一月一日。
新しい年が明けたというのに、空はどんよりと低く、今にも雪が降り出しそうな寒さだった。
年越しは眠気に耐えられず寝てしまい、そばを食べられなかった。
私は、厚手のニットワンピースにロングコート、そしてクリスマスに奏斗先輩が褒めてくれた淡いピンクのマフラーをしっかりと巻いて、待ち合わせの神社へと向かった。
和服を着てくる余裕なんてなかったけれど、せめてお正月らしく、髪だけは丁寧に編み込んで、小さなパールの飾りをつけた。
参道の入り口で待っていた奏斗先輩は、今日も黒のコートをスマートに着こなしていて、周囲の喧騒の中でもすぐにそれと分かる存在感を放っていた。
「咲菜! こっち」
先輩が大きく手を振る。
その声を聞くだけで、冬の冷たい空気がふっと緩む気がする。
「あ、先輩! あけましておめでとうございます」
「おめでとう咲菜。今年もよろしくね」
さらりと呼ばれた名前に、まだ慣れない心臓がトクンと跳ねる。
私たちは、出店が立ち並ぶ賑やかな参道を、肩を寄せ合って歩き出した。
甘酒の匂いや、焼きイカの香ばしい匂い。
そのお正月らしい香りの隙間から、ふわりと、私の中から桜の香りが漏れ出す。
クリスマス以来、痛みは少しずつ、けれど確実にその頻度を増していた。
「⋯⋯混んでるね。はぐれないように、ちゃんと掴まってて」
先輩が差し出してくれた手を、私はぎゅっと握りしめた。
拝殿の前に辿り着き、私たちは賽銭箱の前で立ち止まった。
五円玉を二つ、投げ入れる。
澄んだ音が響き、私たちは目を閉じて、静かに手を合わせた。
⋯⋯神様、わがままなのは分かっています。
でも、どうかお願いです。
私は心の中で、懸命に言葉を紡いだ。
奏斗先輩が、これからもずっと、健康で、長生きをしてくれますように。私が、いなくなっても⋯⋯いつか、また誰かと恋をして、幸せになってくれますように。
⋯⋯でも、神様。本音を言うなら、やっぱり、ずっとずっと、彼のそばにいられますように。
二人で、来年もここに来られますように。
欲張りだろうか。
自分の死を認めている気持ちと、生きたいという願いが、心の中で激しくせめぎ合っている。
私はゆっくりと目を開けて、隣で真剣な表情を浮かべている先輩の横顔を見つめた。
彼は何を願ったんだろう。
「⋯⋯よし。咲菜、何お願いしたの?」
「内緒です。先輩は?」
「僕はね、『咲菜の病気が治って、世界一の幸せ者になりますように』。あ、これ言っちゃったら叶わなくなるんだっけ」
先輩は子供のように笑いながら、私の頭をポンポンと叩いた。
「ほら、おみくじ引こう?」
私たちは、古びた木箱に入ったおみくじの筒を、気合を込めて振った。
ガラガラと音を立てて出てきた棒の番号を巫女さんに伝え、手渡され
た紙を二人同時に開く。
「⋯⋯あ、私、中吉でした」
「どれどれ? ⋯⋯『願い事:急がず待てば叶う』か。いいじゃん、咲菜。焦るなってことだよ」
「そう、ですかね⋯⋯。先輩は?」
期待して先輩の手元を覗き込むと、そこには力強い文字で、無慈悲な一文字が書かれていた。
『凶』
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯えっ?」
二人して絶句した。
よりによって、こんな時に。
「⋯⋯凶。え、待って。凶って本当に実在するの? 都市伝説じゃないの?」
先輩は、おみくじの紙を信じられないものを見るような目で見つめ、
それから何度も表と裏をひっくり返した。
「『待ち人:来たらず。失せ物:出ず。健康:長引く恐れあり』⋯⋯最悪だ。何これ、呪われてるの?」
「あはは、先輩! 顔、顔が怖いです!」
あまりのショックの受け方に、私は思わず吹き出してしまった。
「凶なんて、今どき珍しいですよ。逆にある意味、運がいいんじゃないですか?」
「良くないよ! 全然良くない! 僕はさ、今年こそ君と一緒に最高の一年にしようって思ってるのに⋯⋯。よし、決めた。これノーカウント。もう一回引く」
「えっ!? 先輩、おみくじの二回引きは反則ですよ!」
「いいんだよ! 神様も、一回目は何かの間違いだったって言うに決まってる。さな、小銭、あと百円ある?」
真剣な顔で財布を探り始める先輩。
さっきまでの「大人びた先輩」はどこへやら、今の彼は、自分の不運が許せない意地っ張りの男の子そのものだった。
「だーめです。凶は高いところに結んで帰ればいいんですよ。ほら、行きましょう」
私は笑いながら、彼の腕を引いて結び所へと向かった。
先輩は、ブツブツと不満を漏らしながらも、私の言う通りに『凶』のおみくじを丁寧に一番上の高いところに結わえつけた。
「⋯⋯来年こそは、絶対『大吉』引いてやるからな。咲菜と一緒に」
「はい。来年、また勝負ですね」
そう答えた私の声が、少しだけ震えた。
来年。
その言葉を口にするたびに、胸の奥の蕾が、鋭いトゲを突き立てるような気がする。
神社を後にする頃、空から白い粒が舞い落ちてきた。
今年初めての雪。
初雪だ、と誰かがはしゃぐ声が聞こえる。
雪は、参道の石畳を静かに白く染めていく。
私の肩に落ちた雪片は、体温ですぐに溶けてしまったけれど、先輩が繋いでくれた手の熱だけは、いつまでも消えずに残っていた。
「咲菜の手、冷たくなってる」
先輩は私の手を自分のコートのポケットに引き入れると、中で指を絡めてくれた。
降りしきる雪の中、私は彼の隣を歩き続ける。
一月。
終わりの始まり。
けれど、繋いだ手の熱が、私の明日を確かに繋ぎ止めていた。

