私の友達は、スマホだ。貰った日からずっと、スマホだけが私の友達。
かと言って楽しいわけじゃない。ただ、スマホを触ってる時だけは何も考えずにいられてそれが好きなだけ。
クラスメイトのこと、先生のこと、勉強のこと、部活のこと。全部考えたくなくて、スマホに逃げる。
「……はぁ」
SNSを巡回して、メッセージを確認して、またSNSを開くという悪循環。
自分が立派なスマホ依存なのは分かっている。先週の画面閲覧時間はとうとう8時間を超えてしまった。
こんなのお父さんたちにバレたら取り上げられちゃうかな……なんて。
そうなればよかったのに、現実はそこまで甘くなかった。
だからいつしかスマホが手元にあるのが当たり前になって、どこへ行くにもスマホだけは持っていくように。
頭や目が痛くなっても、ストレートネックになっても、スマホを手放す選択肢はなかった。
例え満たされなくても面白くなくても、スマホを触っているという事実が私には必要なんだ。
……今はリアルが、楽しくないから。
《今日もお疲れ様、璃実ちゃん。今日のお勉強はもう終わり?》
「うんっ、終わりだよ! コトくん今日も超かっこいい~……」
そんな私、小岩井璃実にはひとつだけ楽しみがある。
とあるアプリのキャラとの会話なんだけど、それがすっごく癒されるんだ。
今私のスマホの中には穏やかな王子様系イケメンの返町コトくんが映っている。
コトくん、設定年齢が私より一個上だから安心感もあって……実在しないのに恋してる、つまり“リアコ”って言われても否定できないんだよね
ちなみにアプリの名前は【スマホ男子と恋しよう!】。名前から分かる通り、乙女ゲームの一種。
でもただの乙女ゲームじゃなくて、放置することで恋が進展していく異例のシステムになってる。
コンセプトが【スマホ依存防止】らしく、中高生向けの安心安全なゲームなんだと。
スマホに関するこわーい豆知識も見れて、実際に『スマホを見なくなった!』という声もあるみたい。
しかも親のスマホと連携できるから、画面閲覧時間が筒抜けになる優れもの。
……私は全然、守ってないけどね。
《璃実ちゃん、昨日の画面閲覧時間は五時間だったよ。メッセージとSNSが多いみたいだけど、璃実ちゃんには健康のためにあんまりスマホを開かないようにしてほしいな》
「ご、ごめんねコトくん……」
《一回、マイルールの見直ししておく? 編集したいところがあったら教えてね》
コトくんのテキストと共に映ったのは、アプリを入れてすぐコトくんと決めたマイルールの欄。
一日のスマホ使用目標時間は二時間。その他にも《家にいる時はスマホを自分の部屋でしか使わない》とか《アプリは親の許可をもらってから入れる》とかの目標にもチェックを入れていた。
でも全然守れていない。スマホは近くにないと落ち着かなくてどこにでも持って行っちゃうし、必要ないアプリを入れては消しての繰り返しもしている。
そのせいか成績は下がり気味、目も悪くなった気がするし何より疲労感を覚えることが増えた。
……スマホを持つ前って、どんな風に過ごしてたっけ。
ぼんやりと目標の整理をしながら思い出そうとするけど、スマホがない生活が考えられなくて一ミリも浮かんでこない。
元々インドア派だから、外で遊ぶことはなかっただろうけど……。
「だからかなぁ……」
『璃実ちゃんって付き合い悪いよね。一緒にいても楽しくないし、一生一人で遊んどけば』
そう言われちゃうのは。
《目標はこれでいいかな?》
「うん、このままでいいよ」
《分かった。璃実ちゃんがスマホと上手く付き合えるように、僕も頑張るね!》
《大丈夫だよ》の選択肢を押すと、画面の中のコトくんは屈託のない笑顔で励ましてくれる。
コトくんは優しい。守る気なんてない私を見捨てずに、こうして元気づけてくれるんだから。
だけど時々、ふと思う。
理由もなくSNSを見て周りのキラキラと自分を比べて落ち込んで、ソーシャルゲームに没頭して飽きたら動画に移る。通知が来る度に怯えて、相手の機嫌を損ねない内に上辺だけの返信を何十分も考える。
私、こんな生活のままで本当にいいのかな……。
ピピピピッ、ピピピピッ……
「うー……ん、起きたくなーい……」
