死にゆく私は、桜の世界で二度と散らない恋をした。



文化祭の喧騒が遠ざかり、校舎が夕闇に包まれる頃。
私たちは、もはや二人だけの約束の場所となった屋上の踊り場にいた。


フェンス越しに見下ろすグラウンドでは、後夜祭の盛り上がりが最高潮に達している。
生徒たちの歓声や、人気グループの曲が夜の空気に振動していた。


​「⋯⋯ふぅ。さすがに疲れたね。でも、楽しかった」


​奏斗先輩がフェンスに背を預け、ふっと息を吐いた。
運営委員のキャップを脱いだ彼の髪は、少し乱れていて、その隙間から見える瞳が、校舎の灯りを反射して優しく光っている。


​「はい。本当に、こんなに笑ったのは久しぶりでした。クレープも美味しかったし、お化け屋敷は⋯⋯最悪でしたけど」


「あはは、ごめん。でも、あのおかげで咲菜ちゃんが僕に抱きついてくれたから、僕としては最高だったかな」


​先輩が茶化すように笑う。
いつもなら「変態ですか」と返せるところなのに、今の私はただ、静かに微笑むことしかできなかった。


楽しくて、温かくて、眩しい一日。
それが終わろうとしている寂しさが、夜風に乗って私の心に忍び寄ってくる。


​「⋯⋯あ、始まるよ」


​先輩が指差した先。暗い夜空を切り裂くように、一筋の光が昇っていった。


ドォォォォン、という腹の底に響くような重低音と共に、巨大な光の輪が夜空に花開く。


​「わあ⋯⋯綺麗」


「すごいね。やっぱりこの学校の花火は、規模が違うや」


​次々に打ち上がる、赤、青、金色の火花。


その煌めきが、先輩の横顔を代わる代わる照らし出す。
私は花火を見るふりをして、その横顔を瞳に焼き付けようとしていた。


​「ねえ、咲菜ちゃん。来年はさ、キャンプファイヤーとか復活させたいねって、さっき運営の奴らと話してたんだ。火を囲んで、みんなで踊ったりしてさ。まあ、僕は卒業しちゃうけど、後輩の二年生にしっかり託しておくから」


​先輩は、未来の話をした。
当たり前のようにやってくる、来年の秋の話。


​「来年の文化祭も、絶対楽しいよ。僕もOBとして遊びに来るし。その時はまた、一緒に回ってくれる?」


その言葉が、私の心臓を鋭く刺した。
休眠打破の前触れだろうか。それとも、ただの悲しみだろうか。


ドクン、ドクン、と騒ぎ出す。
夜空に咲いては消えていく花火と、私の中で根を張る死の花。

その残酷なコントラストに、もう、嘘をつき通す力は残っていなかった。


​「⋯⋯先輩」


「ん?」


「来年は⋯⋯もう、いないんです」


​花火の爆音にかき消されないよう、私は震える声で、けれどはっきりと言葉を紡いだ。
先輩が不思議そうにこちらを振り返る。


​「え? 転校でもするの?」


「⋯⋯桜咲病なんです、私」


その名前を口にした瞬間、空気が凍りついたような気がした。
先輩の笑顔が、ゆっくりと消えていく。


​「⋯⋯来年の春、心臓に桜が咲いて、余命は、あと一年もないんです。だから⋯⋯来年の秋には、私はもう、この世界にいないんです」


言ってしまった。
ずっと隠してきた、暗くて冷たい真実。


一度言葉にすると、堰を切ったように感情が溢れ出した。
視界が急速に滲んでいく。


​「死にたくない⋯⋯っ」


​絞り出すような声が、夜空に溶けていく。
その場に蹲ったのに、言葉は止まらなかった。

私は顔を覆って、子供のように泣きじゃくった。



せっかくの楽しい一日を、最悪な形で終わらせてしまう。
先輩を困らせてしまう。

分かっているのに、涙が止まらない。


その時。
冷たい夜風が遮られ、温かな温度が私を包み込んだ。


​「⋯⋯っ!」


​先輩が、私を強く抱きしめていた。
彼から漂う強い香水の香りが、私の涙の匂いをかき消していく。


大きくて逞しい腕が、震える私の背中を優しく、壊れ物を扱うようにさすってくれる。


​「⋯⋯ごめん」


​彼の声も、微かに震えていた。


「死なせない、なんて無責任なことは言えないかもしれない」


先輩の手が、私の後頭部をそっと撫でる。


「でも、一人で怖がらないで。僕に、君の隣にいさせてほしい」


眩い光が、抱き合う私たちの影を長く伸ばしていた。


夜空に消えていく火花の残香と、私の香りと、彼の香り。
三つの香りが、冷たい秋の夜風の中で、静かに混ざり合っていった。