「部活の申請が通りました~!」
バッチリ承認印の押された申請書を掲げながら報告する。
放課後の教室で残っていたみんなは、「お~!」と目を輝かせた。
「よかったな! これで正式に部活として活動できる」
「顧問も海老原先生が引き受けてくれてよかったね」
ヒサメくんと、エイちゃんの言葉に大きくうなずく。
「うん。海老原先生に海を守るための部活を作りたいって相談したら、すごく興味を持ってくれたんだよね。『社会貢献にもなるしいいな! 俺が顧問を引き受けよう』って言ってくれて」
あのときの海老原先生は、熱血モードに入っていた。瞳の奥に、炎が灯っている幻覚も見えたし。
それだけ私たちの活動に興味を持ってくれたってことだよね。嬉しいな。
「それでクラゲ部長ー、活動って何するのー? ゴミ拾いはこの前したからちがうのがいいなー」
シロカくんが、机の上で頬杖を突きながら意見する。その隣で、カナメくんが「シロカは~、ゴミ拾いは~、してないよね~」とのんびりツッコみを入れていた。
活動内容を聞かれて、ドキッとする。実は最初に何をするかは、まだ決まっていないんだよね……。
海を守るための活動って、いろいろあると思うけど、最初は何をすればいいんだろう?
そんななか、エイちゃんはスッと手を挙げる。
「私に提案があります」
「なになに、エイちゃん」
かしこまった雰囲気を出すエイちゃん。なんだろうっと言葉を待っていると、にこっと楽し気に微笑んだ。
「みんなで海の世界に行こうよ」
「海の世界⁉ ……って、どういうこと?」
驚いていると、エイちゃんが詳しく説明してくれる。
「うち、ダイビングショップをやってるって言ったでしょ? その事業のひとつで、シュノーケリング体験もやってるんだよね」
「シュノーケリングって、水中メガネとシュノーケルを付けて、魚を見るのだよね?」
「そうそう。ダイビングは装備も重いし、水中での呼吸法を覚えるのが大変だけど、シュノーケリングだったら初心者でもやりやすいと思うんだよね」
たしかに! ダイビングって難しそうだけど、シュノーケリングだったら私でもできるかも。
「いいね! 楽しそう! みんなはどうかな?」
「うん、いいんじゃないかな? クラゲたちにも、海の世界を知ってもらいたいし」
「実際に海の世界を見れば、この場所を汚すのは惜しいって思うだろうしな」
ヒサメくんとギンガくんは賛成みたい。シロカくんも両手でマルを作ってる。
「海に行くの賛成! 僕たちからすれば、実家に帰るみたいな感覚だけどね」
「……実家に、帰る?」
エイちゃんが眉をひそめたところで、慌ててフォローする。
「留学生くんたちは、海のすぐそばで暮らしてたって言ってたもんね。海は実家なのかも。あははー」
ちょっとムリあるかなぁと心配していたけど、エイちゃんは「実家の範囲広っ!」と笑っていた。
そんな流れで、マリンセーバーズの最初の活動はシュノーケリング体験に決まった。
*
よく晴れた土曜日の昼下がり。
私たちは、エイちゃんパパの操縦する小型船に乗り込んで、沖へ向けて出港していた。
「今日はよろしくお願いします! シュノーケリングは初めてなので楽しみです!」
インストラクターとしてついてきてくれた、エイちゃんのお兄さんにも挨拶をする。
「よろしく! 安全第一で楽しもう」
白い歯を見せながら、微笑みかけられる。エイちゃんのお兄さんは、海の男って感じだ。
大学生だって言ってたっけ? 鍛え上げられた筋肉に、日に焼けた肌をしていて、なんだか強そう。
「青島さん、本日はこのような機会を設けていただき、ありがとうございます。生徒たちのいい経験になるでしょう」
今日は顧問の海老原先生も同行している。
かっちりした挨拶をしているけど、服装はハワイアン柄のシャツを着ている。実は先生が一番楽しんでいるんじゃ……。
先週、『部活動の一環でシュノーケリングに行きたいです』って海老原先生に相談したら、『そういうことなら俺も同行しよう』と申し出てくれたんだよね。
そのときは面倒見のいい先生だなぁって思ったけど、案外先生もシュノーケリングがしたかっただけだったりして。
エイちゃんお兄さんと海老原先生が会話を始めたところで、私はみんなのいるデッキへ向かった。
眩しい太陽に照れされながら外に出ると、ギンガくんとシロカくんが柵を掴みながらじぃっと海を眺めているのを発見する。
「二人とも! そんなに身を乗り出したら危ないよ!」
「おまえ……俺らを何だと思ってんだ? 船から落ちたって溺れねえから」
