夜景撮影を終えた二人は、駅へと続く坂道を並んで歩いていた。
宏樹は三脚を肩に担ぎ、優花は貸してもらったストールにくるまれている。
体には心地よい疲れだけが残り、会話は撮れた写真の感想や光の色の違いなど、穏やかで楽しいものが続いていた。

しかし、駅の灯りが見えてくるにつれ、優花は胸がそわそわと揺れ始めた。
楽しい時間の終わりが近づくと、まるで夢が醒めてしまう気がして──
もう一歩、彼と心を近づけたいという思いが強くなった。

そこで優花は、再会のきっかけでもある美咲の結婚式に話題を戻した。

「そういえば……美咲の結婚式、本当に素敵でしたね。
 私、あんな幸せそうな顔を見るのは初めてで、泣きそうになっちゃいました」

「わかるよ。健太なんか、ガチで泣いてたしな」

宏樹が笑う。
その柔らかい表情に背中を押され、優花は思い切って踏み込んだ。

「宏樹さんは……結婚、どう思いますか?
 美咲たちみたいな夫婦って、いいなって思いました?」

坂道の途中──宏樹はふっと足を止め、優花の方へ体を向けた。

「結婚か……」
低く、真面目な声。

「もちろん、願望はあるよ。
 美咲と健太を見て思った。
 仕事のしんどさも、くだらない話も、全部共有できる相手がいるって……あれは本当に素晴らしい」

街の光が、優花の瞳に小さな輝きを宿す。
宏樹は、その光の向こうを確かめるようにじっと見つめた。

「でもな。
 今の俺は……誰かを巻き込むのが怖いんだ。仕事も責任も重すぎて。
 相手を幸せにする余裕が、まだちゃんと持てていない気がする」

それは、逃げ口上ではなく、相手を思いやる誠実さから来る言葉だった。
優花にはその意味が、痛いほどわかった。

「宏樹さんなら、きっと相手を大事にしますよ。
 今日、一緒にいて……そう思いました」

そう告げると、宏樹は少し照れたように目を伏せ、口元に微笑を浮かべた。

「ありがとう。そう言ってくれるのは……相沢くらいだよ」

そして──
歩き出そうとした彼は、ふいに心の奥をさらうように呟いた。

「俺が結婚するとしたらさ……
 仕事で疲れたとき、言葉がなくてもそっと隣にいてくれる、静かで優しい人がいい。
 昔の俺なら考えもしなかったけど……今は、そういう人が一番いいと思ってる」

優花は、ほんの一瞬、息を呑んだ。

それは──彼が五年間ずっと求めていた“心の平穏”の象徴。
そして、優花自身が、美咲にも言われ続けてきた性質そのものだった。

彼はまだ気づいていない。
自分の隣に、もうその人がいることを。

「……そういう相手、きっと見つかりますよ。
 宏樹さんなら絶対に」

優花がそう言うと、宏樹は坂道の途中で立ち止まり、穏やかで深い声で返した。

「相沢みたいな人だと……思うんだけどな、本当は」

夜風がふたりの間をすり抜けた。

優花の胸は音を立てて高鳴り、
握りしめたストールが少し震える。

はっきり「好き」と言われたわけじゃない。
でも、それ以上に確かな確信があった。

──もうすぐ、彼の心の“ブーケ”が、自分の手に落ちてくる。

そんな予感が、優花の胸いっぱいに広がった。