茜くん、ちょっと落ち着こう!?

中学校では赤点を取ったら手厚い補習。それだけは絶対に回避したい。
だが、私はあまり頭は良くない。特に英文読解などは何回読んでも理解出来ない。必修科目以外の点数は良いのだが......。
なんて思いながらもテーブルに課題を広げたまま数学のワークを一問も解かずにお皿に並べられたビスケットを味わっていた。
そのままでもミルクの優しい甘みや小麦の何とも言えない香ばしさを口の中全体で感じることが出来るのだが、ビスケットの上に苺やブドウを乗っけてから食べると、めちゃくちゃ美味しい。
という訳で、少し私の実況(現実逃避)にお付き合い下さい。
口の中に広がるのは小麦の香りとフルーツジャムの甘酸っぱい味わい、そしてそれら全てを母のように包み込むミルクの優しい甘み。ミルクの伴奏(ばんそう)に合わせて手を取り合いクルクルと回るフルーツジャムと小麦の姿がもうすぐ目の前に見えるような気がする。
「椿芽は数学が苦手なんだ」
「え、うん」
「そっか。椿芽の新しいことを知れて嬉しい」
そう言って、茜くんは少しだけ目を細めた。
その笑顔が、とても幸せそうで......。
「お前らさー、おれ達がいるってこと忘れてるでしょー」
「二人だけの空間ってやつだね。まぁ、邪魔するけど」
頬杖をついている迅くんと要くんの言葉で我に返った。
そう、今日は茜くんに誘われて茜くんの家で勉強会をしているのだ。(正確には常磐さんの家だけど)
藤祭の後、分かったことだが、迅くんも要くんも私と同じ中学校に通っていた。同じ歳なのに学年は別で、一個年上の三年生として過ごしているらしい。
「勉強会って言う割に、全然勉強進んでないけど」
迅くんが数学のワークとビスケットを交互に見て、呆れたように言う。
「だって休日だよ?」
要くんがソファに転がりながら即答する。
「休日に勉強するだけでも偉いと思わない?」
「問題を一問も解いてない時点で説得力ゼロだろ」
茜くんが淡々と突っ込む。
私はビスケットをもう一枚取ろうとして、ぴたりと手を止めた。
......確かに、さすがに食べてばかりはまずい。
「椿芽、もっと食べるか?取ってくる」
席を立とうとした茜くんを止める。
「もう大丈夫だよ!そろそろ勉強やらなきゃだし」
「椿芽は偉いな。コイツらに見習わせたいよ」
茜くんは迅くんと要くんに対して悪態をつくが、本人達は気にせずビスケットを食べながら漫画を読んでいる。
二人が漫画に夢中になっているのを横目に、私は意を決して数学のワークを引き寄せた。
ページを開くだけで、数字と文字が一斉に襲いかかってくる。
「......やっぱり意味分かんない」
思わず零すと、茜くんが隣に腰を下ろした。
「どこ?」
「最初から」
「正直だな」
苦笑しながらも、茜くんはワークを覗き込む。
「ここはな、公式を覚えるより“何を求めたい問題か”を見るんだ」
「何を……」
「例えばこれ。答えはxだけど、結局聞かれてるのは“長さ”だろ」
鉛筆の先で問題文をなぞられる。
そう言われて読むと、確かに少しだけ見え方が変わった気がした。
「あ……本当だ」
「で、長さを出すには何が要る?」
「……比?」
「そう。じゃあ式はこう」
さらさらと書かれる途中式。
不思議と、さっきまで呪文にしか見えなかった数字が、言葉として理解できる。
「恵美ー、おれ達にも教えて〜!」
「夏休みに補習とか無理なんだけど!」
「お前ら、調子乗って学年聞かれた時に三年って答えたから......」
茜くんが呆れたように言うと、迅くんと要くんは同時にそっぽを向いた。
「いや、だってぇ、面白そうだと思ったから」
「せっかくの現世だしね......」
「年齢をわざと年上にして学業に追い付けなくなったら元も子もねぇだろ」
茜くんがじっと二人を見る。
その視線に耐えきれず、迅くんが先に白旗を上げた。
「分かったよ。ちゃんと勉強するって」
「最初からそうすればいいのに」
要くんも渋々ソファから起き上がり、数学のワークを引き寄せる。
その時、ガチャっと部屋のドアが開いた。
「勉強は捗ってる〜?」
部屋に入ってきたのは常磐さんだった。
「今から任務に行くけど、着いてくる?」
「「「「え?」」」」
「ほら、息抜きも大事でしょ〜」
「任務って......何するんですか?」
恐る恐る聞くと、常磐さんはにこっと笑った。
「迷い猫探し♡」
「任務ってそれですか?」
私が聞き返すと、常磐さんはうんうんと大きく頷いた。
「近所のおばあちゃんが困っててね〜。白黒で、ちょっと太めの猫。名前は『もち』可愛い猫だよ〜」