ギンガくんから真顔でツッコまれたところで、「あ」と気付く。
そうだよね。みんなもともと海の生き物だから、泳ぎは得意だよね。
「それより、何をそんなに熱心に見てたの?」
「魚だよ。水の上を魚がジャンプするんだ」
シロカくんから説明されて納得。二人とも魚を見ていたんだ。
そんな話をしているうちにも……。
――パシャッ。
「あ、いま、ジャンプした!」
一瞬だったけど、銀色の魚がジャンプしたのが見えた。
かわいいなぁ、キレイだなぁ、と思っていると、二人がごくりと喉を鳴らす。
「「美味そう」」
……って、ソコ~⁉ 生きた魚を見た感想が、美味そうなんて。
まあ、コウテイペンギンもシロイルカも、魚をエサにしているから、美味しそうって思うのは無理もないかもしれないけど。
野生の本能を剥き出しにしている寒冷チームに呆れながらも、デッキで寝ころんでいるヒサメくんと、カナメくんのもとに向かう。
「二人は日向ぼっこ?」
仰向けになっている二人を見下ろすと、シンクロしたようにほのぼのした笑顔を向けられる。
「こうしていると、故郷の海にいるみたいなんだー」
「あったかくて~、ほっとする~」
そっか。二人は暖かい海で暮らしていたから、ぬくぬくした場所が好きなのかもね。
「そういえば、今日のクラゲの服は可愛いね。ひらひらしていて、ミズクラゲみたいだ」
「そ、そうかな?」
ヒサメくんから褒められたところで、恥じらいながらも視線を落とす。
ここに引っ越してくる前に、新しい水着を買ってもらったんだよね。
セパレートタイプの淡いブルーの水着は、ひと目見て気に入った。スカートは三段フリルになっていて、すっごく可愛いの。それを褒めてもらえたのは嬉しいな。
「クラゲは脚もすらっとしてキレイだから見惚れちゃうよ」
「えぇ……っ⁉」
ちょっぴり大胆なヒサメくんの言葉で、ドキッと心臓が高鳴る。夏の日差しとは別の意味で、顔面にじりじりと熱が溜まった。
動揺しちゃったけど、ヒサメくんはニンゲンの脚に憧れているだけだよね? ほら、ジンベエサメって脚がないから。
勘違いしちゃダメ、と自分に言い聞かせながら、どうにか心を落ち着かせた。
「そ、それよりさ、今日は何の魚が見られるんだろうね。気になるねー」
さりげなく話題を変えながら、鞄の中から海の生き物ノートを取り出す。ここに書いている海の生き物とも会えるといいけど。
「ウミガメはいるかな? カナメくんの仲間はこの辺りにいそう?」
「う~ん、僕はもう少し暖かい海が好みかな~」
「あ、そうなんだね」
ヒサメくんは、私の手元にあるノートを見ると、むくっと起き上がる。隣に座ると、マリンブルーの澄んだ瞳で見つめられた。
「そういえば、クラゲはどうして海の生き物が好きになったの?」
「あ、それ気になる?」
「うん、聞かせてほしいな」
私が海の生き物を好きになった理由。それは家族で行った旅行にある。
「昔ね、家族で南の島に旅行に行ったの。そこで深い海の底まで潜れる潜水艦に乗ったんだ」
話していると、当時の記憶が蘇ってくる。
潜水艦に乗り込む前までは、海の底はちょっぴり怖かった。窓の隙間から海水が入ってきたらどうしよう……なんてビクビクしてたっけ。
最初はおっかなびっくりだったけど、海の世界を実際に見て、考えが変わった。
「海のなかは、パラダイスみたいだった。マリンブルーの世界では、色とりどりの魚が自由に泳いでいて、海藻もゆらゆら揺れていて……。地球のなかには、こんな美しい場所があるんだって感動したの」
あの景色は、一生忘れられないと思う。それくらい、私にとってはインパクトのある出来事だった。
「そっか。クラゲも海の世界に来てくれたことがあったんだね」
ヒサメくんは、嬉しそうに目を細めている。胸の奥が温かくなったとき、あの潜水艦で起きたびっくりするような出来事を思い出した。
「あのね、ヒサメくん! 潜水艦に乗っているときにね、偶然ジンベエザメが泳いでいるのを見たんだよ!」
「…………え?」
ヒサメくんは、驚いたように目を見開いている。無理もないよね。ニンゲンが野生のジンベエザメに会うなんて、奇跡みたいなことだもん。
「身体はうーんとおっきくて、水玉模様もキレイで、ヒレもカッコよかった。そのときからジンベエザメが好きになったんだよね」
「そ、そっか。そうだったんだ……」
ヒサメくんは、耳まで真っ赤に染めながら視線を泳がせている。
どうしたんだろう? 陽に当たりすぎて暑くなっちゃったのかな?
