三浦半島の海岸線を、黒い高級スポーツカーが切り裂くように走り抜けていく。
陽光を弾く海面と、断続的に現れる断崖。白い飛沫が、風に砕けて舞い上がる。
助手席の優里は、シートベルトを両手で握りしめていた。
指先が白くなるほど力を込めているのに、心臓の鼓動は一向に収まらない。
隣の拓真から立ち上る空気が――
あまりにも張りつめていた。
「……課長」
優里は慎重に声をかける。
「もう、誰も追ってきませんから……少し、スピードを落としてください」
「……いや、まだだ」
拓真の視線は、バックミラーから一瞬も離れない。
「あの『敗北』男、目が笑っていなかった。執念深いタイプだ」
その予感は、的中していた。
バックミラーの遥か後方。
一台の実用的な国産セダンが、必死に距離を詰めてくる。
ハンドルを握る西園寺勝利の顔は、もはや穏やかさの欠片もなく、焦燥と執念に歪んでいた。
「……追ってきてる……」
優里の声が震える。
「チッ……」
拓真は低く舌打ちし、アクセルを踏み込む。
辿り着いたのは、断崖の上に佇む白亜のヴィラだった。
蒼い海と空を背景に、まるで現実から切り離されたような孤島。
「……ここが、研修場所……?」
優里は息を呑む。
「そうだ」
拓真は車を降り、周囲を一瞥する。
「この施設の……その、ホスピタリティを、庶務の視点から調査する」
言いながら、指先が微かに震えている。
ヴィラの扉が開くと、広々としたリビングが姿を現した。
床から天井まで続くガラス窓。その向こうには、どこまでも広がる青い海。
テーブルの上には、冷えた最高級シャンパンと、
――優里が幼い頃から好きだった、あのチョコレート。
「……課長」
優里は立ち止まった。
「これ……本当に、仕事なんですか?」
「し、仕事だ」
拓真は視線を逸らす。
「まずは、その……リラックスして、顧客の心理を――」
その瞬間。
――ピンポン、ピンポン、ピンポン!!
インターホンが、壊れそうな勢いで鳴り響いた。
「開けてください!! 桜田優里さん!! 西園寺です!!」
外から、切羽詰まった声。
「警察に通報しましたよ!!」
「……っ!」
拓真の顔が、見る見るうちに青ざめる。
窓の外。
門の前には、髪を振り乱した勝利が立っていた。
眼鏡は曇り、手には録画中のスマートフォン。
「片桐さん! これは拉致監禁です!」
勝利の声が、ヴィラに反響する。
「あなたのような特権階級の横暴、世間が許しません! 優里さん、今助けます!」
「誰が拉致だ!!」
拓真は叫び、咄嗟に優里の前へ立ちはだかった。
「……待ってください!」
優里が慌てて声を上げる。
「勝利さん、これは会社の仕事で……!」
だが、勝利は止まらない。
「優里さん、騙されないでください!」
鋭い声。
「彼の本性は、美優さんから聞いています! あなたを疎ましく思い、美優さんとの関係を邪魔されないように追い詰めている――違いますか!?」
その言葉に、優里の動きが止まった。
(……やっぱり)
胸が、冷たく沈む。
(勝利さんも、知ってる。
拓真さんが、私を嫌っていて……美優を愛していること)
部屋に、重たい沈黙が落ちた。
その沈黙の中で――
拓真は、勝利の言葉ではなく。
それを聞いた優里の瞳に、息を奪われていた。
諦めたようで、傷ついた色を帯びたその瞳。
「……違う」
拓真の声が、低く、震えた。
「違う……っ。そんな理由じゃない……!」
彼は振り返り、優里の肩を掴む。
「美優ちゃんのためなんて、一秒も思ったことはない!」
必死に。
「勝利、適当なことを言うな! 俺が……俺がどれだけ……!」
言葉が、詰まる。
喉まで込み上げた想いが、うまく形にならない。
「俺が……二十四年間も……」
声が掠れる。
「お前の後ろを、影みたいについて回って……どれだけ……」
「……え?」
優里の目が、見開かれる。
「ストーカー……?」
「違う!!」
拓真は叫んだ。
「ち、違わないけど違う!!」
――その時。
門を越えようとする勝利。
それを止める警備員。
そして、遠くから近づいてくるパトカーのサイレン。
蒼い海を背景に、ヴィラは完全な修羅場と化していった。
だが、その喧騒の中で。
拓真は、優里の手を、そっと握った。
震えながら、逃がさないように。
「……優里」
囁く声は、かすれている。
「頼むから……俺以外の男に、そんな顔を向けないでくれ」
その言葉が――
