神系御曹司の初恋は難攻不落 〜「お前じゃない」と言われ続けて十余年〜

ついに――お見合いの日がやってきた。

都内でも指折りの一流ホテル。
天井の高いフレンチレストランには、柔らかな照明と静かなクラシックが流れ、非日常の空気が満ちている。

優里は、母が選んでくれた淡いブルーのワンピースに身を包み、背筋を伸ばして椅子に座っていた。
緊張で、膝がわずかに震えている。

(大丈夫……失礼のないように、ちゃんと……)

「初めまして。桜田優里さん」

向かいに座る青年が、穏やかに頭を下げた。

「西園寺勝利と申します。本日は、お時間をいただきありがとうございます」

銀縁の眼鏡の奥の瞳は、柔らかく澄んでいる。
優里が苦手としてきた“自信を振りかざす感じ”が、微塵もない。

「は、初めまして……桜田です。こちらこそ、ありがとうございます」

声が少し裏返ってしまった。
勝利はそれに気づいたのか、ふっと口元を緩める。

「そんなに緊張なさらなくて大丈夫ですよ」
穏やかな声。
「実は僕も、かなり緊張していまして」

「……え?」

「こういう席は、どうにも慣れなくて」
照れたように微笑む。
「でも……お会いできて、本当に良かった」

その視線が、まっすぐ優里を捉える。

「お写真で拝見した時より、ずっと落ち着いた雰囲気で……」
少し間を置いて、
「とても、素敵な方ですね」

(……素敵?)

胸の奥が、きゅっと鳴った。

妹に向けられる称賛とは違う。
“比べられない”“代用品じゃない”、
自分だけに向けられた言葉。

頬が、熱を帯びる。

「ありがとうございます……そんなふうに言っていただいたの、初めてで……」

勝利は驚いたように目を瞬かせ、それから静かに首を振った。

「それは……もったいないですね」
優しく。
「ご自分のこと、もっと大切にしていいと思います」

その言葉に、優里の胸のこわばりが、少しずつほどけていく――

その時だった。

「……ッ、ゴホッ! ゴホゴホッ!!」

やけに大きな咳払いが、斜め後ろから響いた。

優里が思わず振り返る。

そこにいたのは――
明らかに“場違い”な存在。

深く被ったハンチング帽。
大きなサングラス。
季節外れのストールで、顔の半分を覆っている。

……が。

その隠しきれない整いすぎた輪郭と、無駄に仕立てのいいスーツ。

(……え……?)

心臓が、跳ねた。

(拓真さん……!?)

「優里さん?」
勝利が心配そうに声をかける。
「どうかされましたか?」

「い、いえ……」
慌てて笑顔を作る。
「素敵なお店だなと思って」

「ええ。実はここ、私の親戚が経営に関わっていまして」
勝利は自然に話を続けた。
「……あちらの席の方、少しお具合が悪そうですね」

拓真(完全変装中)は、その視線に気づくと、
秒速でメニュー表を掲げ、顔を隠した。

メニュー表が――微妙に震えている。

(……今、優里のこと“素敵”って言ったよな!?)
(言ったよな!? 言いやがったな西園寺ぇぇ!!)
(それ、俺が人生で一番言いたかったセリフなんだが!?)

サングラスの奥で、拓真の嫉妬は限界突破していた。

「では、お食事を始めましょうか」
勝利が微笑み、スプーンを差し出す。
「ここのコンソメスープ、とても優しい味で……」

その瞬間。

焦った拓真が、袖でグラスを引っ掛けた。

ガチャン!!

派手な音。
水がテーブルに広がる。

店内の視線が、一斉に集まった。

「……っ!」

優里は思わず立ち上がりかけたが、
拓真は必死に片手で――**「来るな」**のジェスチャー。

(来るな優里!! 見るな!!)
(今の俺は、人生で一番ダサい!!)
(でも……アイツに笑うのは、もっとやめろぉぉ!!)

「……し、失礼しました……」

裏返った声で呟き、再びメニューの裏へ。

その様子を見つめながら、
優里の胸に、静かな疑念が生まれる。

(……どうして、あんなに必死なの?)

(もしかして……美優に頼まれた?
『お姉ちゃんに変な虫がつかないように』って……)

胸が、少し冷える。

(……やっぱり、理由はいつも美優なんだ)

「優里さん?」
勝利の声が、優里を現実に引き戻す。

「……すみません。少し、考え事を」

「大丈夫ですよ」
勝利は穏やかに微笑んだ。
「急ぎません。ゆっくり、お話ししましょう」

その優しさが、今の優里には――
どこか、遠く感じられた。

すぐ背後で、
必死に存在を消そうとしながら、
どうしようもなく執着を放っている“天敵”の気配のせいで。

一方――

(こうなったら……給仕に化けて……)
(いや、激辛は優里に嫌われる……)
(くっ、神よ! 俺に正解ルートを!!)

拓真はメニューの裏で、
完全に迷走していた。

「神系イケメン」のプライドは、すでに原形を留めていない。

二人の初お見合いは、
一人の不審すぎる御曹司によって、
混沼のラブコメ地獄へと引きずり込まれていくのだった。