しばらくすると、ヒサメくんは真っ赤な顔で私を見つめる。
「あの、クラゲ。もしもだけど、そのジンベエザメともう一度会えたら、どうする?」
「もちろん、仲良くなりたい!」
迷いなく答える。もしそんな奇跡みたいなことが起こったら、絶対に仲良くなりたい。
一緒に海を泳げたらって想像しただけでも、ワクワクしてくる。
うっとりしながらジンベエザメと泳ぐ妄想をしていると、ヒサメくんがバッと手の甲で口元を押さえる。
「あのさ、クラゲ。多分俺たち、過去に――」
ヒサメくんがそう言いかけたところで、小型船の操縦席にいたエイちゃんがやってきた。
「みんな、そろそろシュノーケリングスポットに着くよ。準備して」
「あ、うん!」
その声で、すっと立ち上がる。シュノーケリング、楽しみだなぁ。
「……って、あれ? ヒサメくん、どうしたの?」
ヒサメくんは、口を押えながら固まっている。それから、力が抜けたように肩を落とした。
「いや、なんでもない。それより、海に行こう」
「うん!」
*
シュノーケリングスポットに着くと、お兄さんの指示に従って、ライフジャケット、水中メガネ、水の中で呼吸するためのシュノーケルを装着する。
いよいよ海に入るって思うと、ドキドキするなぁ。
「みんないい? 船からは絶対に離れないように。あと、疲れてきたら早めに休憩をとること」
「「「はいっ」」」
緊張感を持ちながらも、元気に返事をする。それから順番に梯子を使って海へ降りた。
「冷たっ!」
夏とはいえ、海のなかはちょっとだけ冷たい。ひんやりした海水に足先からゆっくりと浸かった。
梯子から手を離すと、波と一緒にゆらゆら身体が揺れる。ライフジャケットをつけているから、沈んでいくことはない。水の中で浮いていると、自分も海の一部になったような気分がした。
「これ、楽しい!」
ぷかぷか浮いている感覚を楽しんでいると、先に降りていたエイちゃんが「下、下」と指さす。
あ、そうだった。シュノーケリングなんだから、海のなかを見ないと。
スゥーっと大きく息を吸い込んでから、海水に顔をつけた。
「んん~っ!」
足元では、キレイな魚たちが群れで泳いでいる。海藻もゆらゆらと揺れていた。
あっ! 岩の隙間で隠れているのはタコかも!
海の水が澄んでいるから、魚たちの姿もよく見えた。いつまでも眺めていたい気分だよ。
景色に夢中になっていると、岩に潜むタコを狙う影が見える。あれは……シロカくんだ。
海底の岩までぐんぐん泳いでいき、タコを捕まえようとしていた。
すごい! やっぱりシロイルカだから泳ぎも上手なんだね!
シロカくんは手を伸ばしてタコを捕まえようとする。しかし手が触れる前に、タコは猛スピードで逃げていった。
獲物を逃したシロカくんは、諦めたように底から上がってくる。
「あっー! 逃げられた! 悔しいぃ!」
バタバタと両手を振り回して水しぶきをあげながら、悔しがるシロカくん。
そういえば、シロイルカはタコもエサにするんだよね。
「手で摑まえるのは難しいと思うよ」
「そうなんだよ! もとの身体だったら一気に丸のみできるのに!」
丸のみって……。その姿はあまりかわいくはないかも。
ハハハっと苦笑いを浮かべていると、バシャンと海の底から誰かが上がってきた。カナメくんだ。
「美味しそうな~。海藻を見つけたよ~」
カナメくんの手には、緑色の海藻がある。わ、いつの間に取ったんだろう?
「クラゲちゃんも~、食べる~?」
「た、食べない、食べない!」
ぶんぶん首を振って遠慮する。名前もわかない海藻を口にする勇気はない。
断られたカナメくんは、しゅんと肩を落とした。
「そっかぁ~……」
なんだかみんな、海に潜ったことで野生の本能を取り戻しているような……。ヒヤヒヤするなぁ。
すると、自由気ままに泳いでいたヒサメくんが、私のそばまで泳いできた。
おでこに張り付いた前髪をかき上げてから、不思議そうに首を傾げる。
「クラゲは潜らないの?」
「うーん、潜りたいけど、ひとりだとちょっと怖くて」
水面から海を覗いでいるだけだったら平気だけど、海の底に潜るのはちょっと怖い。私、泳ぎはそんなに自信ないし。
怖気づいていると、ヒサメくんが手を差し伸べてくる。
「ひとりが怖いなら、俺が海の底まで連れてってあげるよ」
「ホント⁉」
それは心強い! 泳ぎの得意なヒサメくんと一緒なら、溺れてしまう心配もないよね。
差し出された手を握ろうとしたところで、ハッと息をのむ。男の子の手を握るのって、緊張するな……。
「クラゲ?」
「あ、ごめん! 一緒に泳ごう」
せっかくヒサメくんが、親切で誘ってくれたんだ。その気持ちを無駄にするのは良くないよね。
恥ずかしさを振り切りながら、ヒサメくんの手を握った。
自分の手よりも大きい。男の子の手だ。
「じゃあ、行こうか。いっぱい息を吸って」
スゥーッと大きく息を吸い込むと、握られた手に力がこもる。それからヒサメくんにエスコートされるように、海の世界へ向かった。
水を蹴りながら、海底を目指して進んでいく。その間にも、何匹の魚とすれ違った。
――キレイ。この景色、やっぱり好きだな。
目の前には、マリンブルーの世界が広がっている。昔、潜水艦のなかから見た景色と一緒だ。
だけど、いまは分厚いガラス窓はない。直接見ているんだ。昔見た景色よりも、自然の海をずっと近くに感じられた。
ヒサメくんの顔は、イキイキとしている。やっぱり海が好きなんだろうな。
その横顔を眺めていると、ふと昔見たジンベエザメの姿を思い出した。
――どうしてあの時のジンベエザメのことを思い出しているんだろう?