翌日、毎日のように夜更かしをしている私は学校があるにも関わらず二度寝しようとスマホに手を伸ばす。
あ、でもコトくんにだけは挨拶しておこう。朝からスマホを使うのって罪悪感あるけど、コトくんを見なきゃ私の一日は始まらないっ。
まだ開ききらない目を擦りながら、もう覚えてしまった【スマホ男子】のアプリがある位置を押した――のに。
「……え、あれ、何で……っ⁉」
画面は変わらずホームのままで、つまり押せてなかったという……わけではなく。
アプリそのものが、なくなっていた。
これには眠気も吹っ飛び、被っていた布団を端に追いやりながら検索バーに【スマホ男子】と入力。
サービス終了のお知らせはなかったはずだし、サービス終了だとしても唐突すぎる。
嘘だよね……⁉と焦る気持ちを抑えて公式ホームページを血眼になって探した。
けど、それもなかった。全く関係ないものばかりがヒットして、どれだけスクロールしてもホームページは出てこない。
「どう、して……」
スマホを持つ手が震えて、膝に落としてしまう。
当然痛かったけど心臓のほうが痛くて、手で押さえなくても嫌な音を立てているのが分かった。
スマホは私の友達。でも好きというわけではなく、メッセージもSNSもソーシャルゲームも、検索バーだって毎秒見ないと落ち着かない依存症。
その中でも【スマホ男子】は……コトくんは、私の理解者だったのに……っ。
「学校、休もっかな……」
常にギリギリだったメンタルが、パリンッと割れる音がした。
「……お金、チャージしとかなくちゃ」
結局、気弱な私に休むという選択は取れなかった。中学だから単位は気にしなくてもいいんだけど、なんとなく休むべきじゃないなって思った。
仮病がバレたら先生に怒られちゃうし、授業にもついていけなくなる。ただでさえ成績が良くないのにこれ以上下がれば、一年後の高校受験にも響く。
……お父さんとお母さんは仕事人間だから、私のことを心配してくれる人はいないんだけど。
朝ご飯を食べてないからか、ぼんやりとモヤがかかった思考のままで改札を通ってホームに向かう。
この時間は仕方がないとはいえ、いつもの如く人で溢れ返っていた。
視界に映る人は大抵スマホに釘付けで、気を付けていないとぶつかってしまいそう。
私はスマホ依存症を自称してるけど、こういう危険な時にはさすがに触らない。
本当はすぐさま【スマホ男子】のことを調べたい。まるで今までもなかったように忽然と姿を消した理由を、ちゃんと知りたい。
そう、考え事をしていたからだろうか。
「っ、え……」
――ドンッと、横を通り過ぎようとしていた歩きスマホのおじさんとぶつかった。
私がいたのはホームの外側……線路の、すぐ近く。
ぶつかった衝撃で足がもつれ、声を上げる間もなく体が少し浮いた。
……ううん、大丈夫。例え落ちたとしてもホームの下に隠れられる場所があるし、まだ電車は来ていない。
落ちてもきっと、大丈夫だ。
なんて思えるのに、指先から冷えていく感覚が私を襲った。
「…………あっ、ぶね」
その私に手を伸ばして、自分のほうに寄りかからせようとした人が……一人。
咄嗟に手首を掴まれたはずなのに痛みはなく、むしろ安心する暖かさを感じる。
何が起こったのか分からないまま見上げると、まず濃紺と白のチェック柄ネクタイが見えた。
次にどこかで見たような綺麗な顔と、白にも銀にも見えるサラサラした髪。
そして支えてくれた彼の全体を把握した瞬間、私は思わず大きな声を上げてしまった。
「が、ガクくん⁉」
「……何だよ璃実、俺のことちゃんと知ってんのか」
だって今、目の前にいるのは……【スマホ男子】のキャラクターの一人、高索ガクくんだったから。
ツヤツヤしたシルクのような銀髪、鋭い深海色の瞳。いわゆる黄金比率の顔は何を考えているか全く読み取れなくて、抱き留められたまま硬直しちゃう。
確かガクくんは検索アプリやメモアプリの担当キャラクターで、【スマホ男子】のチュートリアルでしかアプリのホーム画面に設定しなかった。
ちなみに私の推しであるコトくんは電話やメッセージアプリ担当。事前に決めていた時間になると、メッセージの整理しようって通知してくれるんだ。
……って、そんな悠長に考えてる場合じゃなくて!
