あの日、止まったままの時計

翌日、オフィスに激震が走った。
「プロジェクトの極秘資料が外部へ流出した」――そのニュースは瞬く間にフロアを駆け抜け、ざわめきが広がる。
そして、その“犯人”として真っ先に名指しされたのは――結衣だった。

「水瀬さん、今すぐ会議室へ」

部長の低く厳しい声に、結衣の血の気が引いていく。

会議室へ足を踏み入れると、そこには部長と、冷たい笑みを浮かべる梨乃が座っていた。
直人は後方に立ち、拳を血が滲むほど強く握りしめている。

「君のIDから、競合他社へメールが送られている。――証拠はここだ」

テーブルの上に突き出されたのは、結衣の端末から送信されたことを示すログの写しだった。

「……そんなこと、していません! 昨日は定時で、すぐに帰りました。私は――」

「でも、ログは嘘をつかないの」

梨乃が、勝ち誇った声音で言葉を挟む。

「直人さんに執着して、彼を困らせたくて会社を裏切った……
――追い詰められた派遣って、本当に怖いわね」

それは、周到に張り巡らされた罠だった。
昨夜、直人が席を外した隙に――梨乃は彼の権限を利用し、結衣の端末へ不正アクセスしていた。
全ては、結衣を社会から抹殺し、直人の隣から永遠に排除するために。

「瀬戸マネージャー、君はどう見る?
君が強く継続を主張した派遣社員が、これほどの不祥事を起こした。
管理責任を問わない――とはいかないぞ」

部長の視線が、刃のように直人へ向けられる。

その横で、梨乃が直人の耳元に甘く、しかし毒を含んだ声を落とした。

「ねえ直人さん。今ここで彼女を庇えば、あなたのキャリアは終わりよ。
おじさまも――黙っていないわ。
でもね……彼女を切り捨てて、私との婚約を正式に発表するなら――
“派遣の単独犯”ってことで処理してあげる」

直人の瞳に、激しい葛藤が走る。

結衣を守りたい。
だが、もしここで自分が失脚すれば――
梨乃の背後にある権力は、彼女にさらなる罪を被せ、二度と立ち上がれなくするかもしれない。

直人は――唇を噛み切るほど強く噛みしめ、結衣を見つめた。

その瞳は、第1章で見せたあの優しい光ではない。
再会の夜よりもさらに深く――凍てつく闇を湛えていた。

「……瀬戸さん……?」

結衣の声は、細く震えていた。

直人は、ゆっくりと部長へ頭を下げる。

「……部長。私の管理不足でした。
水瀬結衣については、本日付で契約を解除し――
損害賠償を含めた、厳正な処分を求めます」

その一言が――
結衣の心に、とどめを刺した。

信じていた。
誤解が解けた今度こそ、彼は自分の味方でいてくれると。

けれど、彼はまた――
“切り捨てる”道を選んだ。

「……わかりました。お世話になりました」

結衣は力なく頭を下げ、静かに会議室を後にした。

背後で、梨乃が直人の腕へ絡みつき――
「賢明な判断ね、直人さん」と微笑む声が聞こえた。

――夕暮れの屋上。

直人はひとり、沈む空を仰いでいた。
頬を伝う一筋の涙。

その手には――
梨乃から密かに奪い取った、彼女の不正アクセスを記録したボイスレコーダーが握られている。

「……待ってろ、結衣」

低く、押し殺した声。

「お前を泥沼に突き落とした奴らを――
俺が必ず、地獄へ連れていく」

たとえ、
結衣に一生、憎まれることになろうとも――

直人の、静かで苛烈な復讐が――
今、幕を上げようとしていた。