不思議に思いながらもじっと見つめていると、ヒサメくんもこちらを見る。視線が交わると、穏やかに微笑みかけられた。
すると、心臓の動きがドクドク早くなる。肺の奥も苦しくなって、空気を求めて水面に上がった。
「ぷはーっ……」
新鮮な空気を思いっきり吸い込む。ゼイゼイと呼吸を整えていると、ヒサメくんも上がってきた。
「どうだった? 海の世界は」
「うん! すごくキレイだった! あんな場所に住んでいるなんて羨ましいな」
魚のようにエラ呼吸ができれば、好きなだけ海に潜っていられるのに。そんな非現実的な妄想までしてしまった。
「一緒に潜ってくれてありがとう」
「こちらこそ、俺を信じて手を繋いでくれてありがとう」
お礼を言われたことで、ふと海岸で二人きりで話した日のことを思い出した。
そういえば、あの時は急に手を握られて、顔が燃え上がりそうなほど恥ずかしくなったんだっけ?
今も恥ずかしさは残っているけど、あの時よりも気持ちは落ち着いている。それくらい、ヒサメくんとも仲良くなってきたんだと思う。
すると、少し離れた場所でエイちゃんが「おーい」と手を振ってきた。
「ねえ、砂底にペタッとくっついてる魚がいるよ! カレイかな? ヒラメかな?」
「私、あてるよ!」
新たな興味が湧いたところで、エイちゃんのもとへ向かった。
シュノーケリングを存分に楽しんで、少し疲れてきたところで船に上がった。
「今日は本当に楽しかったです! 水はキレイだったし、魚たちはかわいかったし」
満足感に浸っていると、海老原先生が眼鏡の奥で穏やかに目を細める。
「それはよかったな。どうだ? 海を守りたいって気持ちは強まったか?」
「はい。こんなに美しい海が汚されたら悲しすぎます。この海を守るためにも、私にできることを探していきます」
ぐっと拳を握りながら宣言すると、海老原先生は満足げにうなずいていた。
楽しかった時間も終わりに近づいている。水面がオレンジ色に染まり始めたころ、船が岸についた。
停泊すると、ぞろぞろと船から降りていく。
「僕、もうお腹ぺこぺこだよ! ねえ、おさかな食べよう。この前クラゲが買ってきてくれたやつ!」
シロカくんが、駄々っ子のようにねだってくる。そのお願いを叶えてあげたいけど、この時間では市場は閉まっていると思う。
「今日はもうお店が閉まっているから、来週にしよう。シロカくんにも、市場を案内してあげるから」
「ホント? 約束だよ」
「うん、約束」
顔を見合わせて微笑んだところで、いつもの癖で小指を出してしまう。シロカくんは、キョトンと首を傾げていた。
「なぁに、その指?」
「あ、ごめん! なんでもない!」
慌てて小指を引っ込める。シロカくんは、小指を絡ませる約束のやり方は知らないよね。それを知っているのは、ヒサメくんだもん。
そう思ったところで、またしても過去の記憶が蘇ってきた。
そういえば、昔乗った潜水艦の中でも、お母さんと指切りをしていたような……。
『♪~指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーますっ。指切った!』
今となっては、もう何の約束をしたのかは覚えていないけど、あの日もお母さんと一緒に歌っていた気がする。
もしかして、昔ヒサメくんが見た、潜水艦に乗っていたニンゲンって……。
さりげなく、ヒサメくんに視線を送る。艶やかな髪は、海風にあおられて、さらさらと揺れていた。
ちらりとマリンブルーの瞳で見つめられたところで、サッと視線を逸らす。
――まさかね。そんな偶然あるはずがないよね?