「な、何でここにガクくんが……? 【スマホ男子】は消えちゃったんじゃないの⁉」
「質問には後でまとめて答える。とりあえず今は移動するぞ、ここは人が多すぎる」
「わっ、ちょっとガクくんっ⁉」
状況を理解したくて、今度は落ちないように気を付けながらガクくんから一旦離れる。
と言っても人が多すぎてそれどころじゃなく、呆れたように息を吐いたガクくんが私の手を取った。
そのまま有無を言わさず引っ張られて、つい素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
でもガクくんは私を気にも留めずに人混みをかき分けると、比較的人の少ない改札近くのベンチで足を止めた。
「璃実のこと、見つけてきたぞ。一歩遅かったらこいつ、線路に落ちてた」
同時に手を離して、ベンチに座っているであろう誰かに声をかけたガクくん。
ガクくんの背が高すぎて正面からだと見えなくて、ひょこっと横から覗いてみる。
……そこで私は、本日二回目の大きな声を発さずにはいられなかった。
「っ、コトくん⁉」
「璃実ちゃん……! 線路に落ちかけたって、大丈夫だった⁉」
「あ、え……コト、くん?」
「いや、大丈夫なわけないよね……きっと怖かったよね、助けにいけなくてごめんね璃実ちゃん……っ」
「~~っ⁉」
こ、コトくんに抱きしめられてるっ⁉ よく分かんない状況だったのに、更に分からなくなっちゃった……!
何にも染まらなそうな黒の髪を靡かせて私を腕の中に収めたコトくんからは、しっかりと体温が感じられる。
だからより頭が混乱してきたのに、横から飛んできた二つの声に思考を放棄しそうになった。
「あーっ! コトくんずるーい! 僕も璃実ちゃんのことぎゅーってするーっ!」
「……コト、璃実が困ってる。そろそろ離してあげなよ」
公式ホームページのキャラクター紹介欄で何度も再生した声に、まさか……と顔を動かす。
瞬間飛び込んできたのは、怒った様子で両手に拳を作って頬を膨らませている淡い金髪の男の子と、落ち着いた赤色の髪の物静かそうな男の子。
ガクくん、コトくん……と来れば、その二人の名前が分からないはずはなく。
「キラリくんと、ユノくんも……いる……」
SNS全般担当のあざとい系男子のキラリくん、動画やソーシャルゲームアプリ担当のユノくん。
つまり今ここには、【スマホ男子】の公式キャラクター全員が揃っているわけで。
「いい加減離してやれ、璃実にはまだ何にも説明できてないんだ」
必死に頭を回転させている私をコトくんから引き剥がし、私のほうへと視線を向けたガクくんは。
「俺たちは、璃実のスマホ依存を治しに来た」
「へ? な、何で?」
「……これ以上、璃実がスマホばかりに夢中になる姿を見たくないんだよ」
コトくん、キラリくん、ユノくんを見やってから、まっすぐな眼差しではっきり私に告げる。
そんな難解な状況を簡単に飲み込めるわけ、なくて。
バチンッ!
