死にゆく私は、桜の世界で二度と散らない恋をした。



十一月が近づく十月の末。
窓の外では、あんなに騒がしかったセミの声に代わって、乾いた風が木の葉を揺らす音が支配的になっていた。


今日は学校を休んだ。
朝、体が鉛のように重くて起き上がれなかった私を見て、母が「無理しなくていいよ」と、仕事に行く準備を止めて許可をくれたのだ。


​「⋯⋯咲菜。お母さん、今日仕事休もうか? 一緒にいたほうがいいよね」


​キッチンから覗く母の顔は、ひどく疲れていて、それでいて私を失う恐怖を必死に押し殺しているように見えた。
その優しさが、今の私には何よりも苦しい。


​「ううん、大丈夫。お母さん、仕事行って。私、ちょっと寝てれば治るから。⋯⋯本当だよ」


​嘘だ。
寝ていても、蕾は消えない。

でも、これ以上母に負担をかけたくなかった。私の病気のせいで、母の生活まで壊したくない。



結局、念のためにと、午前中に予約していた病院へ連れて行かれることになった。

診察室の空気は、夏に来たときよりもさらに冷たく感じられた。
医師は、私の心臓の「成長表」のようなグラフが印刷された紙を机に広げた。


「今は『休眠』の時期に入っています」


医師は、平坦な部分を指した。


「冬の間、桜の蕾が成長を一時的に止めるように、あなたの病状も今は落ち着いている。痛みも以前よりは治まるはずです」


確かに、最近は心臓を刺すような鋭い痛みは減っていた。でも、その代わりに。


​「ただ、その分、香りは濃くなるかもしれません。開花のためのエネルギーを内側に溜め込んでいる状態ですから⋯⋯」


医師の言葉に、私は自分の腕をそっと隠した。
自分でも気にすれば分かるくらい、体から漂う桜の香りは少しずつ甘く、重くなっている。


医師はさらに、十二月下旬の場所をペンで囲った。


「気をつけてほしいのは、ここ。十二月下旬頃からは『休眠打破』が始まります。春に向けて一気に蕾が膨らみ出す。その時期になると、痛みが激しくなる可能性があります」


「⋯⋯痛み」


「ええ。心臓を内側から花弁が押し広げるような、強い痛みが。⋯⋯咲菜さん、年末から入院することを考えませんか?」


​入院。
その言葉を聞いた瞬間、私の頭に浮かんだのは、白いベッドでも、死の恐怖でもなかった。


家計のこと。
母が一人で働いて、高い入院費を払うことになる。

私を助けるためなら、母はきっと無理をしてでもお金を出すだろう。


​「⋯⋯ううん。大丈夫です。まだ、家にいたい」


「でも、急変する可能性も⋯⋯」


「ひどかったら、自分で連絡します。本当に、救急車だって自分で呼べるから。だから、今はまだ、普通に過ごさせてください」


​半ば強引に診察を終え、病院を出た。


帰り道、スーパーに寄った母は、焼きそばの材料を買ってくれた。
​家に帰り、母が手早く作ってくれた焼きそばの湯気が、リビングに広がる。


「ごめんね、咲菜。お母さん、午後からはどうしても外せない会議があって。冷蔵庫に飲み物入れてあるから、絶対無理しないでね」


母は一口も食べないまま、慌ただしくバッグを掴んで家を出ていった。

玄関の扉が閉まる音が、静まり返った家の中に長く残響した。
​一人、テーブルに座る。


少しだけソースが焦げた、温かい焼きそば。


「⋯⋯いただきます」


​誰もいないリビングで、私は小さく呟いて箸を動かした。

美味しいはずなのに、味がよくわからなかった。