バッチリ承認印の押された申請書を掲げながら報告する。
放課後の教室で残っていたみんなは、「お~!」と目を輝かせた。
「よかったな! これで正式に部活として活動できる」
「顧問も海老原先生が引き受けてくれてよかったね」
ヒサメくんと、エイちゃんの言葉に大きくうなずく。
「うん。海老原先生に海を守るための部活を作りたいって相談したら、すごく興味を持ってくれたんだよね。『社会貢献にもなるしいいな! 俺が顧問を引き受けよう』って言ってくれて」
あのときの海老原先生は、熱血モードに入っていた。瞳の奥に、炎が灯っている幻覚も見えたし。
それだけ私たちの活動に興味を持ってくれたってことだよね。嬉しいな。
「それでクラゲ部長ー、活動って何するのー? ゴミ拾いはこの前したからちがうのがいいなー」
シロカくんが、机の上で頬杖を突きながら意見する。その隣で、カナメくんが「シロカは~、ゴミ拾いは~、してないよね~」とのんびりツッコみを入れていた。
活動内容を聞かれて、ドキッとする。実は最初に何をするかは、まだ決まっていないんだよね……。
海を守るための活動って、いろいろあると思うけど、最初は何をすればいいんだろう?
そんななか、エイちゃんはスッと手を挙げる。
「私に提案があります」
「なになに、エイちゃん」
かしこまった雰囲気を出すエイちゃん。なんだろうっと言葉を待っていると、にこっと楽し気に微笑んだ。
「みんなで海の世界に行こうよ」
「海の世界⁉ ……って、どういうこと?」
驚いていると、エイちゃんが詳しく説明してくれる。
「うち、ダイビングショップをやってるって言ったでしょ? その事業のひとつで、シュノーケリング体験もやってるんだよね」
「シュノーケリングって、水中メガネとシュノーケルを付けて、魚を見るのだよね?」
「そうそう。ダイビングは装備も重いし、水中での呼吸法を覚えるのが大変だけど、シュノーケリングだったら初心者でもやりやすいと思うんだよね」
たしかに! ダイビングって難しそうだけど、シュノーケリングだったら私でもできるかも。
「いいね! 楽しそう! みんなはどうかな?」
「うん、いいんじゃないかな? クラゲたちにも、海の世界を知ってもらいたいし」
「実際に海の世界を見れば、この場所を汚すのは惜しいって思うだろうしな」
ヒサメくんとギンガくんは賛成みたい。シロカくんも両手でマルを作ってる。
「海に行くの賛成! 僕たちからすれば、実家に帰るみたいな感覚だけどね」
「……実家に、帰る?」
エイちゃんが眉をひそめたところで、慌ててフォローする。
「留学生くんたちは、海のすぐそばで暮らしてたって言ってたもんね。海は実家なのかも。あははー」
ちょっとムリあるかなぁと心配していたけど、エイちゃんは「実家の範囲広っ!」と笑っていた。
そんな流れで、マリンセーバーズの最初の活動はシュノーケリング体験に決まった。
*
よく晴れた土曜日の昼下がり。
私たちは、エイちゃんパパの操縦する小型船に乗り込んで、沖へ向けて出港していた。
「今日はよろしくお願いします! シュノーケリングは初めてなので楽しみです!」
インストラクターとしてついてきてくれた、エイちゃんのお兄さんにも挨拶をする。
「よろしく! 安全第一で楽しもう」
白い歯を見せながら、微笑みかけられる。エイちゃんのお兄さんは、海の男って感じだ。
大学生だって言ってたっけ? 鍛え上げられた筋肉に、日に焼けた肌をしていて、なんだか強そう。
「青島さん、本日はこのような機会を設けていただき、ありがとうございます。生徒たちのいい経験になるでしょう」
今日は顧問の海老原先生も同行している。
かっちりした挨拶をしているけど、服装はハワイアン柄のシャツを着ている。実は先生が一番楽しんでいるんじゃ……。
先週、『部活動の一環でシュノーケリングに行きたいです』って海老原先生に相談したら、『そういうことなら俺も同行しよう』と申し出てくれたんだよね。
そのときは面倒見のいい先生だなぁって思ったけど、案外先生もシュノーケリングがしたかっただけだったりして。
エイちゃんお兄さんと海老原先生が会話を始めたところで、私はみんなのいるデッキへ向かった。
眩しい太陽に照れされながら外に出ると、ギンガくんとシロカくんが柵を掴みながらじぃっと海を眺めているのを発見する。
「二人とも! そんなに身を乗り出したら危ないよ!」
「おまえ……俺らを何だと思ってんだ? 船から落ちたって溺れねえから」
