春の陽が少し傾いた放課後、
図書室の静かな空気に、私はひとり座っていた。
課題を整理するふりをして、
でも実際はノートの文字を追うこともできない。
視線は、いつもより少し光の少ない窓の外を漂っていた。
「柚李?」
柔らかい声に顔を上げると、
そこに立っていたのは蒼士先輩だった。
「……先輩、なんで?」
「用事があって…君がまだいるかな、と思って」
蒼士先輩は軽く資料を手に持ち、
でもその目は私をまっすぐに見ていた。
心臓が、自然に早鐘を打つ。
「ちょっと手伝ってほしいことがあって」
そう言って差し出されたのは、委員会の資料。
でも、私が受け取ると、手が少し触れた。
「……あっ、すみません」
「大丈夫。ほんの少しだから」
その距離感――
触れそうで触れられない微妙な間。
胸の奥が、じわじわと熱くなる。
「この資料、整理してくれる?」
図書室の片隅で、並んで座る。
ページをめくるたび、手がほんの少し重なる。
小さな接触なのに、
心臓が止まりそうになる。
「先輩…本当に、手伝うだけですか?」
「もちろん。ただ…柚李といると、落ち着くから」
その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。
落ち着く、って…
誰も知らない距離感を、私だけが感じている。
でも、すぐに現実に引き戻される。
「……でも、先輩って、年上ですよね」
「……ああ」
蒼士先輩の声が、少しだけ低くなる。
遠くに感じる大人の壁が、
私と彼の間に確かにあるのを思い知らされる。
「だから、私…春斗に言い寄られても、気にしないでいいですか?」
「……あいつは、優しい。
でも、君の心がどこにあるかは、僕が知ってる」
私は、声を出して笑えなかった。
嬉しいような、切ないような、
胸の奥で複雑な感情が絡み合う。
その後も、二人で資料を整理しながら、
言葉よりも沈黙の方が多い時間が続いた。
窓の外、夕陽は図書室の床に伸びて、
長い影が私たちの間に落ちている。
「柚李、もうすぐ帰る時間だね」
その声に、私はうなずく。
でも足は動かない。
もっと、ここにいたい。
もっと、蒼士先輩と近づきたい。
「……また、来てくれますか?」
「もちろん。
でも、無理はしなくていい」
大人の余裕を持つ彼の声は、
優しいのに、どこか届かない。
胸が痛い。
手を伸ばしたら届きそうなのに、
絶対に触れられない距離。
帰り道、校門の前で見送る蒼士先輩。
「また、委員会で」とだけ言って、
そのまままっすぐ帰っていく。
私は立ち止まり、見送った。
その背中は優しく、暖かく、
でも決してこちらに歩み寄らない。
振り返ると、春斗が校門の向こうで手を振っている。
その笑顔に、胸が少し痛む。
どうしてか、心が二つに割れそうだった。
――好き。
――でも、触れてはいけない。
そんな気持ちが、静かに胸の奥で揺れる。
その夜、ベッドに入っても、
蒼士先輩の声が、手の触れた感触が、
くっきりと頭の中に残った。
あの日から、
“触れそうで触れられない距離”が、
私の日常になったのだ。
図書室の静かな空気に、私はひとり座っていた。
課題を整理するふりをして、
でも実際はノートの文字を追うこともできない。
視線は、いつもより少し光の少ない窓の外を漂っていた。
「柚李?」
柔らかい声に顔を上げると、
そこに立っていたのは蒼士先輩だった。
「……先輩、なんで?」
「用事があって…君がまだいるかな、と思って」
蒼士先輩は軽く資料を手に持ち、
でもその目は私をまっすぐに見ていた。
心臓が、自然に早鐘を打つ。
「ちょっと手伝ってほしいことがあって」
そう言って差し出されたのは、委員会の資料。
でも、私が受け取ると、手が少し触れた。
「……あっ、すみません」
「大丈夫。ほんの少しだから」
その距離感――
触れそうで触れられない微妙な間。
胸の奥が、じわじわと熱くなる。
「この資料、整理してくれる?」
図書室の片隅で、並んで座る。
ページをめくるたび、手がほんの少し重なる。
小さな接触なのに、
心臓が止まりそうになる。
「先輩…本当に、手伝うだけですか?」
「もちろん。ただ…柚李といると、落ち着くから」
その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。
落ち着く、って…
誰も知らない距離感を、私だけが感じている。
でも、すぐに現実に引き戻される。
「……でも、先輩って、年上ですよね」
「……ああ」
蒼士先輩の声が、少しだけ低くなる。
遠くに感じる大人の壁が、
私と彼の間に確かにあるのを思い知らされる。
「だから、私…春斗に言い寄られても、気にしないでいいですか?」
「……あいつは、優しい。
でも、君の心がどこにあるかは、僕が知ってる」
私は、声を出して笑えなかった。
嬉しいような、切ないような、
胸の奥で複雑な感情が絡み合う。
その後も、二人で資料を整理しながら、
言葉よりも沈黙の方が多い時間が続いた。
窓の外、夕陽は図書室の床に伸びて、
長い影が私たちの間に落ちている。
「柚李、もうすぐ帰る時間だね」
その声に、私はうなずく。
でも足は動かない。
もっと、ここにいたい。
もっと、蒼士先輩と近づきたい。
「……また、来てくれますか?」
「もちろん。
でも、無理はしなくていい」
大人の余裕を持つ彼の声は、
優しいのに、どこか届かない。
胸が痛い。
手を伸ばしたら届きそうなのに、
絶対に触れられない距離。
帰り道、校門の前で見送る蒼士先輩。
「また、委員会で」とだけ言って、
そのまままっすぐ帰っていく。
私は立ち止まり、見送った。
その背中は優しく、暖かく、
でも決してこちらに歩み寄らない。
振り返ると、春斗が校門の向こうで手を振っている。
その笑顔に、胸が少し痛む。
どうしてか、心が二つに割れそうだった。
――好き。
――でも、触れてはいけない。
そんな気持ちが、静かに胸の奥で揺れる。
その夜、ベッドに入っても、
蒼士先輩の声が、手の触れた感触が、
くっきりと頭の中に残った。
あの日から、
“触れそうで触れられない距離”が、
私の日常になったのだ。


