週末の夜景撮影の約束が決まった日から、
優花の日常は静かに、しかし確実に駆動しはじめた。

仕事は相変わらず忙しい。
会議、資料作成、クライアント対応——
それらを淡々とこなす自分の奥底には、
土曜日の夜へ向けて、透明な期待が脈打っていた。

ただ誘われたから行くのではない。

宏樹は、趣味も、価値観も、そして「心の平穏」も共有できる相手として、
優花を“選んで”くれたのだ。

ならば、自分も彼にとって“対等な存在”でいたい。
その思いが、優花を前へと動かした。



昼休みになるたび、優花はスマホを素早く開いた。
•「夜景撮影 初心者 設定」
•「長時間露光 コツ SNS」
•「雨の路面 反射 写真 撮り方」

検索履歴が次々と“夜景モード”に染まっていく。

(彼の説明が理解できるようにしたい……)

F値、シャッタースピード、ISO感度。
聞き慣れない言葉でも、意味を知っておけば会話の流れについていける。

——それより何より。

彼が楽しそうに語る姿を、ちゃんと受け止めたい。

その思いが、優花の指先を自然と動かしていた。



仕事から帰宅すると、優花はクローゼットをひっくり返した。

夜景は冷える。
風を遮りつつ、動きやすくて、
だけど“デートの匂い”をわずかに漂わせたい。

試着を繰り返しながら、鏡の前で何度も立ち止まる。
•黒のタートルネックで上品に
•落ち着いた色のフレアスカートで女性らしさ
•風を防ぐトレンチコート
•夜の光を柔らかく受け止める淡いストール

色味は、夜景の邪魔にならない静かなトーン。

「……よし」

鏡に映る自分が、
“ただの女友達”ではない何かに変わりつつあるのを感じた。



金曜日の夜。
湯船に浸かり、スキンケアを丁寧にして、
明日の準備は万全のはずなのに——

布団に入っても、目が冴えてしまう。

(寝なきゃ……でも楽しみで眠れない……)

スマホを取り出し、宏樹とのメッセージ履歴を開く。

「相沢が好きな雨の日の路面も綺麗に見えるところを探してみるよ」

その一文を読むたび、胸の奥で“きゅっ”と音がした。

——覚えていてくれた。
——私を、喜ばせようとしてくれている。

彼はただの趣味ではなく、
優花と共有するための時間として
撮影スポットを探してくれているのだ。

五年間、一度も叶わなかった想いに、
ようやく形が宿り始めている。

(明日の夜は……絶対に大切な夜になる。)

優花は胸元でそっとスマホを抱きしめ、
ようやく瞼を閉じた。

期待と緊張が入り混じった鼓動は、
眠りにつくまで止まらなかった。