ギンガくんから真顔でツッコまれたところで、「あ」と気付く。
そうだよね。みんなもともと海の生き物だから、泳ぎは得意だよね。
「それより、何をそんなに熱心に見てたの?」
「魚だよ。水の上を魚がジャンプするんだ」
シロカくんから説明されて納得。二人とも魚を見ていたんだ。
そんな話をしているうちにも……。
――パシャッ。
「あ、いま、ジャンプした!」
一瞬だったけど、銀色の魚がジャンプしたのが見えた。
かわいいなぁ、キレイだなぁ、と思っていると、二人がごくりと喉を鳴らす。
「「美味そう」」
……って、ソコ~⁉ 生きた魚を見た感想が、美味そうなんて。
まあ、コウテイペンギンもシロイルカも、魚をエサにしているから、美味しそうって思うのは無理もないかもしれないけど。
野生の本能を剥き出しにしている寒冷チームに呆れながらも、デッキで寝ころんでいるヒサメくんと、カナメくんのもとに向かう。
「二人は日向ぼっこ?」
仰向けになっている二人を見下ろすと、シンクロしたようにほのぼのした笑顔を向けられる。
「こうしていると、故郷の海にいるみたいなんだー」
「あったかくて~、ほっとする~」
そっか。二人は暖かい海で暮らしていたから、ぬくぬくした場所が好きなのかもね。
「そういえば、今日のクラゲの服は可愛いね。ひらひらしていて、ミズクラゲみたいだ」
「そ、そうかな?」
ヒサメくんから褒められたところで、恥じらいながらも視線を落とす。
ここに引っ越してくる前に、新しい水着を買ってもらったんだよね。
セパレートタイプの淡いブルーの水着は、ひと目見て気に入った。スカートは三段フリルになっていて、すっごく可愛いの。それを褒めてもらえたのは嬉しいな。
「クラゲは脚もすらっとしてキレイだから見惚れちゃうよ」
「えぇ……っ⁉」
ちょっぴり大胆なヒサメくんの言葉で、ドキッと心臓が高鳴る。夏の日差しとは別の意味で、顔面にじりじりと熱が溜まった。
動揺しちゃったけど、ヒサメくんはニンゲンの脚に憧れているだけだよね? ほら、ジンベエサメって脚がないから。
勘違いしちゃダメ、と自分に言い聞かせながら、どうにか心を落ち着かせた。
「そ、それよりさ、今日は何の魚が見られるんだろうね。気になるねー」
さりげなく話題を変えながら、鞄の中から海の生き物ノートを取り出す。ここに書いている海の生き物とも会えるといいけど。
「ウミガメはいるかな? カナメくんの仲間はこの辺りにいそう?」
「う~ん、僕はもう少し暖かい海が好みかな~」
「あ、そうなんだね」
ヒサメくんは、私の手元にあるノートを見ると、むくっと起き上がる。隣に座ると、マリンブルーの澄んだ瞳で見つめられた。
「そういえば、クラゲはどうして海の生き物が好きになったの?」
「あ、それ気になる?」
「うん、聞かせてほしいな」
私が海の生き物を好きになった理由。それは家族で行った旅行にある。
「昔ね、家族で南の島に旅行に行ったの。そこで深い海の底まで潜れる潜水艦に乗ったんだ」
話していると、当時の記憶が蘇ってくる。
潜水艦に乗り込む前までは、海の底はちょっぴり怖かった。窓の隙間から海水が入ってきたらどうしよう……なんてビクビクしてたっけ。
最初はおっかなびっくりだったけど、海の世界を実際に見て、考えが変わった。
「海のなかは、パラダイスみたいだった。マリンブルーの世界では、色とりどりの魚が自由に泳いでいて、海藻もゆらゆら揺れていて……。地球のなかには、こんな美しい場所があるんだって感動したの」
あの景色は、一生忘れられないと思う。それくらい、私にとってはインパクトのある出来事だった。
「そっか。クラゲも海の世界に来てくれたことがあったんだね」
ヒサメくんは、嬉しそうに目を細めている。胸の奥が温かくなったとき、あの潜水艦で起きたびっくりするような出来事を思い出した。
「あのね、ヒサメくん! 潜水艦に乗っているときにね、偶然ジンベエザメが泳いでいるのを見たんだよ!」
「…………え?」
ヒサメくんは、驚いたように目を見開いている。無理もないよね。ニンゲンが野生のジンベエザメに会うなんて、奇跡みたいなことだもん。
「身体はうーんとおっきくて、水玉模様もキレイで、ヒレもカッコよかった。そのときからジンベエザメが好きになったんだよね」
「そ、そっか。そうだったんだ……」
ヒサメくんは、耳まで真っ赤に染めながら視線を泳がせている。
どうしたんだろう? 陽に当たりすぎて暑くなっちゃったのかな?