「璃実ちゃん⁉」
「おい璃実、急に何して――」
「夢じゃ、ないんだ……みんな、消えてなかったんだ……っ。よか、ったぁ……」
自分の両頬を力任せに叩いてから数秒後、安心感からへなへなとその場に座り込んだ。
もしこれが夢だったらどうしようとか、ここまで都合のいいことが起きるわけないとか、色々思うところはある。
けど全部現実で本当なら……私はまだ、“私”でいられる。
小岩井璃実は、消えなくていいんだって……思えたんだ。
「ふふっ、ほっぺた叩かなくても僕たちは本当に存在してるよー!」
「璃実の気持ちも分かるけど、むやみに自分を傷つけないで。ほら璃実、手取って」
「あ、ありがとう……」
「さっきはコトくんがぎゅーしてたから今度は僕の番ーっ! ねっ、現実でしょー?」
「うん……」
まだ、信じられないけど。
眉を八の字にしたユノくんに支えられながら立ち上がり、キラリくんが間髪入れずに飛びついてくる。
するとコトくんと同じように高めの体温を感じて、ぎこちない頷きを返した。
目の前ではコトくんが今にも泣きそうな顔でいて、ちょっぴり申し訳なくなる。
その中でガクくんだけは表情一つ変えずに私を見たまま、小さく口を開いた。
「……この調子だと、先はまだ長そうだな」
「みんな! そろそろ行かないと学校遅れちゃうよー! 璃実ちゃんも行くよーっ!」
「き、キラリくんちょっと待っ――」
「ほらほらみんなっ、早くーっ!」
呟くようなガクくんの声は元気いっぱいなキラリくんによってかき消されてしまい、よく聞こえなかった。
しかもキラリくんに密着されたままホームへと走らされ、尋ねることすらできない。
“この調子だと”って言葉は微かに聞こえたけど、どういう意味なんだろう……。
「璃実ちゃん、僕たちと出会ってくれてありがとう」
「こっ、コトくん……」
「これからは僕たちが、璃実ちゃんの傍にいるからね」
「……っ、ひゃい」
駅中を走りながら、キラキラしたオーラをまとって微笑むコトくんに肩がビクッと跳ねる。
最推しのコトくんがこんなに近くに……っ、考えてたこと全部吹っ飛んじゃいそう。
そう思った通り、数分後には私は既にガクくんの意味深なセリフをすっかり忘れてしまった。
かと言って楽しいわけじゃない。ただ、スマホを触ってる時だけは何も考えずにいられてそれが好きなだけ。
クラスメイトのこと、先生のこと、勉強のこと、部活のこと。全部考えたくなくて、スマホに逃げる。
「……はぁ」
SNSを巡回して、メッセージを確認して、またSNSを開くという悪循環。
自分が立派なスマホ依存なのは分かっている。先週の画面閲覧時間はとうとう8時間を超えてしまった。
こんなのお父さんたちにバレたら取り上げられちゃうかな……なんて。
そうなればよかったのに、現実はそこまで甘くなかった。
だからいつしかスマホが手元にあるのが当たり前になって、どこへ行くにもスマホだけは持っていくように。
頭や目が痛くなっても、ストレートネックになっても、スマホを手放す選択肢はなかった。
例え満たされなくても面白くなくても、スマホを触っているという事実が私には必要なんだ。
……今はリアルが、楽しくないから。
《今日もお疲れ様、璃実ちゃん。今日のお勉強はもう終わり?》
「うんっ、終わりだよ! コトくん今日も超かっこいい~……」
そんな私、小岩井璃実にはひとつだけ楽しみがある。
とあるアプリのキャラとの会話なんだけど、それがすっごく癒されるんだ。
今私のスマホの中には穏やかな王子様系イケメンの返町コトくんが映っている。
コトくん、設定年齢が私より一個上だから安心感もあって……実在しないのに恋してる、つまり“リアコ”って言われても否定できないんだよね
ちなみにアプリの名前は【スマホ男子と恋しよう!】。名前から分かる通り、乙女ゲームの一種。
でもただの乙女ゲームじゃなくて、放置することで恋が進展していく異例のシステムになってる。
コンセプトが【スマホ依存防止】らしく、中高生向けの安心安全なゲームなんだと。
