神系御曹司の初恋は難攻不落 〜「お前じゃない」と言われ続けて十余年〜

ヴィラの夜は、息をひそめるように静まり返っていた。

バルコニーで自分を呪う拓真と、
寝室で「身代わりの孤独」に耐える優里。

二人を隔てているのは、
一枚の薄いガラス戸ではない。
積み重なった二十四年分の誤解、その重みだった。

――その静寂を、乾いた金属音が切り裂いた。

「……誰だ」

拓真が振り向いた瞬間、
窓から影が滑り込む。

暗視スコープを額に上げ、ワイヤーガンを構えた男――
西園寺勝利。

「優里さん」

柔らかな声。

「迎えに来ました。
こんな狂った家系と、狂った男の檻から、僕が救い出します」

「勝利さん……?」

優里が身を起こすと、
勝利は迷いなく彼女の手を取った。

「君の偽装結婚の証拠は掴んでいる。
彼は君を“盾”として使っているだけだ」

指先が、甘く絡む。

「さあ、一緒に行こう。
海外に、誰にも邪魔されない場所へ。
飛行機は、もう待っている」

「――その手を離せ」

低く、氷のような声。

拓真が寝室に踏み込んだ。
そこにあったのは、「神系イケメン」でも「不器用な上司」でもない。

ただ――
奪われる寸前のものを守る、獣の眼。

「……片桐君」

勝利は微笑む。

「遅かったね。
君が“妹のための隠れ蓑”として彼女を使っている間に、
彼女の心は壊れてしまった」

「……黙れ」

拓真は一歩、距離を詰めた。

「彼女を語るな。
お前に、優里の何が分かる」

声は静かだった。
だが、逃げ場を失わせる圧があった。

「彼女がどれだけ優しいか。
どれだけ自分を後回しにするか」

拓真の瞳が、揺れる。

「二十四年だ。
俺は――一秒も、彼女を忘れたことがない」

「……それは愛じゃない」

勝利が吐き捨てる。

「ただの執着だ!」

その瞬間。
勝利がスタンガンを構えた。

――次の瞬間、世界が反転する。

「――優里は、俺の命だ!!」

拓真の身体が、閃光のように動いた。

腕を叩き落とし、
そのまま勝利を壁へと叩きつける。

理性も、計算もない。
あるのはただ一つ。

奪われたくないという、本能。

勝利は窓の外へ投げ出され、
植え込みへと沈んだ。

荒い息のまま、拓真は振り返る。

「……来るな、優里」

震えた声。

「怖がらせる。だから……見るな」

シャツのボタンは外れ、
髪は乱れ、
その顔は――泣きそうだった。

「……ごめん」

小さく、かすれた声。

「でも……信じてほしい」

拓真は、ゆっくりと優里を見た。

「俺が壊したいほど憎いのは、
お前を奪おうとする世界だ」

一歩、近づく。

「……お前じゃない」

(――愛してる。
 守りたい。
 それだけなんだ……)

だが。

優里の胸に落ちた言葉は、
違う色をしていた。

(……怖い)
(彼は、美優との“計画”を邪魔されたくないだけ)
(私は……彼の人生のチェス盤に置かれた、駒)

優里は、ゆっくりと微笑んだ。

「……助けてくれて、ありがとうございます」

その声は、丁寧で、距離があった。

「片桐さんの“大切な盾”が壊れなくて……良かったですね」

「……っ」

拓真は、差し出しかけた手を、下ろした。

届かない。
守っても、叫んでも。

「……ああ」

拓真は、微笑みの形を作った。

「そうだ。お前は――
片桐の“宝物”だからな」

かすれた声。

「……傷ひとつ、付けさせるかよ」

月光の下。
その言葉は甘く、優しく――
そして、二人の溝を、さらに深く刻んだ。