しばらくすると、ヒサメくんは真っ赤な顔で私を見つめる。
「あの、クラゲ。もしもだけど、そのジンベエザメともう一度会えたら、どうする?」
「もちろん、仲良くなりたい!」
迷いなく答える。もしそんな奇跡みたいなことが起こったら、絶対に仲良くなりたい。
一緒に海を泳げたらって想像しただけでも、ワクワクしてくる。
うっとりしながらジンベエザメと泳ぐ妄想をしていると、ヒサメくんがバッと手の甲で口元を押さえる。
「あのさ、クラゲ。多分俺たち、過去に――」
ヒサメくんがそう言いかけたところで、小型船の操縦席にいたエイちゃんがやってきた。
「みんな、そろそろシュノーケリングスポットに着くよ。準備して」
「あ、うん!」
その声で、すっと立ち上がる。シュノーケリング、楽しみだなぁ。
「……って、あれ? ヒサメくん、どうしたの?」
ヒサメくんは、口を押えながら固まっている。それから、力が抜けたように肩を落とした。
「いや、なんでもない。それより、海に行こう」
「うん!」
*
シュノーケリングスポットに着くと、お兄さんの指示に従って、ライフジャケット、水中メガネ、水の中で呼吸するためのシュノーケルを装着する。
いよいよ海に入るって思うと、ドキドキするなぁ。
「みんないい? 船からは絶対に離れないように。あと、疲れてきたら早めに休憩をとること」
「「「はいっ」」」
緊張感を持ちながらも、元気に返事をする。それから順番に梯子を使って海へ降りた。
「冷たっ!」
夏とはいえ、海のなかはちょっとだけ冷たい。ひんやりした海水に足先からゆっくりと浸かった。
梯子から手を離すと、波と一緒にゆらゆら身体が揺れる。ライフジャケットをつけているから、沈んでいくことはない。水の中で浮いていると、自分も海の一部になったような気分がした。
「これ、楽しい!」
ぷかぷか浮いている感覚を楽しんでいると、先に降りていたエイちゃんが「下、下」と指さす。
あ、そうだった。シュノーケリングなんだから、海のなかを見ないと。
スゥーっと大きく息を吸い込んでから、海水に顔をつけた。
「んん~っ!」
足元では、キレイな魚たちが群れで泳いでいる。海藻もゆらゆらと揺れていた。
あっ! 岩の隙間で隠れているのはタコかも!
海の水が澄んでいるから、魚たちの姿もよく見えた。いつまでも眺めていたい気分だよ。
景色に夢中になっていると、岩に潜むタコを狙う影が見える。あれは……シロカくんだ。
海底の岩までぐんぐん泳いでいき、タコを捕まえようとしていた。
すごい! やっぱりシロイルカだから泳ぎも上手なんだね!
シロカくんは手を伸ばしてタコを捕まえようとする。しかし手が触れる前に、タコは猛スピードで逃げていった。
獲物を逃したシロカくんは、諦めたように底から上がってくる。
「あっー! 逃げられた! 悔しいぃ!」
バタバタと両手を振り回して水しぶきをあげながら、悔しがるシロカくん。
そういえば、シロイルカはタコもエサにするんだよね。
「手で摑まえるのは難しいと思うよ」
「そうなんだよ! もとの身体だったら一気に丸のみできるのに!」
丸のみって……。その姿はあまりかわいくはないかも。
ハハハっと苦笑いを浮かべていると、バシャンと海の底から誰かが上がってきた。カナメくんだ。
「美味しそうな~。海藻を見つけたよ~」
カナメくんの手には、緑色の海藻がある。わ、いつの間に取ったんだろう?
「クラゲちゃんも~、食べる~?」
「た、食べない、食べない!」
ぶんぶん首を振って遠慮する。名前もわかない海藻を口にする勇気はない。
断られたカナメくんは、しゅんと肩を落とした。
「そっかぁ~……」
なんだかみんな、海に潜ったことで野生の本能を取り戻しているような……。ヒヤヒヤするなぁ。
すると、自由気ままに泳いでいたヒサメくんが、私のそばまで泳いできた。
おでこに張り付いた前髪をかき上げてから、不思議そうに首を傾げる。
「クラゲは潜らないの?」
「うーん、潜りたいけど、ひとりだとちょっと怖くて」
水面から海を覗いでいるだけだったら平気だけど、海の底に潜るのはちょっと怖い。私、泳ぎはそんなに自信ないし。
怖気づいていると、ヒサメくんが手を差し伸べてくる。
「ひとりが怖いなら、俺が海の底まで連れてってあげるよ」
「ホント⁉」
それは心強い! 泳ぎの得意なヒサメくんと一緒なら、溺れてしまう心配もないよね。
差し出された手を握ろうとしたところで、ハッと息をのむ。男の子の手を握るのって、緊張するな……。
「クラゲ?」
「あ、ごめん! 一緒に泳ごう」
せっかくヒサメくんが、親切で誘ってくれたんだ。その気持ちを無駄にするのは良くないよね。
恥ずかしさを振り切りながら、ヒサメくんの手を握った。
自分の手よりも大きい。男の子の手だ。
「じゃあ、行こうか。いっぱい息を吸って」
スゥーッと大きく息を吸い込むと、握られた手に力がこもる。それからヒサメくんにエスコートされるように、海の世界へ向かった。
水を蹴りながら、海底を目指して進んでいく。その間にも、何匹の魚とすれ違った。
――キレイ。この景色、やっぱり好きだな。
目の前には、マリンブルーの世界が広がっている。昔、潜水艦のなかから見た景色と一緒だ。
だけど、いまは分厚いガラス窓はない。直接見ているんだ。昔見た景色よりも、自然の海をずっと近くに感じられた。
ヒサメくんの顔は、イキイキとしている。やっぱり海が好きなんだろうな。
その横顔を眺めていると、ふと昔見たジンベエザメの姿を思い出した。
――どうしてあの時のジンベエザメのことを思い出しているんだろう?
