母が出ていった後の家は、しんと静まり返っていた。
テレビをつける気にもなれず、私はただ、少し冷めてしまった焼きそばを口に運んでいた。
ピンポーン、と。
静寂を切り裂くようなチャイムの音が、リビングに響き渡った。
「⋯⋯え?」
母が忘れ物でもしたのかと思った。
けれど、インターホンのモニターに映っていたのは、予想だにしない二人組だった。
一人は、ポニーテールの頭を揺らしてピースサインを作っている鈴。
そしてもう一人は、ポケットに手を突っ込んで、退屈そうに空を見上げている瀬口先輩。
「さーなー! 生きてるー!?」
「ちょっ、鈴、声が大きい⋯⋯」
慌てて玄関を開けると、そこには九月の終わりとは思えないほど、眩しい笑顔があった。
「よっ。お邪魔してます」
「二人とも、どうして⋯⋯。学校は?」
「今日は文化祭の前日準備で、午前授業だったんだよ! だから、これ届けに来たの」
鈴がカバンから取り出したのは、色鮮やかにデザインされた文化祭の入場券だった。
「ほら、咲菜の分。これないと当日入れないからね。はい、特別に手渡し!」
「ありがとう⋯⋯。でも、わざわざ届けてくれなくても、明日学校でもらえたのに」
「何言ってんの! 咲菜が明日来なかったら困るでしょ? だから、逃げられないように楔を打ちに来たんだよ」
鈴は強引に私の家の中に上がり込むと、ダイニングテーブルの焼きそばを見て「あ、美味しそう!」と目を輝かせた。
先輩も後に続くように入ってきて、珍しそうに私の家を見回している。
「あ、そうだ。咲菜、明日の文化祭さ、瀬口先輩と一緒に回りなよ!」
「⋯⋯はあっ!? 何言ってるの、鈴。私、パンフレット配りも、カフェのシフトもあるって言ったでしょ」
「えー、でも空き時間くらいあるでしょ? ずっと働いてるわけじゃないんだし」
「あるにはあるけど⋯⋯。でも、先輩に迷惑だよ」
私が先輩をチラリと見ると、彼は肩をすくめて、どこか楽しげに笑った。
「いや、僕は全然いいよ。っていうか、転校してきたばかりで役割なんて何にも振られてないからさ。ずっとフリーなんだよね、僕」
「えっ、三年生なのに?」
「うん。お客さん扱いっていうか、放置っていうか。だから、一人で回るのも寂しいなーって思ってたところ」
その言葉を聞いた瞬間、鈴の目がキラリと光った。
「あ、いいこと思いついた! 咲菜、先輩と一緒にパンフレット配りしたら? それなら役割こなしながら一緒にいられるじゃん!」
「⋯⋯鈴、何言って⋯⋯」
「お、鈴ちゃん、それナイスアイデア。天才じゃん」
先輩が鈴とパチン、とハイタッチを交わす。
「ちょっと、二人とも仲良しすぎない!? 先輩、勝手に乗らないでください!」
「いいじゃん。一人で配るより、二人で配ったほうが効率いいよ。ね?」
奏斗先輩は私の顔を覗き込み、悪戯っぽく微笑んだ。
その瞳に射抜かれると、不思議と「嫌だ」という言葉が飲み込まれてしまう。
鈴が私の肩をぽんと叩き、少しだけ真面目な顔をした。
「咲菜。明日、ちゃんと学校おいでよ? ⋯⋯みんな、待ってるんだからね」
その言葉の裏に、彼女なりの心配が詰まっているのがわかった。
私の顔色が悪いこと、最近どこか遠くを見ていること。
鈴は全部気づいていて、それでもあえて明るく振る舞ってくれている。
「⋯⋯うん。行くよ。ありがとう」
二人が帰った後、玄関には微かにあの香水の香りが残っていた。

