くっ殺女騎士は魔王の執愛から逃れられない

 大理石の床を薄い氷の膜が覆い、ぴきりと氷が円を描くように現れる。
 アイビーを中心に外側へ飛び出した氷の刃に騎士達は足を止めた。
 ひらりとアイビーの頭上から大きな影が姿を見せる。
 驚愕に見開かれるヒナギクや騎士達の目に映ったのは、彼らに死んだと報告されていた男――ライだった。

「魔王……! 死んだはずじゃ……! それにその姿っ、やっぱりあなた達がバグなんだわ! そうでしょう!?」

 顔面蒼白になる騎士達の後ろでヒナギクが怒りに満ちた顔で叫ぶ。
 執念にも似た激情を孕んだ黒い瞳がライとアイビーを睨めつけた。
 ヒナギクの視線をものともせず、ライは長い足で一歩前に出た。装飾の多い軍服のマントが揺れる。

「敵国から帰ってきた間者(味方)はちゃんと魔法がかかってないか確認しなきゃ。だからこういうことになるんだよ?」

 ライの影にすっぽりと隠れてしまったアイビーは、彼の得意げに笑う横顔を見つめた。
 よほどライの言葉が癪に障ったのか、ヒナギクからねっとりとした魔力が溢れ出す。
 魅了の籠もったそれに包まれた騎士達と夜会の出席者達の目が変わった。
 彼らは目の前の氷すらものともせず襲いかかってくる。
 砕けた氷をまた新たに作り直したライへ目を向けると、彼はまだ笑みを浮かべていた。

「ライ」
「冷静に話し合い……はできなさそうだねぇ」
「笑っている場合か」

 アイビーは近場の騎士へ回し蹴りを食らわせ、手放された剣を奪う。
 握り慣れない剣だがないよりはマシだ。
 剣を構え直した両手にそっとライの手が重なる。

「アイビー。君は手を出しちゃ駄目だよ」
「しかし」
「打ち合わせ通りに、ね? 君にしかできないことだから」
「……わかった」
「いい子」

 アイビーが頷くと、ライの手がするりと離れた。
 目はアイビーに向いているというのに、攻撃を仕掛けてくる騎士達は次々と魔法で氷漬けにされているのだから、抜け目がない。
 身を焦がされるかと思うほどの鋭い視線がヒナギクから向けられ、黒目が釣り上がった。

「どうしてお前がヒロインポジにいるのよ! ひどい! そこはヒロインの私がいるべき場所でしょ!?」
「放っておいていいよ、行って。アイビー」

 わめき散らすヒナギクに背を向けてアイビーは走り出す。

「ちょっと! 私から逃げるなんて不敬だわ!」

 ライへと向かっていた騎士達が急ブレーキがかかったように止まり、勢いよくアイビーへと向かってくる。
 予想外の動きにアイビーの口から小さな驚愕が零れた。

「まったく、僕をノーマークなんていい度胸だね!」

 冬の湖の如く床一面を氷が覆った。
 騎士が一歩足を踏み出すと薄い膜のような氷にひびが入り、足先から氷のツタが巻き付いていく。

「なんだ、これっ!?」
「うあ!?」

 動いた者から氷のツタに捕らえられていく異様な光景を横目で見ながら、アイビーは人と人の間をすり抜ける。
 どうやらアイビーが踏みしめても氷は全く反応を示さないらしく、簡単に城内へと続く扉に辿り着くことができた。
 アイビーが振り返ったと同時に、冷気が銀の髪を攫う。
 目の前に出現した分厚い氷の壁に目を丸くしていると、氷の向こうにライが見えた。

「ライ?」
「簪、落とさないように気をつけて」

 そう告げると、ライはひらひらと手を振った。
 早く行けと言うことだろう。

(なぜ簪? いや、今考えている暇はない)

 掲げられた謎を逡巡しそうになった頭を切り替えるように横に振った。
 口から出そうになった小言を飲み込み、アイビーはライを見つめる。
 こくりと頷かれ、アイビーは弾けるように城内へと駆けていく。

「ちゃんと行ったみたいだね」

 アイビーを見送ったライがヒナギクへと目を向けた。
 ライと視線が絡んだ瞬間、邪恋に満ちたヒナギクの瞳が心底楽しいと言わんばかりに歪む。
 嫌いな相手を殺そうとする者の目ではない。あえて黒い目に宿っている感情に名前をつけるのなら、憎愛だろう。
 歪みきったそれを向けられても、ライの心は漣一つ立たない。
 ライの心を揺さぶることができるのは、銀髪の少女だけだ。
 それを再確認したライは詰襟をくつろげ、強気に笑う。

「さて、弁明があるなら聞こうか。どうして僕を狙う?」