不思議に思いながらもじっと見つめていると、ヒサメくんもこちらを見る。視線が交わると、穏やかに微笑みかけられた。
すると、心臓の動きがドクドク早くなる。肺の奥も苦しくなって、空気を求めて水面に上がった。
「ぷはーっ……」
新鮮な空気を思いっきり吸い込む。ゼイゼイと呼吸を整えていると、ヒサメくんも上がってきた。
「どうだった? 海の世界は」
「うん! すごくキレイだった! あんな場所に住んでいるなんて羨ましいな」
魚のようにエラ呼吸ができれば、好きなだけ海に潜っていられるのに。そんな非現実的な妄想までしてしまった。
「一緒に潜ってくれてありがとう」
「こちらこそ、俺を信じて手を繋いでくれてありがとう」
お礼を言われたことで、ふと海岸で二人きりで話した日のことを思い出した。
そういえば、あの時は急に手を握られて、顔が燃え上がりそうなほど恥ずかしくなったんだっけ?
今も恥ずかしさは残っているけど、あの時よりも気持ちは落ち着いている。それくらい、ヒサメくんとも仲良くなってきたんだと思う。
すると、少し離れた場所でエイちゃんが「おーい」と手を振ってきた。
「ねえ、砂底にペタッとくっついてる魚がいるよ! カレイかな? ヒラメかな?」
「私、あてるよ!」
新たな興味が湧いたところで、エイちゃんのもとへ向かった。
シュノーケリングを存分に楽しんで、少し疲れてきたところで船に上がった。
「今日は本当に楽しかったです! 水はキレイだったし、魚たちはかわいかったし」
満足感に浸っていると、海老原先生が眼鏡の奥で穏やかに目を細める。
「それはよかったな。どうだ? 海を守りたいって気持ちは強まったか?」
「はい。こんなに美しい海が汚されたら悲しすぎます。この海を守るためにも、私にできることを探していきます」
ぐっと拳を握りながら宣言すると、海老原先生は満足げにうなずいていた。
楽しかった時間も終わりに近づいている。水面がオレンジ色に染まり始めたころ、船が岸についた。
停泊すると、ぞろぞろと船から降りていく。
「僕、もうお腹ぺこぺこだよ! ねえ、おさかな食べよう。この前クラゲが買ってきてくれたやつ!」
シロカくんが、駄々っ子のようにねだってくる。そのお願いを叶えてあげたいけど、この時間では市場は閉まっていると思う。
「今日はもうお店が閉まっているから、来週にしよう。シロカくんにも、市場を案内してあげるから」
「ホント? 約束だよ」
「うん、約束」
顔を見合わせて微笑んだところで、いつもの癖で小指を出してしまう。シロカくんは、キョトンと首を傾げていた。
「なぁに、その指?」
「あ、ごめん! なんでもない!」
慌てて小指を引っ込める。シロカくんは、小指を絡ませる約束のやり方は知らないよね。それを知っているのは、ヒサメくんだもん。
そう思ったところで、またしても過去の記憶が蘇ってきた。
そういえば、昔乗った潜水艦の中でも、お母さんと指切りをしていたような……。
『♪~指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーますっ。指切った!』
今となっては、もう何の約束をしたのかは覚えていないけど、あの日もお母さんと一緒に歌っていた気がする。
もしかして、昔ヒサメくんが見た、潜水艦に乗っていたニンゲンって……。
さりげなく、ヒサメくんに視線を送る。艶やかな髪は、海風にあおられて、さらさらと揺れていた。
ちらりとマリンブルーの瞳で見つめられたところで、サッと視線を逸らす。
――まさかね。そんな偶然あるはずがないよね?


