっ!!」


​私はちょうど口にしていたお茶を吹き出しそうになり、激しくむせ返った。


「ゲホッ、ゲホッ! な、なに、急に⋯⋯!」


「あはは! 反応分かりやすすぎ! 咲菜、顔真っ赤だよ」


​鈴がケラケラと声を上げて笑う。
その明るい笑い声が、病室の重苦しい空気を一瞬で吹き飛ばしてくれる。


「で? どうなの? 返答次第では、私、瀬口先輩に一言物申さなきゃいけないんだけど」


「⋯⋯物申すって、何をさ。⋯⋯うん。⋯⋯付き合ってるよ」


​私は、俯きながら消え入るような声で答えた。
今まで誰にも⋯⋯お母さんにさえ言っていなかった、私たちの本当の関係。


鈴は「やっぱりー!」と嬉しそうに声を弾ませた。


​「そっかぁ。あのモテモテの瀬口先輩を射止めるなんて、やるじゃん。⋯⋯でも、肝心の先輩はどこにいるの? 彼女がこんなに大変な時に、そばにいないわけ?」


​鈴の言葉に、私は窓の外⋯⋯調理実習室がある方向を見上げた。


「⋯⋯今、調理室で、ホワイトデーのクッキーを作ってくれてるみた
い。お返し、楽しみにしててねって言われて」


「えっ、あの先輩が料理? 意外⋯⋯。でも、そっか。二人で、頑張っ
てるんだね」


​鈴の表情が、ふっと柔らかくなる。
彼女はもう、私を可哀想な病人としては見ていなかった。


恋をして、親友にお菓子を作って、限られた時間を精一杯生きている一人の親友として、隣にいてくれている。


​「⋯⋯咲菜。私、今日ここに来て、咲菜の匂いを嗅いで⋯⋯本当に怖かった」


鈴は残りのケーキを飲み込み、私の手をテーブル越しに握りしめた。


「でも、このケーキを食べたら、咲菜の温かさが伝わってきたよ。咲菜はまだ、ここにいる。私の大好きな咲菜のままで」


​鈴の温かい手のひら。
心臓の根っこが締め付ける痛みさえも、その温もりが和らげてくれるような気がした。


私たちはそれから、学校のクラスメイトの噂話や、これから流行りそうなファッションのこと⋯⋯まるで明日も学校で会えるかのような、他愛もない話をたくさんした。


けれど、別れの時間は無情にやってくる。
面会終了を知らせるチャイムが、夕暮れの廊下に響き渡った。


​「⋯⋯じゃあ、私、行くね。また明日も来るから」


「うん。⋯⋯待ってるね、鈴」


​鈴は荷物をまとめて立ち上がると、もう一度だけ私を強く、壊れ物を包むように抱きしめた。


耳元で、彼女の震える声が聞こえる。


​「大好き。⋯⋯ずっと親友だよ。咲菜」


​その言葉は、私の魂の奥底まで染み込んでいった。


今日、この瞬間の大好きは、どんな宝石よりも輝いて見えた。


「ありがとう⋯⋯。大好き、鈴。いつもありが⋯⋯」


​最後の一言を言おうとした瞬間。
心臓を貫く、鋭い衝撃。


「⋯⋯っ!」


私は鈴の腕の中で、言葉を失って固まった。
私の中から溢れ出す桜の香りが、一気に濃度を増す。


「咲菜!? 大丈夫!? 先生!!」


「⋯⋯ううん、大丈夫。⋯⋯ちょっと、びっくりしただけ」


​私は無理やり笑って、鈴の手を離した。

泣かせたくない。
これ以上、彼女に絶望を見せたくない。


鈴を笑顔で見送ったあと、私は静かに崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。

三月の夜が、ゆっくりと降りてくる。
親友との最後の秘密と、奏斗が作ってくれているクッキーの香り。


私はそれらを胸に抱きながら、いよいよ逃れられない開花の時が、すぐそばまで来ていることを悟っていた。