甘さと、痛みと、独占欲を孕んで、優里の胸に深く落ちていった。
陽光を弾く海面と、断続的に現れる断崖。白い飛沫が、風に砕けて舞い上がる。
助手席の優里は、シートベルトを両手で握りしめていた。
指先が白くなるほど力を込めているのに、心臓の鼓動は一向に収まらない。
隣の拓真から立ち上る空気が――
あまりにも張りつめていた。
「……課長」
優里は慎重に声をかける。
「もう、誰も追ってきませんから……少し、スピードを落としてください」
「……いや、まだだ」
拓真の視線は、バックミラーから一瞬も離れない。
「あの『敗北』男、目が笑っていなかった。執念深いタイプだ」
その予感は、的中していた。
バックミラーの遥か後方。
一台の実用的な国産セダンが、必死に距離を詰めてくる。
ハンドルを握る西園寺勝利の顔は、もはや穏やかさの欠片もなく、焦燥と執念に歪んでいた。
「……追ってきてる……」
優里の声が震える。
「チッ……」
拓真は低く舌打ちし、アクセルを踏み込む。
辿り着いたのは、断崖の上に佇む白亜のヴィラだった。
蒼い海と空を背景に、まるで現実から切り離されたような孤島。
「……ここが、研修場所……?」
優里は息を呑む。
「そうだ」
拓真は車を降り、周囲を一瞥する。
「この施設の……その、ホスピタリティを、庶務の視点から調査する」
言いながら、指先が微かに震えている。
ヴィラの扉が開くと、広々としたリビングが姿を現した。
床から天井まで続くガラス窓。その向こうには、どこまでも広がる青い海。
テーブルの上には、冷えた最高級シャンパンと、
――優里が幼い頃から好きだった、あのチョコレート。
「……課長」
優里は立ち止まった。
「これ……本当に、仕事なんですか?」
「し、仕事だ」
拓真は視線を逸らす。
「まずは、その……リラックスして、顧客の心理を――」
その瞬間。
――ピンポン、ピンポン、ピンポン!!
インターホンが、壊れそうな勢いで鳴り響いた。
「開けてください!! 桜田優里さん!! 西園寺です!!」
外から、切羽詰まった声。
「警察に通報しましたよ!!」
「……っ!」
拓真の顔が、見る見るうちに青ざめる。
窓の外。
門の前には、髪を振り乱した勝利が立っていた。
眼鏡は曇り、手には録画中のスマートフォン。
「片桐さん! これは拉致監禁です!」
勝利の声が、ヴィラに反響する。
「あなたのような特権階級の横暴、世間が許しません! 優里さん、今助けます!」
「誰が拉致だ!!」
拓真は叫び、咄嗟に優里の前へ立ちはだかった。
「……待ってください!」
優里が慌てて声を上げる。
「勝利さん、これは会社の仕事で……!」
だが、勝利は止まらない。
「優里さん、騙されないでください!」
鋭い声。
「彼の本性は、美優さんから聞いています! あなたを疎ましく思い、美優さんとの関係を邪魔されないように追い詰めている――違いますか!?」
その言葉に、優里の動きが止まった。
(……やっぱり)
胸が、冷たく沈む。
(勝利さんも、知ってる。
拓真さんが、私を嫌っていて……美優を愛していること)
部屋に、重たい沈黙が落ちた。
その沈黙の中で――
拓真は、勝利の言葉ではなく。
それを聞いた優里の瞳に、息を奪われていた。
諦めたようで、傷ついた色を帯びたその瞳。
「……違う」
拓真の声が、低く、震えた。
「違う……っ。そんな理由じゃない……!」
彼は振り返り、優里の肩を掴む。
「美優ちゃんのためなんて、一秒も思ったことはない!」
必死に。
「勝利、適当なことを言うな! 俺が……俺がどれだけ……!」
言葉が、詰まる。
喉まで込み上げた想いが、うまく形にならない。
「俺が……二十四年間も……」
声が掠れる。
「お前の後ろを、影みたいについて回って……どれだけ……」
「……え?」
優里の目が、見開かれる。
「ストーカー……?」
「違う!!」
拓真は叫んだ。
「ち、違わないけど違う!!」
――その時。
門を越えようとする勝利。
それを止める警備員。
そして、遠くから近づいてくるパトカーのサイレン。
蒼い海を背景に、ヴィラは完全な修羅場と化していった。
だが、その喧騒の中で。
拓真は、優里の手を、そっと握った。
震えながら、逃がさないように。
「……優里」
囁く声は、かすれている。
「頼むから……俺以外の男に、そんな顔を向けないでくれ」
その言葉が――
甘さと、痛みと、独占欲を孕んで、優里の胸に深く落ちていった。

