白い天井。微かに漂う消毒液の匂い。
直人がゆっくりと目を開けたとき、視界の端で人影が小さく揺れた。
「……あ、気がついた?」
結衣だった。
赤く腫れた瞳。強く絞られたタオルを握りしめる指先。
朦朧とした意識の中で、直人はここが病院だと悟る。
「……悪い。迷惑をかけた。すぐに出る」
「動かないで!」
結衣の声は震えていた。
「高熱で倒れたの。栄養失調だって……。
なおくん、どうして自分のことを、そんなに――」
問いかけに、直人はただ視線を逸らす。
その時、病室のドアが静かに開いた。
入ってきた蓮の顔には、いつもの柔らかさではなく、冷徹な経営者の影が宿っている。
「水瀬さん。少し席を外してくれるかな。
彼と――大事な話がある」
結衣は不安そうに直人を見たが、
その小さな頷きに従い、静かに部屋を出た。
静まり返った病室。
蓮は枕元に、一通の書類を置く。
「瀬戸さん。君がルミナスのシステムを守り、
梨乃さんの実家を崩すために何をしたか――全部、調べさせてもらった」
淡々とした声。
「……自分の再就職の道を、完全に閉ざしたね」
梨乃の父の不正を暴くために、
直人が用いたのは――合法とは言い難い情報収集。
結衣の潔白を証明し、敵を討つために、
彼は“エンジニアとしての未来”そのものを担保に差し出していた。
「今の君には、結衣さんを幸せにする力も、自分を養う術もない。
……一方で、僕は彼女に最高の環境と未来を与えられる。わかるね?」
直人は乾いた唇を噛み、天井を見つめた。
「……分かっています。
最初から――そのつもりでした」
その会話を、
結衣は、ドアの隙間からすべて聞いていた。
――代償の重さ。
――自分の世界を修復するために、
彼が、自分自身を壊していたという事実。
胸が焼けるように痛んだ。
再び病室へ戻ると、直人は無理に上体を起こし、
あの「冷徹なマネージャー」の仮面を被り直す。
「結衣。聞いた通りだ。
俺はもう、お前の隣に立つ資格なんてない――犯罪者同然の男だ。
……蓮さんと一緒にいるほうが、お前は幸せになれる」
それは、
直人が人生で最後に、そして最大に――ついた嘘だった。
だが、結衣はもう
三年前の“何も知らない女の子”ではない。
彼女は静かに歩み寄り、
直人の頬を、強く――それでいて愛おしそうに両手で包み込んだ。
「……バカね、なおくん」
涙が声を濡らす。
「私が欲しかったのは、名誉でも、お金でも、綺麗な未来でもない。
……ただ――あなたが私の隣で笑ってくれる、
あの“第1章の続き”だけだったのよ」
ぽたり、と涙が落ちる。
直人の胸を濡らし、熱を伝える。
「資格なんて、私が決める。
……もう、勝手に一人で背負わないで」
結衣は、小さな箱を開いた。
あの日からずっと、直人が守り続けた――プラチナの指輪。
震える手で、それを取り出し、
直人の指ではなく――
自分の左手の薬指へと、静かに、ゆっくりと滑らせた。
「サイズ……ぴったりね。
三年も待たせたくせに」
その瞬間、
直人の瞳から――堰を切ったように涙が溢れた。
地位も、名誉も、未来も失った。
それでも。
ようやく彼は――
三年前に手放してしまった「たった一つの宝物」を、
この腕の中に――取り戻せたのだった。
直人がゆっくりと目を開けたとき、視界の端で人影が小さく揺れた。
「……あ、気がついた?」
結衣だった。
赤く腫れた瞳。強く絞られたタオルを握りしめる指先。
朦朧とした意識の中で、直人はここが病院だと悟る。
「……悪い。迷惑をかけた。すぐに出る」
「動かないで!」
結衣の声は震えていた。
「高熱で倒れたの。栄養失調だって……。
なおくん、どうして自分のことを、そんなに――」
問いかけに、直人はただ視線を逸らす。
その時、病室のドアが静かに開いた。
入ってきた蓮の顔には、いつもの柔らかさではなく、冷徹な経営者の影が宿っている。
「水瀬さん。少し席を外してくれるかな。
彼と――大事な話がある」
結衣は不安そうに直人を見たが、
その小さな頷きに従い、静かに部屋を出た。
静まり返った病室。
蓮は枕元に、一通の書類を置く。
「瀬戸さん。君がルミナスのシステムを守り、
梨乃さんの実家を崩すために何をしたか――全部、調べさせてもらった」
淡々とした声。
「……自分の再就職の道を、完全に閉ざしたね」
梨乃の父の不正を暴くために、
直人が用いたのは――合法とは言い難い情報収集。
結衣の潔白を証明し、敵を討つために、
彼は“エンジニアとしての未来”そのものを担保に差し出していた。
「今の君には、結衣さんを幸せにする力も、自分を養う術もない。
……一方で、僕は彼女に最高の環境と未来を与えられる。わかるね?」
直人は乾いた唇を噛み、天井を見つめた。
「……分かっています。
最初から――そのつもりでした」
その会話を、
結衣は、ドアの隙間からすべて聞いていた。
――代償の重さ。
――自分の世界を修復するために、
彼が、自分自身を壊していたという事実。
胸が焼けるように痛んだ。
再び病室へ戻ると、直人は無理に上体を起こし、
あの「冷徹なマネージャー」の仮面を被り直す。
「結衣。聞いた通りだ。
俺はもう、お前の隣に立つ資格なんてない――犯罪者同然の男だ。
……蓮さんと一緒にいるほうが、お前は幸せになれる」
それは、
直人が人生で最後に、そして最大に――ついた嘘だった。
だが、結衣はもう
三年前の“何も知らない女の子”ではない。
彼女は静かに歩み寄り、
直人の頬を、強く――それでいて愛おしそうに両手で包み込んだ。
「……バカね、なおくん」
涙が声を濡らす。
「私が欲しかったのは、名誉でも、お金でも、綺麗な未来でもない。
……ただ――あなたが私の隣で笑ってくれる、
あの“第1章の続き”だけだったのよ」
ぽたり、と涙が落ちる。
直人の胸を濡らし、熱を伝える。
「資格なんて、私が決める。
……もう、勝手に一人で背負わないで」
結衣は、小さな箱を開いた。
あの日からずっと、直人が守り続けた――プラチナの指輪。
震える手で、それを取り出し、
直人の指ではなく――
自分の左手の薬指へと、静かに、ゆっくりと滑らせた。
「サイズ……ぴったりね。
三年も待たせたくせに」
その瞬間、
直人の瞳から――堰を切ったように涙が溢れた。
地位も、名誉も、未来も失った。
それでも。
ようやく彼は――
三年前に手放してしまった「たった一つの宝物」を、
この腕の中に――取り戻せたのだった。

