「ちょ、ちょっと待ってくれ」
アイビーの悲鳴にも近い制止が室内に響いた。
しかし、この部屋にいる者達は誰一人として止まってはくれなかった。
それどころか皆綺麗な笑みを向けるだけで、アイビーが悲壮感を漂わせているなどとは思ってもいない。
「アイビー様。動かないでくださいまし。御髪を綺麗に整えられないでしょう?」
「あ、申し訳ない。……ってそうではなく!」
ドレッサーの前に座らされたアイビーは、侍女の言葉に動きを止める。
そして、振り返り文句を言いたい気持ちを抑えて目尻をつり上げた。
「なにか懸念がおありですか?」
「どうして私は整えられているんだ」
「淑女の手入れや支度は侍女の役目でしてよ?」
その言葉に、アイビーは頬を引き攣らせる。
アイビーは不満と不平を隠しもせず、鏡の中の自分へと視線を向けた。
鏡の中のアイビーは、質のいいワンピースを着ている。 それもとびきり少女趣味のもので、頭を抱えたくなる。
「そもそも私はこんなひらひらとしたもの……」
普段であれば絶対に袖を通さないであろうワンピースを強制的に着せられたのだ。
文句の一つでも言いたくなる。
その上、用意されたパンプスがくせ者だった。
なんといってもヒールの高さが目測10センチほどはある。
必要以上に踵が浮いている感覚は到底慣れるものではないだろう。
椅子に座っている現状ですら、普段よりも膝の位置が高い。
「……これは、人が歩ける高さなのか?」
困惑が含まれた呟きを拾ったのは、後ろで髪を結っている侍女だ。
「えぇ、もちろん」
「先ほど衣装部屋からドレッサーの前に移動するだけでも生まれたての子鹿のようだったのにか?」
「慣れですから」
じとりとした目で侍女を鏡越しに見るが、彼女は何食わぬ顔で髪を結い上げている。
埒が明かないと判断したアイビーはため息を零して話題を変えた。
「それで、こんな恰好をして私は何をするんだ?」
「夜会のお話は魔王様からお聞きになりまして?」
「あぁ。つい二日ほど前にドレスを作ると躍起になられてしまったからな。断る暇もなかった」
「そのドレスを着て夜会に出席されるのですから、一通りのマナーを叩き込め……とのことです」
それはアイビーが幼少期に受けられなかった淑女教育の一部を指す。
アイビーの承諾もなく決められたそれに、驚きを隠せない。
藍色の目を瞬かせ、信じられないと言わんばかりの声色で聞き返した。
「今から、学び直せると……?」
「はい」
迷いなく頷かれ、アイビーの顔に歓喜が広がっていく。
侍女はアイビーの反応が予想外だったのか、僅かに目を見開いていた。しかしすぐに表情を取り繕い、微笑みを浮かべる。
「アイビー様は勉学がお好きなのですか?」
「好きか嫌いかで言えば好きだな。剣術と同じで努力すれば結果として返ってくるだろう?」
「適材適所という言葉もありますわ。もし実りが悪ければどうします?」
「センスがなかった場合か……それはどうしようもないな。それこそ適材適所、適性の高いものを探すしかないだろうさ」
アイビーがからりと笑えば、侍女はなにかを思案するように首を傾げた。
彼女の視線が二、三左右を彷徨い、そして、意を決したように口が開かれる。
「……大変不躾な質問をしてもよろしいでしょうか?」
「ん? なんだ?」
「アイビー様は適性がなくて淑女教育を諦められたわけではないのですか?」
「確かに今の流れではそう思われてもしかたないな」
アイビーは苦笑を零しながら肩を竦める。
鏡越しに映る侍女は受け流されたと思ったのか僅かに眉間にシワを寄せた。
「あぁ、悪い。質問に答えていなかったな。そもそも私に淑女教育を受ける選択肢はなかった」
「……どういうことです?」
「私の家系は騎士の家系でね。淑女教育よりも剣術が優先される。その上、私には剣術の才があったようだから、淑女としてよりも騎士として育てられることに誰も異議を唱えなかった」
意味が分からないと言わんばかりの顔をする侍女に、アイビーはそうだろうなと他人事のように思った。
どこの国でも貴族令嬢は淑女として育てられる。
だというのにアイビーはその当たり前すら享受できなかった。
家庭環境と言えばそれまでだが、両立させるよりも一本に絞らせるというのが、いかにも一途な両親らしい。
「それはなんともまぁ、極端ですわね」
「私もそう思う」
「では今日は適性があるかを見なければなりませんね。壊滅的であれば努力でカバーできるかどうかを、上手ければ得意を伸ばす方向へ舵を切らねばなりません」
「そうか。ちなみに夜会はいつある?」
「あと一ヶ月です。みっちり叩き込みましょうね。はい、できましたよ」
侍女が満足げに頷く。
きっちり編み込まれた髪はこれからの練習に邪魔にならないようという配慮が窺えた。
アイビーはそんな気遣いに小さく微笑んだ。
「ありがとう。問題は……このヒールだな」
「まずは綺麗な姿勢で歩くことからですね。それについては助っ人をお呼びしておきました」
「助っ人?」
「はい。準備完了いたしましたよ」
侍女の呼びかけでアイビーの目の前に音もなく現れたのは、やはりというべきか、ライだった。