スマホに関するこわーい豆知識も見れて、実際に『スマホを見なくなった!』という声もあるみたい。
しかも親のスマホと連携できるから、画面閲覧時間が筒抜けになる優れもの。
……私は全然、守ってないけどね。
《璃実ちゃん、昨日の画面閲覧時間は五時間だったよ。メッセージとSNSが多いみたいだけど、璃実ちゃんには健康のためにあんまりスマホを開かないようにしてほしいな》
「ご、ごめんねコトくん……」
《一回、マイルールの見直ししておく? 編集したいところがあったら教えてね》
コトくんのテキストと共に映ったのは、アプリを入れてすぐコトくんと決めたマイルールの欄。
一日のスマホ使用目標時間は二時間。その他にも《家にいる時はスマホを自分の部屋でしか使わない》とか《アプリは親の許可をもらってから入れる》とかの目標にもチェックを入れていた。
でも全然守れていない。スマホは近くにないと落ち着かなくてどこにでも持って行っちゃうし、必要ないアプリを入れては消しての繰り返しもしている。
そのせいか成績は下がり気味、目も悪くなった気がするし何より疲労感を覚えることが増えた。
……スマホを持つ前って、どんな風に過ごしてたっけ。
ぼんやりと目標の整理をしながら思い出そうとするけど、スマホがない生活が考えられなくて一ミリも浮かんでこない。
元々インドア派だから、外で遊ぶことはなかっただろうけど……。
「だからかなぁ……」
『璃実ちゃんって付き合い悪いよね。一緒にいても楽しくないし、一生一人で遊んどけば』
そう言われちゃうのは。
《目標はこれでいいかな?》
「うん、このままでいいよ」
《分かった。璃実ちゃんがスマホと上手く付き合えるように、僕も頑張るね!》
《大丈夫だよ》の選択肢を押すと、画面の中のコトくんは屈託のない笑顔で励ましてくれる。
コトくんは優しい。守る気なんてない私を見捨てずに、こうして元気づけてくれるんだから。
だけど時々、ふと思う。
理由もなくSNSを見て周りのキラキラと自分を比べて落ち込んで、ソーシャルゲームに没頭して飽きたら動画に移る。通知が来る度に怯えて、相手の機嫌を損ねない内に上辺だけの返信を何十分も考える。
私、こんな生活のままで本当にいいのかな……。
ピピピピッ、ピピピピッ……
「うー……ん、起きたくなーい……」
翌日、毎日のように夜更かしをしている私は学校があるにも関わらず二度寝しようとスマホに手を伸ばす。
あ、でもコトくんにだけは挨拶しておこう。朝からスマホを使うのって罪悪感あるけど、コトくんを見なきゃ私の一日は始まらないっ。
まだ開ききらない目を擦りながら、もう覚えてしまった【スマホ男子】のアプリがある位置を押した――のに。
「……え、あれ、何で……っ⁉」
画面は変わらずホームのままで、つまり押せてなかったという……わけではなく。
アプリそのものが、なくなっていた。
これには眠気も吹っ飛び、被っていた布団を端に追いやりながら検索バーに【スマホ男子】と入力。
サービス終了のお知らせはなかったはずだし、サービス終了だとしても唐突すぎる。
嘘だよね……⁉と焦る気持ちを抑えて公式ホームページを血眼になって探した。
けど、それもなかった。全く関係ないものばかりがヒットして、どれだけスクロールしてもホームページは出てこない。
「どう、して……」
スマホを持つ手が震えて、膝に落としてしまう。
当然痛かったけど心臓のほうが痛くて、手で押さえなくても嫌な音を立てているのが分かった。
スマホは私の友達。でも好きというわけではなく、メッセージもSNSもソーシャルゲームも、検索バーだって毎秒見ないと落ち着かない依存症。
その中でも【スマホ男子】は……コトくんは、私の理解者だったのに……っ。
「学校、休もっかな……」
常にギリギリだったメンタルが、パリンッと割れる音がした。
「……お金、チャージしとかなくちゃ」
結局、気弱な私に休むという選択は取れなかった。中学だから単位は気にしなくてもいいんだけど、なんとなく休むべきじゃないなって思った。
