神系御曹司の初恋は難攻不落 〜「お前じゃない」と言われ続けて十余年〜

「……はぁ」

鏡の中の自分に、今日何度目かのため息を落とす。
桜田優里は、ベージュ一色の事務服の襟を正し、髪をきっちりまとめ直した。

二十四年間、この顔と生きてきた。
妹の美優みたいに、笑えば周囲がぱっと明るくなるタイプじゃない。
良く言えば「落ち着いている」、悪く言えば――まあ、地味だ。

入社三年目。
桜田商社・庶務係。
備品発注、郵便物の仕分け、コピー用紙との静かな戦い。
変化はないけれど、平穏な毎日。

あの男が現れなければ、の話だが。

オフィスビルのエントランス。
自動ドアが開いた瞬間、空気が一段、華やいだ。

「……あ、片桐課長」
「今日も光ってる……」
「眩しすぎて直視できない……」

女子社員たちの黄色いささやきの中心を歩いてくるのは、
営業二課課長・片桐拓真。

彫刻みたいに整った顔。
完璧に仕立てられたスーツ。
そして、自信満々――に見える歩き方。

(出た……この会社の主人公)

優里は反射的に、エレベーターの影に滑り込んだ。

(お願いだから、今日だけはスルーして……)

願いは、秒で砕けた。

「おい。そこ」

低くて心地よい声。
――優里にとっては、死刑宣告と同義。

「何コソコソしてる」

「……おはようございます、片桐課長」

「声が小さい。相変わらずだな」

拓真は、上から下まで優里を一瞥して、

「日陰に咲く雑草みたいな女だ」

とどめを刺した。

(朝イチでそれ言う? 人の心とかないの?)

「すみません。雑草なので」
優里は無表情で返す。
「踏まれても、意外としぶといんです」

「……口だけは達者だな」

拓真は軽く鼻で笑い、背中を向けた。

「十時までに資料を俺のデスクに運べ」
一拍置いて、
「……他の奴じゃなく、『お前』がな」

言い逃げ。
完璧な去り際。

残された優里の背中には、
女子社員たちの「なんであの子?」という視線が突き刺さる。

(ほら。やっぱり嫌われてる)

物心ついた頃から、ずっとそうだ。
隣同士の家。仲のいい両親。
妹の美優には優しく笑うのに、自分にはこの態度。

からかわれて、突き放されて、傷つけられて。

優里が
「私はモテない」
「恋なんて縁がない」
そう信じ込むようになった原因は、間違いなく彼だった。

――だって。

拓真が美優を好きなのは、誰の目にも明らかだったから。



営業部フロア。

自席に着いた瞬間、片桐拓真は勢いよく顔を覆った。

(……最悪だ……!)

「雑草」なんて、言うつもりじゃなかった。
本当は――

(可憐な花みたいだ、って言おうとしたんだ……!)

なのに、口を出たのは真逆の単語。

(なんで俺の脳内変換、毎回バグるんだよ……!)

しかも、

(「お前が持ってこい」って……完全にパワハラだろ……)

『神系イケメン』の仮面の下で、
拓真の中身は絶望に沈んでいた。

実は彼は――
優里の前に立つと、思考回路が全停止する重度のヘタレ。

二十九歳。
片桐グループ御曹司。
仕事も外見も完璧。

ただし、
二十四年間片想い中の幼馴染に対する好感度は、
現在――マイナス二千。

「……資料、持ってきてくれるかな」

誰もいないデスクで、彼は小さく呟いた。

震える手。
高鳴る心臓。

(優里が来る……)

それが、
自分にとっての処刑台だとも知らずに。