アイビーの悲鳴にも近い制止が室内に響いた。
しかし、この部屋にいる者達は誰一人として止まってはくれなかった。
それどころか皆綺麗な笑みを向けるだけで、アイビーが悲壮感を漂わせているなどとは思ってもいない。
「アイビー様。動かないでくださいまし。御髪を綺麗に整えられないでしょう?」
「あ、申し訳ない。……ってそうではなく!」
ドレッサーの前に座らされたアイビーは、侍女の言葉に動きを止める。
そして、振り返り文句を言いたい気持ちを抑えて目尻をつり上げた。
「なにか懸念がおありですか?」
「どうして私は整えられているんだ」
「淑女の手入れや支度は侍女の役目でしてよ?」
その言葉に、アイビーは頬を引き攣らせる。
アイビーは不満と不平を隠しもせず、鏡の中の自分へと視線を向けた。
鏡の中のアイビーは、質のいいワンピースを着ている。 それもとびきり少女趣味のもので、頭を抱えたくなる。
「そもそも私はこんなひらひらとしたもの……」
普段であれば絶対に袖を通さないであろうワンピースを強制的に着せられたのだ。
文句の一つでも言いたくなる。
その上、用意されたパンプスがくせ者だった。
なんといってもヒールの高さが目測10センチほどはある。
必要以上に踵が浮いている感覚は到底慣れるものではないだろう。
椅子に座っている現状ですら、普段よりも膝の位置が高い。
「……これは、人が歩ける高さなのか?」
困惑が含まれた呟きを拾ったのは、後ろで髪を結っている侍女だ。
「えぇ、もちろん」
「先ほど衣装部屋からドレッサーの前に移動するだけでも生まれたての子鹿のようだったのにか?」
「慣れですから」
じとりとした目で侍女を鏡越しに見るが、彼女は何食わぬ顔で髪を結い上げている。
埒が明かないと判断したアイビーはため息を零して話題を変えた。
「それで、こんな恰好をして私は何をするんだ?」
「夜会のお話は魔王様からお聞きになりまして?」
「あぁ。つい二日ほど前にドレスを作ると躍起になられてしまったからな。断る暇もなかった」
「そのドレスを着て夜会に出席されるのですから、一通りのマナーを叩き込め……とのことです」
それはアイビーが幼少期に受けられなかった淑女教育の一部を指す。
アイビーの承諾もなく決められたそれに、驚きを隠せない。
藍色の目を瞬かせ、信じられないと言わんばかりの声色で聞き返した。
「今から、学び直せると……?」
「はい」
迷いなく頷かれ、アイビーの顔に歓喜が広がっていく。
侍女はアイビーの反応が予想外だったのか、僅かに目を見開いていた。しかしすぐに表情を取り繕い、微笑みを浮かべる。
「アイビー様は勉学がお好きなのですか?」
「好きか嫌いかで言えば好きだな。剣術と同じで努力すれば結果として返ってくるだろう?」
「適材適所という言葉もありますわ。もし実りが悪ければどうします?」
「センスがなかった場合か……それはどうしようもないな。それこそ適材適所、適性の高いものを探すしかないだろうさ」
アイビーがからりと笑えば、侍女はなにかを思案するように首を傾げた。
彼女の視線が二、三左右を彷徨い、そして、意を決したように口が開かれる。
「……大変不躾な質問をしてもよろしいでしょうか?」
「ん? なんだ?」
「アイビー様は適性がなくて淑女教育を諦められたわけではないのですか?」
「確かに今の流れではそう思われてもしかたないな」
アイビーは苦笑を零しながら肩を竦める。
鏡越しに映る侍女は受け流されたと思ったのか僅かに眉間にシワを寄せた。
「あぁ、悪い。質問に答えていなかったな。そもそも私に淑女教育を受ける選択肢はなかった」
「……どういうことです?」
「私の家系は騎士の家系でね。淑女教育よりも剣術が優先される。その上、私には剣術の才があったようだから、淑女としてよりも騎士として育てられることに誰も異議を唱えなかった」
意味が分からないと言わんばかりの顔をする侍女に、アイビーはそうだろうなと他人事のように思った。
どこの国でも貴族令嬢は淑女として育てられる。
だというのにアイビーはその当たり前すら享受できなかった。
家庭環境と言えばそれまでだが、両立させるよりも一本に絞らせるというのが、いかにも一途な両親らしい。
「それはなんともまぁ、極端ですわね」
「私もそう思う」
「では今日は適性があるかを見なければなりませんね。壊滅的であれば努力でカバーできるかどうかを、上手ければ得意を伸ばす方向へ舵を切らねばなりません」
「そうか。ちなみに夜会はいつある?」
「あと一ヶ月です。みっちり叩き込みましょうね。はい、できましたよ」
侍女が満足げに頷く。
きっちり編み込まれた髪はこれからの練習に邪魔にならないようという配慮が窺えた。
アイビーはそんな気遣いに小さく微笑んだ。
「ありがとう。問題は……このヒールだな」
「まずは綺麗な姿勢で歩くことからですね。それについては助っ人をお呼びしておきました」
「助っ人?」
「はい。準備完了いたしましたよ」
侍女の呼びかけでアイビーの目の前に音もなく現れたのは、やはりというべきか、ライだった。

