神系御曹司の初恋は難攻不落 〜「お前じゃない」と言われ続けて十余年〜

「お姉ちゃん、拓真さーん! おっはよー!」

月曜日の朝。
営業二課のフロアに、場違いなほど明るい声が弾けた。

振り向いた瞬間、空気が一段きらめく。
いつにも増して華やかなスーツに身を包んだ美優が、ブランドの紙袋を提げ、入社初日の新人のような笑顔で立っていた。

「美優!? どうしてここに……」

驚きでペンを落とす優里をよそに、美優は一直線に拓真のデスクへ駆け寄り、その腕に抱きつく。

「お父さんにお願いしたの! お姉ちゃん一人じゃ大変そうだし、私も“特別秘書”として入れてって!」

拓真は、氷像のように固まった。

「……は? いや、美優ちゃん、ここは仕事の場で――」

(まずい。最悪だ。
やっと作れた“二人きりの距離”に、最大級の誤解製造機が自分から飛び込んできた……!)

慌てて腕を引き抜こうとするが、美優は離さない。
それどころか、わざと耳元へ顔を寄せ、甘えるように囁く。

「いいじゃない。昨日の夜、あんなに仲良くお話しした仲なんだし?」

(翻訳:お姉ちゃんを嫉妬させて、拓真さんの本心を引き出す作戦。感謝してよね!)

――しかし。

この“善意のアシスト”は、優里というフィルターを通った瞬間、猛毒へと変わった。

「……そうですか。昨日の夜も、ご一緒だったんですね」

淡々とした声。
次の瞬間、パキッと乾いた音がして、シャープペンの芯が折れた。

(やっぱり……。
私を秘書として縛りつけたのは、目の前で美優との仲を見せつけるため。
私は二人の愛を引き立てる“観客”なんだ)

優里の中で、拗らせはもはや疑いから確信へと変わっていた。


その日の“秘書席”(=課長デスク横)は、戦場だった。

「優里、この資料のコピーを――」

「あ、それ私がやります!」
美優が被せるように言い、拓真の顔を覗き込む。
「コーヒーも淹れてあげますね。ミルクたっぷりの甘いやつ、好きでしょ?」

拓真は冷や汗をかきながら、必死に優里の横顔を窺った。

「……いや、俺はブラックだ」
一瞬の間。
「優里。お前の淹れた……苦い、渋い茶が飲みたい」

(翻訳:お前が淹れてくれるなら何でもいい。お前の手が触れたものがいい)

「……かしこまりました」
優里は視線を上げずに答える。
「お似合いの、甘いコーヒーを淹れるよう美優に伝えます。私は外回りの資料を、勝利さんに届けてきますので」

「勝利だと!?」
拓真がデスクを叩いて立ち上がった。
「ダメだ! 行かさん!!」

「美優! お前は……そこのシュレッダーでもかけてろ!」
勢いのまま指をさし、
「優里! お前は一歩も動くな! 喉が渇いた! お前の淹れた茶じゃなきゃ死ぬ!!」

(翻訳:行かないでくれ。
他の男の名前を出すな。
俺を見ろ。俺だけを見てくれ)

「……わがままもいい加減にしてください」
優里は、はっきりと軽蔑の色を滲ませて言った。
「美優が可哀想です」

そう言い捨て、乱暴にお茶の準備を始める。

美優は二人の様子を眺めながら、こっそり舌を出した。

(いい感じに熱くなってる。
あとはこの“神系ヘタレ”がいつ理性を飛ばすか、ね)

――だが。

美優の計算には、致命的な誤算が一つあった。

「西園寺勝利」という男の執着が、
拓真のそれを上回る速度で、歪み始めていたこと。

その時。

営業フロアの入口が、ざわついた。

「失礼。西園寺銀行の西園寺です」
穏やかな声が通る。
「片桐課長。優里さんを――“解放”しに参りました」

拓真の瞳に、再び暗い焔が宿る。

「……また来たか。死神が」

美優という火種が加わり、
優里の勘違いは“確信”へ、
拓真の独占欲は“神”の仮面を砕く段階へ――。

事態は、誰にも止められない臨界点へと近づいていた。