仮病がバレたら先生に怒られちゃうし、授業にもついていけなくなる。ただでさえ成績が良くないのにこれ以上下がれば、一年後の高校受験にも響く。
……お父さんとお母さんは仕事人間だから、私のことを心配してくれる人はいないんだけど。
朝ご飯を食べてないからか、ぼんやりとモヤがかかった思考のままで改札を通ってホームに向かう。
この時間は仕方がないとはいえ、いつもの如く人で溢れ返っていた。
視界に映る人は大抵スマホに釘付けで、気を付けていないとぶつかってしまいそう。
私はスマホ依存症を自称してるけど、こういう危険な時にはさすがに触らない。
本当はすぐさま【スマホ男子】のことを調べたい。まるで今までもなかったように忽然と姿を消した理由を、ちゃんと知りたい。
そう、考え事をしていたからだろうか。
「っ、え……」
――ドンッと、横を通り過ぎようとしていた歩きスマホのおじさんとぶつかった。
私がいたのはホームの外側……線路の、すぐ近く。
ぶつかった衝撃で足がもつれ、声を上げる間もなく体が少し浮いた。
……ううん、大丈夫。例え落ちたとしてもホームの下に隠れられる場所があるし、まだ電車は来ていない。
落ちてもきっと、大丈夫だ。
なんて思えるのに、指先から冷えていく感覚が私を襲った。
「…………あっ、ぶね」
その私に手を伸ばして、自分のほうに寄りかからせようとした人が……一人。
咄嗟に手首を掴まれたはずなのに痛みはなく、むしろ安心する暖かさを感じる。
何が起こったのか分からないまま見上げると、まず濃紺と白のチェック柄ネクタイが見えた。
次にどこかで見たような綺麗な顔と、白にも銀にも見えるサラサラした髪。
そして支えてくれた彼の全体を把握した瞬間、私は思わず大きな声を上げてしまった。
「が、ガクくん⁉」
「……何だよ璃実、俺のことちゃんと知ってんのか」
だって今、目の前にいるのは……【スマホ男子】のキャラクターの一人、高索ガクくんだったから。
ツヤツヤしたシルクのような銀髪、鋭い深海色の瞳。いわゆる黄金比率の顔は何を考えているか全く読み取れなくて、抱き留められたまま硬直しちゃう。
確かガクくんは検索アプリやメモアプリの担当キャラクターで、【スマホ男子】のチュートリアルでしかアプリのホーム画面に設定しなかった。
ちなみに私の推しであるコトくんは電話やメッセージアプリ担当。事前に決めていた時間になると、メッセージの整理しようって通知してくれるんだ。
……って、そんな悠長に考えてる場合じゃなくて!
「な、何でここにガクくんが……? 【スマホ男子】は消えちゃったんじゃないの⁉」
「質問には後でまとめて答える。とりあえず今は移動するぞ、ここは人が多すぎる」
「わっ、ちょっとガクくんっ⁉」
状況を理解したくて、今度は落ちないように気を付けながらガクくんから一旦離れる。
と言っても人が多すぎてそれどころじゃなく、呆れたように息を吐いたガクくんが私の手を取った。
そのまま有無を言わさず引っ張られて、つい素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
でもガクくんは私を気にも留めずに人混みをかき分けると、比較的人の少ない改札近くのベンチで足を止めた。
「璃実のこと、見つけてきたぞ。一歩遅かったらこいつ、線路に落ちてた」
同時に手を離して、ベンチに座っているであろう誰かに声をかけたガクくん。
ガクくんの背が高すぎて正面からだと見えなくて、ひょこっと横から覗いてみる。
……そこで私は、本日二回目の大きな声を発さずにはいられなかった。
「っ、コトくん⁉」
「璃実ちゃん……! 線路に落ちかけたって、大丈夫だった⁉」
「あ、え……コト、くん?」
「いや、大丈夫なわけないよね……きっと怖かったよね、助けにいけなくてごめんね璃実ちゃん……っ」
「~~っ⁉」
こ、コトくんに抱きしめられてるっ⁉ よく分かんない状況だったのに、更に分からなくなっちゃった……!
何にも染まらなそうな黒の髪を靡かせて私を腕の中に収めたコトくんからは、しっかりと体温が感じられる。
だからより頭が混乱してきたのに、横から飛んできた二つの声に思考を放棄しそうになった。
「あーっ! コトくんずるーい! 僕も璃実ちゃんのことぎゅーってするーっ!」
「……コト、璃実が困ってる。そろそろ離してあげなよ」
公式ホームページのキャラクター紹介欄で何度も再生した声に、まさか……と顔を動かす。
瞬間飛び込んできたのは、怒った様子で両手に拳を作って頬を膨らませている淡い金髪の男の子と、落ち着いた赤色の髪の物静かそうな男の子。
ガクくん、コトくん……と来れば、その二人の名前が分からないはずはなく。
「キラリくんと、ユノくんも……いる……」
SNS全般担当のあざとい系男子のキラリくん、動画やソーシャルゲームアプリ担当のユノくん。
つまり今ここには、【スマホ男子】の公式キャラクター全員が揃っているわけで。
「いい加減離してやれ、璃実にはまだ何にも説明できてないんだ」
必死に頭を回転させている私をコトくんから引き剥がし、私のほうへと視線を向けたガクくんは。
「俺たちは、璃実のスマホ依存を治しに来た」
「へ? な、何で?」
「……これ以上、璃実がスマホばかりに夢中になる姿を見たくないんだよ」
コトくん、キラリくん、ユノくんを見やってから、まっすぐな眼差しではっきり私に告げる。
そんな難解な状況を簡単に飲み込めるわけ、なくて。
バチンッ!
「璃実ちゃん⁉」
「おい璃実、急に何して――」
「夢じゃ、ないんだ……みんな、消えてなかったんだ……っ。よか、ったぁ……」
自分の両頬を力任せに叩いてから数秒後、安心感からへなへなとその場に座り込んだ。
もしこれが夢だったらどうしようとか、ここまで都合のいいことが起きるわけないとか、色々思うところはある。
けど全部現実で本当なら……私はまだ、“私”でいられる。
小岩井璃実は、消えなくていいんだって……思えたんだ。
「ふふっ、ほっぺた叩かなくても僕たちは本当に存在してるよー!」
「璃実の気持ちも分かるけど、むやみに自分を傷つけないで。ほら璃実、手取って」
「あ、ありがとう……」
「さっきはコトくんがぎゅーしてたから今度は僕の番ーっ! ねっ、現実でしょー?」
「うん……」
まだ、信じられないけど。
眉を八の字にしたユノくんに支えられながら立ち上がり、キラリくんが間髪入れずに飛びついてくる。
するとコトくんと同じように高めの体温を感じて、ぎこちない頷きを返した。
目の前ではコトくんが今にも泣きそうな顔でいて、ちょっぴり申し訳なくなる。
その中でガクくんだけは表情一つ変えずに私を見たまま、小さく口を開いた。
「……この調子だと、先はまだ長そうだな」
「みんな! そろそろ行かないと学校遅れちゃうよー! 璃実ちゃんも行くよーっ!」
「き、キラリくんちょっと待っ――」
「ほらほらみんなっ、早くーっ!」
呟くようなガクくんの声は元気いっぱいなキラリくんによってかき消されてしまい、よく聞こえなかった。
しかもキラリくんに密着されたままホームへと走らされ、尋ねることすらできない。
“この調子だと”って言葉は微かに聞こえたけど、どういう意味なんだろう……。
「璃実ちゃん、僕たちと出会ってくれてありがとう」
「こっ、コトくん……」
「これからは僕たちが、璃実ちゃんの傍にいるからね」
「……っ、ひゃい」
駅中を走りながら、キラキラしたオーラをまとって微笑むコトくんに肩がビクッと跳ねる。
最推しのコトくんがこんなに近くに……っ、考えてたこと全部吹っ飛んじゃいそう。
そう思った通り、数分後には私は既にガクくんの意味深なセリフをすっかり忘れてしまった。

